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第18話
小焼の様子がおかしい。あんだけ食べたってのにまだ腹が減っているらしい。腹が減ってイライラしているのか、ストローをガジガジ噛んでいた。ぺっちゃんこになったストローが可哀想だ。
わざわざストローを使ってお茶を飲むくらいにお上品なところあんのに、ちょっと野蛮なんだよなぁ。
欲情してんのかもしれねぇけど、さすがに学内でもうそんなことするわけにもいかない。誰かに見られたら、それこそ大問題だ。下手したら小焼が自由に泳げなくなる。それは嫌だ。
おれはカバンを開く。大量の甘い菓子が見えた。そうだ。これを渡すために会ってんだ。
「小焼! 菓子の交換しよう! ほら、おまえの好きなドーナツもあんぞ!」
「ドーナツ……」
小焼はうわ言のように呟いてドーナツを頬張る。
本当にまだ腹が減ってんのか? それにしては食べるペースが遅い。別のことに興味を逸らしてやるにしても、特に面白い話題も無い。
ふゆが炎上中だが、小焼には関係あって、関係無いよな……。炎上商法になっちまって、過去に作ったコピー本の注文が入ったりイラストのリクエストが届いたりはしてるみてぇだけど。
「そういや、けいちゃんから何か頼まれたんだよな?」
「水泳部のコーチをして欲しいそうです。明後日 ……土曜日に決まりました。夏樹も来ますか?」
「おっ、誘ってくれんのか?」
「いえ。夏樹がいないと……」
小焼は何かを言いかけて止まった。おれがいないと何か不都合があるらしい。でも、コーチなら普段のバイトと変わらないはずだ。
「おれがいないと何だ? 教えてくれ」
「……夏樹がいないと……さみしい」
「あはは、そっか。そんじゃ、見に行かねぇとな! ふゆもついてくるだろうから、覚悟しとけよ!」
「それは既にけいから聞いてます」
小焼が「さみしい」って言うのは初めてだ。今まで一度も聞いたことがない。
いつもひとりで泳いでっし、近寄るやつがいても「ひとりにしてほしい」って避けていく。
というか、めちゃくちゃ言い方が可愛くて心臓が止まるかと思った。こんなに筋骨隆々な野郎なのに、何で可愛く見えるんだろ……。眼科の友達に診てもらったほうが良いか?
「夏樹の明々後日 の用事は?」
「今度の日曜は塾も休みだよ。レポートも来週は無い。で、おれの用事聞いてどうすんだ?」
「川釣りに行きたい」
「へっ? 釣り?」
「父が川釣りにハマったらしく、釣具を一式送ってきたんです」
「川か……。車乗んなきゃ、釣りスポット行けねぇな?」
「だからお前に言ってるんです」
「あいあい。わかったよ。車出せってことな」
エロいお誘いだと思ったよ! 期待したおれの気持ち返してくれ! とは言えない。
きっと遠回しにデートのお誘いだ。釣りなら、おれも好きだし、父ちゃんのお陰で釣具も一式揃ってる。おれの返事に小焼は少しだけ口角を上げていた。あ、笑ってんだな。嬉しかったんだな。良かった。
「でもな小焼、朝早く出なきゃなんねぇからさ」
「お前の家に泊まります」
「え。おまえが?」
「私が」
「おれがおまえの家に泊まらずに?」
「夏樹の車ですから」
「そうだけど、おれがおまえん家に泊まったほうが良くねぇか? バイクの横に車置けるんだし」
「夏樹の家に私が行くと迷惑ですか?」
「迷惑じゃねぇけど……」
「では、決まりですね」
おれ、小焼に何か嫌がらせされてんのか? 怒らせるようなことしたか? いやいや、心当たりは……いっぱいあるなぁ。わざとしてるわけじゃなさそうだが、生殺しにされてる気がする。おれのプランだと、小焼の家でヤッて、翌日釣りに行くって流れだったのに、こりゃ無理そうだ。したい、けど我慢。
「何ですかこれ?」
「んー? ああ、占いついてんだ、この菓子。どれどれ……、『ハツコイニツイテカタルトキチ』だとよ!」
「ハツコイ?」
「そういや、小焼のそういう話を聞いたことねぇな。教えてくれよ。おまえのハツコイ!」
おれは、ハートマークがいっぱい描かれた包み紙を握りながら言う。小焼は少し考える仕草をしてから口を開いた。
「Karpfen blau」
「へ? な、何て?」
「Karpfen blau です。日本語に直訳したら青い鯉。三歳のクリスマスの時に食べました」
「……魚の鯉の話はしてねぇよ」
「ハツコイニツイテカタルトキチって言いましたよね?」
「そっちの鯉じゃなくて! 惚れたはれたの恋だよ! 青い鯉の話も気になるけど!」
「あれはベルリンにいた頃だったので……ドイツのクリスマス料理なんだと思います。両親は、事務所のスタッフと複数人のセフレとで乱交パーティーをしていました」
「……後半部分が聞き捨てならねぇな。おまえの両親って、ほんっとフリーダムだよな……」
その反動で、小焼は真面目なのか。乱交パーティーってわかってんのも酷な話だ。三歳の時の話してんだろ? あり? もしかして、それだから、セフレは絶対に嫌だって言ったのか……?
「各国に一人はボーイフレンドまたはガールフレンドがいますよ。まあ、そんな感じです」
「ちょっと待て! 青い鯉の話もっと聞かせろよ! 味とか覚えてねぇのか?」
「そんなに気になるなら作りますよ?」
「作れんの?」
「鯉が手に入れば作れます」
「今度、川釣りに行くよな」
「鯉は釣れますか?」
「食えるやつかはわかんねぇけど、川だし、鯉はいると思う……」
「火を通したら大概のものは食えます」
「おまえ、けっこう雑だな⁉」
小焼らしいって言えば、小焼らしいか。……でも、初恋の話を全くしてくれなかった。よく考えたら、青い鯉と両親の乱交パーティーについてしか話してねぇじゃん! まっ、いっか。
「そういう夏樹は?」
「ああー、おれの初恋はなぁ……、小学六年の時だったかな」
「それまでクリスマス無かったんですか?」
「言っとくけど、魚の鯉の話じゃねぇから! で、小六の時にさ、隣の町会に、海外から引っ越してくる一家がいてさ。その家の子が、日本語もわからねぇし、おれは地域の集団登校の班長してたから、担任の先生がおれに『毎朝迎えに行って欲しい』って頼んできたんだ」
「それで?」
「で、引っ越してきた翌日だったかなぁ。おれは母ちゃんとそいつの家に行った。そしたらさ、金髪のめっちゃくちゃ美人が出てきてさ……。この辺、今はけっこう栄えてっけど、昔は超田舎だったし、おれは、街にもあんまり出てなかったから、初めて外国人っての見て、見惚れちまったんだ。金髪がすっげー綺麗で、キラキラ光って見えたんだ!」
「はあ」
「でな、出てきたのはその子の母ちゃんだったんだけど、その後に出てきた子! すっげー綺麗な金髪美人が、おれの初恋の相手!」
「どんな子ですか?」
「赤い瞳のつり目で、肌がちょっと褐色で、鼻筋が通ってて、食いしん坊で、少しいじわる。いつも仏頂面してて無愛想だけど、笑うとすっごい可愛いんだ」
「へえ」
おれが話してるのは、おまえのことなんだけど、わかってんのか? わかってないんだろうなぁ……。他人事(ひとごと)のように聞いてんもんな……。毎朝おれがどんな気持ちでおまえを迎えに行ったと思ってんだよ。まさかあんなに可愛い子がこんなゴツくなると思わなかったけどよ!
日本語が全く通じなくて、一緒に勉強したっけ……。そのお陰で、おれは英検の一級を中学あがる前に取れたぞ。辞書と毎日にらめっこしてたなぁ。なんだか懐かしいや。
小焼が喘息発作出た時になーんにもできなかったのが悔しかったのがきっかけで、めちゃくちゃ勉強を頑張って、医学部に入って、なんやかんやで医師の国家試験にも合格できた。病院実習は死にそうなくらい大変だったけど、良い経験だった。生命の大切さがよくわかった、本当に。
ガタンッとテーブルが揺れた。小焼が席を立っていた。
「そろそろ行かないと」
「おっ。もうそんな時間か。消化器内科学の教科書取りにゼミ室戻らねぇと」
「このお菓子も持ってってください」
「おう。激辛のやつだな」
小焼が置いた激辛菓子をカバンに詰め込んでから食器を返却して、食堂を出る。
小焼は飴を舐めている。いつもすぐに噛み砕くのに珍しいな? と思っていたら、急に唇を塞がれ、飴が口内を移動した。飴は薄荷味だった。小焼は苦手な味だ。
誰かに見られたら、とかを小焼は考えていないんだと思う。現時点だと、おれだけがバイ扱いされてるはずだ。小焼が変なのに絡まれなかったら良いか。おれはふゆのネタになるだけだ。諦めよう。
「夏樹」
「何だ?」
「……」
いや、呼んどいて黙るなよ! 言えないけど!
「小焼。何かあるなら言ってくれなきゃわかんねぇよ。おれはエスパーじゃねぇんだから」
「講義って、サボれますか?」
「へっ? あ、あー、まあ、サボることはできっけど……」
「っ、やっぱり、なんでもない」
「え、おい! 小焼! 走ったらまた足痛めっから!」
行っちまった。どうして安静にしろって言ってんのに走るんだよ。松葉杖使えって言っても聞かねぇし。軽い捻挫でも、無理したら悪化するってわかってねぇのかな。
おれに講義サボらせるようなことをしたかったんだよな? あのままで大丈夫か、心配だな……。
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