21 / 34
第21話
それから3日。土曜日。右足の痛みは少しあるが、昨日よりは良くなっている、と思う。
今日はバイト先のスイミングスクールに高校の水泳部が来る。メインプールは通常通り、スクールの生徒が使うので、サブプールの使用許可を取った。国際基準のプールではないが、国内の一般的なプールだから、インターハイで使用するものと同じだ。
そもそも、それくらいの実力があるかどうかも問題なんだが……。
スクールの入口で下駄箱を拭きながら待っていると、視界にちっちゃくて青いものが見えた。
「お、おはようございますやの」
「おはようございますやの……」
「はぅっ!?」
「すみません。そんなに怯えないでください」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「謝られても困ります」
どうしても「やの」が耳に残る。うっかり真似をして返してしまったら、怯えられた。そんなに怯えられても困る。
けいは俯きがちに手遊びをして何か言っている。全く何を話しているのかわからない。何かを言っていることしかわからない。
「こっちを見て話してくれませんか? 何を言ってるかわかりません」
「ぁ、う……、ごめんなさい……」
やっと顔が上がった。天色の瞳が涙に濡れている。泣かれると困る。
「あ、あの、ウチ、ふつつかものですが、よろしくお願いしますやの。ゆ、ゆ、夕顔くんの、か、彼女として、が、がんばるの!」
「……何を頑張るかわかりませんが、頑張ってください。あと、名前で呼んでください」
「はいやの! こ、こ、こ、こ、こや、こ、小焼様!」
「私が特殊なプレイを強いてるようにも聞こえるんで、様はやめてください」
「あうぅ……」
顔が真っ赤だが大丈夫だろうか。熱があるならこのまま帰ってもらいたいんだが、夏樹に診てもらってからにするか……。
で、けい以外の姿はまだ見えない。時計を見る。集合時間の30分前だ。この子が早く来すぎなんだな、理解した。
「来るの早いですね?」
「ウチ、家が遠くて……、たまたまホームにおった電車に乗ったら、早く着いてしもたの」
「そうですか。……暇なら一緒に靴箱拭きますか?」
「え? あ、はいやの」
「冗談なので、そこのベンチに座っててください」
けいが雑巾を持とうとしたので、手を掴んで止める。すべすべでやわらかい手だ。羽二重餅のようだな。
顔を真っ赤にしながら、彼女はベンチに、ちょこん、と座った。カバンからスマホを取り出して触っている。
何か話したほうが良いのか? 私は別に話さなくて良いんだが、一応、仮とは言っても、けいは彼女だからな……。
アリトリのカーディガンを着ているな……。
「アリトリ好きなんですか?」
「はぅっ!?」
「いちいち驚かないでもらえたら助かるんですが」
「ご、ごめんなさいやの。え、えっと、ウチ、アリトリ好きやの……。小焼くん、ロリータのブランドわかるん?」
「なんとなくわかります。他に好きなブランドはありますか?」
「IROM MAIDEN が好きやの。GARDEN はゴシック系やけど、ただカッコイイだけやなくて、可憐さと力強さのあるデザインが好きやの。WONDER のほうはGARDENのカッコ良さもそのままに、ロリータの甘いテイストが入って、ピリ辛な雰囲気で、可愛くって、ついでにお値段もまだ可愛いから、お迎えしやすくって……大好きやの!」
目が輝いて、ハキハキ話すようになった。本当に好きなんだな……。熱意が伝わってくる。
IROM MAIDENが好きなのか……。母のブランドだな……。母から「ケイちゃんカワイイ! モデルのお誘いして! ナチュちゃんとイチャイチャさせたいー!」とメッセージが返ってきてたが……イチャイチャはどうかと思う。
「私の母がデザイナーで……、貴女にやる気があるなら、モデルをしてもらいたいんですが……」
「えっ!? 小焼くんのお母さん、デザイナーさんやの?」
「はい。IMGもIMWもうちの母のブランドです。だから、母個人の好みで、その子にあった服をデザインして、モデルをさせたいらしく……」
要するに、母が自分の好みの子に自分の好きな服を着せて、そのついでに同じ服を大量生産し、売っている……というシステムだ。母の性癖の押し付け、とも言える。
「ウチがしてもええの……?」
「はい。彼女ができた報告のために、海外にいる母に貴女の写真を送ったところ『カワイイからモデルを!』と」
「あうぅ……、ウ、ウチなんて、可愛くないやの……」
「可愛いと思いますよ。巴乃メイに似てますし」
「巴乃メイって……?」
「…………女優です」
アダルト作品のセクシー女優とは言わないでおこう。
顔を赤くしてモジモジしたままなんだが大丈夫だろうか? この子はずっと顔が赤いのか? そういえば、元からりんごのような頬をしていたような気がする。……アップルパイを食べたいな。りんご飴の専門店が駅前にできていたから、帰りに買うか。いや、帰りは夏樹の車に乗せてもらうから行けないな……。今度のバイト帰りに買おう。
「あ!」
「どうかしましたか?」
「な、な、なんでも、ない、やの……」
チラッと見えたスマホ画面は肌色に満たされていた。……画像検索したら、そうなるか。朝からエロ画像を女子高生に検索させてしまったことについては、反省しよう。事故だから、罪には問われないと思いたい。最近の高校生なんて、ヤりまくってるだろう。多分。
「で、モデルの件は考えておいてください。母は既に貴女に着せたいデザインを仕上げて、私に送ってきていますが」
「はぅっ!?」
「嫌なら断ってください。ちなみに服は貰えます」
「……ウチ、モデルやりたいやの」
「ありがとうございます。母に連絡しておきます」
母にメッセージを送っている間に、高校生達が続々集まってきた。私に挨拶をしてから、けいに「ありがとう!」と言っている。
脚の筋肉の付き方的に……成績は奮ってなさそうだな。コーチと言っても何を指導するか……。夏樹の方がこういうメニュー考案は得意なんだがな……。
「おはよう! ギリギリセーフだよな?」
「1分遅刻してます」
「細けぇな! 1分くらい許してくれよ!」
「ギリギリアウトです」
大幅な遅刻ではないし、別に怒っているわけでもないので、適当に夏樹で遊んでおく。
スケッチブックを抱えたふゆがドアに引っかかりながら入ってきた。
「小焼ちゃんおはよー!」
「おはようございます」
「あのね、あたし、小焼ちゃんに謝らないといけないことがあるの!」
「何ですか?」
「間違えて逆カプにしちゃったの! ごめんね!」
「よく意味がわかりませんが……許します」
「ありがとー! 小焼ちゃん大好きー!」
「だ、駄目やの! 小焼くんは、ウチのやの!」
「あ、ごめんごめん。はい、けいちゃんどうぞー!」
「きゃっ!」
ふゆに押された彼女を受け止める。兄が兄なら妹も妹だな……。
とりあえず、さっさと更衣室に案内して、早く練習をさせよう。
高校生達を更衣室に案内して、先にプールへ向かう。夏樹とふゆ、けいが後ろをついてきていた。
「夏樹は泳がないんですか?」
「おれは泳げないって知ってんだろ」
「泳げないから、泳がないか聞いてるんです。ついでに教えてやりますから着替えてこい」
「でもなぁ、水着持ってねぇし」
「レンタルできます」
「……わかったよ」
溜め息を吐いて、夏樹は引き返して行った。何処でレンタルできるか教えてないんだが……、まあ、なんとかなるか。スクール内にいる誰かに聞けばわかるはずだ。
「2人は?」
「あたしは、スケッチと写真撮影したいし、お兄ちゃんと違ってバリバリ泳げるから、見学しまーす!」
「ウチ、水着持ってないから……」
「レンタルできます」
「あんまり泳がれへんし……」
「夏樹のついでに教えます」
「で、でも……」
「嫌ですか?」
「せ、生理中やから! だ、だめ、やの……!」
「ああ、なるほど……」
生理中でもプールに入れないことはないんだが……、水から出た瞬間にドバッと出るとか元カノが言ってたような気がする。何人目の彼女だったか思い出せないが、「イメージと違った」とか失礼な物言いをされてフラれた思い出はある。思い出して少しイラッとした。
それはさておき、けいには悪いことをしたような気がする。
「プールサイドは冷えますんで、このジャージを着ててください。腹も腰も痛いでしょうし」
「あ、ありがとうございますやの」
「けいちゃん何日目?」
「2日目やの」
「え、大丈夫? いつも重そうにしてるよね?」
「うん。今日は、お薬飲んできたから元気やの……」
これは、顔が赤い理由とは関係ないか?
プールサイドでストレッチをしつつ待っていると着替え終わった高校生達が集まってきた。
普段通りの準備体操とアップをさせておいた。この時点でなんとなく実力がわかる。……なるほどな。
ふゆはデジカメを構えていたし、けいはジャージを着てベンチでじっとしていた。腹を撫でているが、痛むのか? さっきは元気そうだったが……。
「おー、皆もう泳いでんだなー!」
「……お前が来るの遅いんですよ」
「あはは、それもそっか!」
「準備体操する前に、けいを診てやってください。なんだか苦しそうです」
「おっ? けいちゃんか? あー、腹が痛そうなポーズしてんな……。ふゆのやつ、友達が痛がってんの放置してんじゃねぇぞ」
夏樹に任せておけば後はなんとかなるはずだ。
さて、何から指導するかな……。
ともだちにシェアしよう!