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第25話

「小焼。腹減ってんのか?」 「よくわかりましたね?」 「おう。なんか、そんな気がしたんだ」  そう言いながら夏樹が近付く。少し汗の香りがする。次いでタバコのにおい。頭を撫でてみる。へにゃっと破顔した。隣で「へっへっ」と息を吐いているまめたも撫でておく。くるんと巻いた尻尾を元気よく振っていた。 「まめたってお前と似てますね」 「飼い主に似るとはよく言うもんな。おれもまめたも小焼のことが大好きだぞ」 「はあ」  恥ずかしげもなく、よく言えるものだな。  もう一度頭を撫でておいた。夏樹も尻尾をぶんぶん振っているように幻視する。無いはずの尻尾が見える。  腹が空いたな……。彼の頭に置いた手を頬に滑らせ、唇を食んだ。苦い。タバコの味がする。 「禁煙したらどうですか?」 「わりぃ。こればっかりは20歳の時からやめらんねぇんだよ」 「そもそも、何で吸い始めたんですか?」 「えー? おれ、童顔だから」 「は?」 「タバコ吸ってたら、なんか、こう、かっこよく見えるかなって……」  こいつ、ばかなのか?  あきれて何も言えない。かっこよく見えるかって言われても、正直、全然見えない。彼は、目がぱっちり大きくて、いわゆる「かわいい」と言われるカテゴリーに入る顔の造形をしている。  だから、うちの母は女装モデルをさせているんだが、それをこいつはわかっていないのか?  まあ、なんでも良い。もう一度唇を重ねて舌を差し出せば絡めとられて軽く吸われた。夏樹の手が私の太腿を撫でて、痺れが這い上がってくる。 「あの2人いつまで風呂入っててくれっかなぁ……」 「というか、生理中って風呂入って良いんですか?」 「清潔にするって意味でも、体があったまるって意味でも、良いと思うぞ? 風呂からあがる時にひっくり返らなきゃなんでも良くねぇか?」 「医者とは思えない大雑把な発言ですね」 「婦人科は専門じゃねぇんだよ。おれが自信持ってわかるのは、内科と整形外科。あとは薬学かな」 「へえ」 「聞いといて興味無いって反応しねぇでくれ!」  専門については聞いてないんだが……。  ぽこぽこという効果音が似合いそうな勢いで胸を叩かれる。全く痛くはないが、胸触りたいだけじゃないのか? と思ってくる。どうやら本当に胸が触りたいだけだったようで、突然ガシッと鷲掴みにされた。 「おまえの胸ってけっこうやわらかいよな」 「男の胸揉んでどうすんですか」 「巨乳が目の前にあったら揉みたくなるもんだって!」 「そうでもないです」 「で……、もっと触って良いか?」 「……『よし』とは言いたいんですが、何も準備してないので、セックスはできませんよ」 「ん。良いよ。おれが小焼に触りたいだけだから。ふゆ達もいつ戻ってくるかわかんねぇし……。だいいち、おれ、まだ風呂に入ってねぇし!」 「そういえば、下着はき替えました?」 「まだ。もう風呂入るまではいとく」 「あの、まめたをどうにかできませんか?」 「まめた、ふゆのとこ行ってきな」  意外と賢い犬らしい。まめたは部屋から出て行った。ドアが開いたままなので気になる。 「ドア閉めないんですか?」 「閉めたいのはやまやまなんだけどさ、ほら、ふゆが」  さっき騒いでいたくらいだから、けっこう騒ぎそうだ。どうしたものか考えている間に、太腿の付け根を撫でられて、腰が浮いた。 「お、ここ好きか?」 「っ、急に触らないでください」 「言ってから触った方が良いか? わりぃわりぃ。じゃあ、半勃ちなってるし、ちんこ触るぞ」 「やっぱり……、言わなくて良いっ」  前開きから手を入れられて、触れられるだけで体が痺れる。変な感じがする。 「ぁっ、ンッあ! あッ」 「小焼、声抑えねぇと、ふゆが飛んできちまう」  そんなことを言われても、勝手に出るから抑えられない。口に手をあてても、指の隙間からこぼれ落ちる。  もっと触ってほしい。もっともっと欲しい。 「えーっと、じゃあ、おれの手噛んでて良いから。ほら」  夏樹は左手を私の口にあてる。言われたままに噛んでみる。「おまえの歯って軽く噛むだけでも痛いな」と言っている。わかっているなら噛ませるな。私は歯並びは悪くないほうだと思う。ただ、歯の形が少し尖っているだけ。肉を噛み切るのには適した歯だが、自分の頬を噛んだ時は大惨事になる。そんなこと、自分が一番わかっている。 「ンッ、ん、……、ん、あっ、んぅ、ん」 「すっげぇエロいな……。おまえ、そこらのセクシー女優より色気あんぞ」 「ばかぁっ! ひっ……、あ、で、るッ!」 「いっだぁあああ!」  夏樹の悲鳴が部屋に響く。何かが近付いてくる音がする。急いで前開きを元に戻す。涙目の夏樹の右手が白濁に汚れているので、ティッシュを適当に掴んで渡しておいた。まめたが部屋に入って来た。……なんだ、ふゆじゃないのか。心配して損した。 「指無くなったかと思った」 「そんなわけないでしょうが」 「だって、おまえ、噛むんだもん。イクならイクって言ってくれよ。本当に指が噛み千切られたかと思ったぞ」 「……言いましたよ」 「もっと早めに自己申告してくれ。イッてる時じゃなくて」 「前向きに検討する姿勢で善処することをお祈り申し上げます」 「答えは『いいえ』だな、それ」  これは『いいえ』の意味なのか? よく聞く言葉だから、『はい』だと思っていた。言葉とは難しいものだな……。意味が全然違ってくる。  腹がさみしい感覚が薄れた。もう腹は空いていない。何も食べていないのに、どうしてだろうか? 夏樹はゴミ箱にティッシュを投げ入れようとしていた。入らずに横に落ちた。部屋の中をよく見れば、ベッドと壁の隙間に丸まったティッシュが挟まっている。 「……夏樹、あのティッシュは何かの呪いですか?」 「へっ? ああ、あれは、おれの遺伝子が封印された聖なるパルプだ!」 「つまり、ヌいた後ですね。不潔だからさっさと捨てろ」 「わかってるよ。今片付けっから」 「というか、何で挟まっているんですか?」 「力尽きたからだな。小焼もあるだろ? ヌいてすっきりして、ちんこにティッシュつけて寝るって」 「ばかか?」 「……おう。そんな蔑んだ目でおれを見るな。ゾクゾクするから」  夏樹は挟まったティッシュを抜き取ってゴミ箱に投げる。入らずに隣に落ちた。下手すぎるだろ。まめたが咥えようとしたので、仕方なく拾って捨ててやった。精液の染み込んだティッシュで『取って来い』はさすがにしないだろう。  まめたを撫でつつ、改めて部屋を見回す。壁にカレンダーがかかっている。明日の日付の下に「デート!」と書かれていた。……ああ、デートなのか。そうか。  色んな物が積み上げられてごちゃごちゃしている勉強机だ。勉強するスペースは無さそうな気がする。床にも雑誌やらが散らかったままだ。これで整頓したと言われてもいまいち実感がわかない。ベッドのライトの横に箱が置かれているが、あれはゴムだと思う。なんとなくベッドの下を覗いてみる。 「わわわ! ベッド下はおれの秘宝館だぞ!」 「悲報の間違いではないですか? 何ですかこれ……、『とびっきりやわらかい巨乳の幼馴染~ギャルデビューエッチしちゃいました~』って」 「声に出して言うなよ!」 「『もちもちおっぱいギャルのアユちゃん』も気になりますけど『ふかふかおっぱいガールのミズキ』も気になりますね……」 「おっ、気になるなら見るか?」 「見ないです」  パッケージで内容がわかる。パイズリばかりのような気がする。あとは顔面騎乗だろうか。なんというか、好きなんだなとしか思えない。  更に奥を覗く。夏樹が後ろで「恥ずかしいからやめてくれよ」とか言っているが、本当にやめてほしいかは謎だ。こいつはそれなりにイジったほうが良い。 「巨乳じゃない……?」 「そ、それは駄目だって!」 「何ですかこれ?」 「あー! 見るなー!」  薄汚れたノートを開く。日記のようだ。下手でもなければ上手くもない文字が並んでいる。味があって読みやすい筆記だ。「今日はこれだけ話せるようになった。明日はもっと話せたら良いな」とか「あまいものが好きらしいから、明日は豆大福をあげよう」とか「豆大福を気に入ってくれた。初めて食べたらしい。よろこんでくれてうれしいな」とか書いてある。 「これって……」 「も、もう良いだろ! ないないしてくれ! ないない!」 「……わかりました」  ノートを元の場所に戻す。夏樹は少し頬を赤くしていた。  妙な沈黙が流れる。夏樹が黙るなんて少し珍しい。よっぽど見られて恥ずかしかったらしい。手に生温かい水がかかる。横を見る。まめたが粗相していた。 「夏樹! まめたが!」 「まめたー! トイレは向こうだー!」 「抱き上げるな! 私にかかるでしょうが!」 「あああ! 雑誌が崩れたぁあああ!」 「何なにー? えっちなことしてるのー?」 「してねぇよ! ペットシーツ持ってきてくれ!」 「はーい!」  風呂上がりのふゆが駆け足でやってきたが、事態を把握したらしく、すぐにペットシーツと雑巾を持って戻ってきた。その後ろをけいがとことこ歩いてきた。猫耳がついたルームウェアだ。もこもこしていて、着心地が良さそうだし、彼女によく似合っている。  夏樹は床を拭いてペットシーツを裏返しに置いた。ああやってカーペットに染み込んだ小便を吸い込ませるのか……。 「小焼。服は濡れてねぇか?」 「無事です。思いっきり手にかけられましたが」 「洗いに行こうな……。二人とも風呂からあがったし、おれも風呂入ってくるよ。ふゆ、おまえは自分の部屋に行けよ」 「えー、小焼ちゃんと話したいー!」 「小焼の都合も考えろよ」 「私は別に構いませんが」 「小焼はおれの気持ちを察してくれよ。わかった。ふゆ! お兄ちゃんが風呂からあがってくるまでだからな!」 「はーい! お兄ちゃん大好き―!」  ふゆは敬礼をする。夏樹は敬礼を返していた。いったい何だこの兄妹。けいが微笑んでいた。……泣いた顔と怯えた顔と照れた顔しか見ていなかったが、笑うと可愛さがよくわかる。幼さの残る笑顔だ。  とりあえず、手を洗いに行くか。風呂に向かう夏樹の後ろを歩き、洗面台に向かった。普通の手洗い石鹸と逆性石鹸、消毒用アルコールが置かれている。衛生管理が凄まじいな……、何で夏樹の部屋があれだけ散らかっているのか不思議に思うくらいだ。 「小焼。ふゆに変なこと聞かれてもはぐらかしてくれよ」 「変なこととは?」 「えーっと、セックスしたとかそういうやつ」 「してますよね?」 「それをふゆに言うと面倒臭いことになんだよ。あとさ、おまえ、けいちゃんはどうするんだ? 一応彼女ってことになってっし、けいちゃんも了承してるっぽいけど……二股してることになんぞ?」 「彼女はけいしかいませんが」 「おれの扱いはどうなってんだ?」 「夏樹は彼氏では?」 「…………そっか」 「セフレは絶対嫌です」 「わかってるよ。そんじゃ、おまえはおれの部屋戻って、ふゆと遊んでやってくれ。くれぐれも変なことすんなよ」 「わかりました。一緒にお前の秘宝をあばいておきます」 「それだけはやめてくれ! もう散々荒らされてんだよ!」  夏樹は、悲痛な声で叫ぶ。『お兄ちゃん』って大変なんだな……。  頷いて、踵を返す。  さて、本棚でも調べてみるか。

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