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第28話
頭ん中がぐるぐるしてる。下半身が痛い。先走り液で下着が濡れてる。おれ、何でこんなに興奮してんだろ。小焼といるだけで、抑えらんない。
小焼はマイペースに釣りを始めていた。後ろから抱きついたら舌打ちをされた。慌てて離れる。駄目か、やっぱり。
「釣りしてください。私の昼飯がかかっています」
「おれの昼飯でもあんだけど……。釣れなくてもバーベキューできっから」
「青い鯉食べたくないんですか?」
「それは、食べてみたい」
「じゃあ、黙って釣れ」
小焼が作るなら何でも美味いから良いんだってことは今は黙っておこう。腹が減ってきてイライラしているみたいだ。赤い瞳に朝日が射しこんで怖いくらいに美しい。髪のキラキラに光って、思わずふぅと溜息を吐くくらいには見惚れてしまう。
下半身の熱は冷めないし、下着はなんとも言えない湿り気で少し気持ち悪いけど、釣りを始める。何でも良いから釣れて欲しい。そう簡単に釣れるほど甘くないってわかってっけど、小焼は動物に好かれるんだから、魚にも好かれてくれねぇかな。食べてくださーいって来ねぇかな。
「夏樹。地球が釣れました」
「規模がでけぇもん釣ったな。貸してみ」
根掛かりしちまったようなので、小焼から釣り竿を受け取る。なるべく竿先を水面に近くして、川上に向かって引く。よし、抜けた。
「ほい」
「ありがとうございます」
冷淡な声でそう言って、すぐに投げていた。楽しんでんのかな……。表情は全く変わっていない。父ちゃんが川釣りにハマったから釣り具送ってきたって言ってたから、帰国した時に一緒に行きたいんだろうな……。
「なあ小焼。おまえって何で親と一緒に海外行かなかったんだ?」
「両親と共にいると同じ国に長く留まれないんです。せっかく美味しい料理に出会っても、次の日には別の国なんてことがあります」
「おまえ、メシのことしか考えてねぇのか?」
「そういうわけでもありませんが……、どうせ食べるなら美味しいほうが良い」
「そりゃそうだな」
「食事ぐらいしか、楽しみがなかったんです。……両親はあんな調子ですからね」
仕事が忙しくて色んな国を飛び回ってるってことは昔からよく知っている。そういや、隣の町会に引っ越してきた理由も仕事の都合だったはずだ。
それからずっと、小焼は一人にしては大きい一軒家に住んでる。小学生の時も親が海外に行くって時はおれん家にいた。なんだか知らないが、おれは小焼の母ちゃんにえらく気に入られたぽかった。
だからって、女装モデルはどうなんだろうっていつも思う……。断り切れなくて一度引き受けたら最後、ずぅっと頼まれ続けているし、なんなら「カワイイ」って評判なのが困る。26歳の男にカワイイってどうなんだよほんと……。
「釣れました」
「おっ! やったな!」
「何でしょうね、これ」
「魚だな」
「魚ですね」
クーラーボックスに本日の昼メシが1匹追加された。名前がわからないけど、魚だ。
小焼の口が微かに傾斜を描いている。あ、笑ってんだな。釣れて良かった。なんて名前かわかんねぇけど、白い斑点模様がキュートな魚だ。
お、かかった。糸を巻き戻す。名前のわからない魚2匹目。
「何でしょうね?」
「ミズタマウオじゃねぇか?」
「そんなふざけた名前の魚いるんですか?」
「スベスベマンジュウガニがいるんだから、ミズタマウオがいても良いだろ」
「何ですかその美味そうなカニは」
「言っとくけど毒があっからな、スベスベマンジュウガニ」
毒があると聞いて小焼は少し眉を下げた。そんなに食いたかったのか、スベスベマンジュウガニ。
仮称ミズタマウオをクーラーボックスに入れる。これ、毒あったらどうしようかな……。キャンプ場の人に聞いてから食おう。
日が昇っていく。そこいらにいた釣り客も引き上げ始めた。
「鯉釣れないですね」
「川だし、いると思ったんだけどなぁ。あ、小焼、引いてるぞ」
「はい」
なんだか大きそうなしなりをしているから、鯉か? 少し期待をしたが、釣り上げられたのは、これまた名前がわからない魚だ。
「アカイミズタマウオですかね」
「アカイミズタマウオだな」
仮称アカイミズタマウオがクーラーボックスにぶちこまれる。思っていたよりもけっこう釣れた。良かった。何でも良いから釣れて、本当に良かった。
その後は周りの釣り客もいなくなったし、引き上げることにした。バーベキューのところもオープンしてる時間だから、少し早めの昼メシにちょうど良い。
注意しつつ川沿いを下りていく。けっこう上のほうまで来てたんだなぁ。下流では少し早めの川遊びをしている子供もいる。今日はあったかいし、少し汗ばむくらいだから良いな。
「あ! 夕顔くーん! 伊織くーん!」
「はい?」
「望月だよ。同じ水泳部だろ」
「ああ、そうでしたね……」
こんなところで水泳部のやつと会うと思わなかったな。おれと小焼が一緒にいるのを何とも思わなきゃ良いんだけど……。
「2人もデート?」
デート認識されてるから駄目だぁ!
って、今、望月は「も」って言ったな? 望月の隣を見る。けっこうゴツイ男がいた。小焼とは筋肉の付き方が違うから、水泳部ではないな。水泳部のやつなら、全員わかる。
デートって答えて良いのか悩んでいたら、小焼が口を開いた。
「夏樹は私のパートナーですよ」
うん。パートナーなのは間違いない。小焼は嘘を何一つ言ってない。でもな、今はデートかどうかって話だからな。適切な答えではないような気がするぞ。言えねぇけど。
「そっかそっかぁ。ボクはね、彼氏とデート中! ゆーくん、紹介するね。こちら、同じ水泳部の夕顔小焼くんと、そのパートナーの伊織夏樹くんだよ」
「初めまして。オレは白峰 雄馬 といいます。陸上部ッス」
「あ、どうも初めまして。おれは小焼の専属スポーツドクターの伊織夏樹です」
よくわかんねぇけど、自己紹介されたから返しておこう。小焼は黙って頭を下げていた。こういう礼儀はきっちりしている。名乗ってねぇけど、紹介されたからだろうな。
「ゆーくんはねぇ、すごぉいんだよ。砲丸投げと短距離走でいつも入賞してるのぉ」
「夏樹だって、がんばったで賞を貰ったことありますよ」
「小焼。恥ずかしいからそれは言わなくて良い……」
そういうので張り合うのは無理だって。負けず嫌いなところがあるから、仕方ないとは言え、がんばったで賞は恥ずかしい。それならまだ、夏休みのラジオ体操皆勤賞のほうが良かった。
今はただ、バカにするようなやつに出会わなくて良かったと思っておこう。
望月と白峰はこの近くの乗馬体験をしに来たらしい。キャンプ場の案内にも書いてあったな……。乗馬も気になるけど、小焼が馬を見て「馬刺し」とか言いそうなんだよなぁ……。
ん? なんだか、騒がしいな。
「あー! 女の子が流されてる!」
望月の声で川を見る。赤い服の女の子が溺れていた。やばい。枝に服が引っ掛かってて止まった。手をバタバタしている。あんままじゃまずい!
川のほとりには女の子の母親らしき女性、数人の大人が集まっていた。
「ボク、助けに行くよ!」
「お、おい!」
望月はすぐに上を脱いで川に入っていく。水泳部だし、泳ぎには慣れてるから、余計な心配はしなくて良いか? と思って見ていたら、小焼が脱いでいた。バッグからおれの首輪を出している。え。何で首輪……?
「夏樹。クーラーボックスの中身を今すぐ全部捨てろ!」
「お、おう! わかった!」
肩に提げていたクーラーボックスをひっくり返す。ミズタマウオとアカイミズタマウオが川に帰っていく。
ああ、そっか。おまえ、やっぱり根は真面目で優しいんだな。わかりづらいけど。
おれは首輪を小焼の腕に巻き付ける。小焼は空になったクーラーボックスを肩にかけてから、白峰にリードを渡していた。うん。おれに力が無いことがわかっているの少し悲しいけど、懸命な判断だ。
「私が2人を掴んだら、貴方はこれを引いてください」
「わ、わかったッス!」
白峰と共にほとりに近付く。このリードは30メートル伸びるはずだ。水遊びもできるものだって小焼は言っていた。
望月が女の子の側に辿り着いた。ほとりでは歓声がわいたが、すぐに悲鳴に変わった。溺れてパニック状態の子に近付いたら……引きずり込まれちまうよな。講習会で見たことがある。水泳部でも溺れるんだ。
「今から助けに行くので、安心してください!」
声をかけて、深く息を吐いてから、小焼は川に入っていた。綺麗に泳ぐ。さっき川に帰したミズタマウオとアカイミズタマウオも一緒に泳いでるんじゃねぇかな。小焼の泳ぎは安心して見ていられる。あっという間に2人に辿り着いて、望月にクーラーボックスを掴ませ、女の子を抱えた。
「夏樹―!」
「あいよ!」
小焼に呼ばれたので、白峰と共にリードを引っ張る。さすがに重い。近くにいた男達が集まってきて、一緒になって引っ張り上げた。ほとりに3人が辿り着いて歓声があがる。喜ぶのはまだ早い。
「夕顔くんごめんねぇ」
「最初から期待していないので詫びなくて良いです。夏樹、後は医者であるお前の仕事です。任せました」
「おう。救急に電話しといてくれ」
「わかりました」
持ってきていたバスタオルを敷くと、小焼は女の子の顔を横向きにして寝かせてくれた。言わなくてもきっちりわかってくれてるから助かる。救急への連絡もしてくれるようだ。
女の子の母親らしき女性が寄ってきた。
「娘を! アンナを、助けてください!」
「夏樹が助けるので、この子の年齢と何をして溺れたか教えてください」
「3歳です。飛び込んで遊んでいて……」
まだ水温もそう高くないってのに、元気だな。小焼が少し震えてるくらいだ。服を脱がせて保温してやりたいけど、野次馬も集まってきちまってるし、注目の的にされるのは可哀想だ。ビデオ撮影してるやつもいそうだな……。不謹慎だっての。
とりあえず、先に意識と呼吸の確認だ。飛び込みしてたってなら、頸を怪我してないか見ておかねぇと。
「アンナちゃーん、聞こえますかー? 聞こえるなら、手を握ってくださーい」
女の子に呼び掛けながら、胸の上にある小さな手に指を置く。反応は無い。意識無し、か。肩を叩いても反応が無い。頸に怪我はない。前頭に傷がある。頭を打って気絶したのか? いいや、手をバタバタさせてたから途中までは意識があったはずだ。小焼が抱え上げて安心して意識がとんだか? それとも、抱え上げたからか? いや、そこよりも、もっと診てやんねぇと。おれが助けてやんねぇと。
呼吸はしている。でも、ゆっくりだ。腕時計を見ながら呼吸数と脈を診る。呼吸は1分間で11回。少ない。脈拍も48回。スマホのライトをつけて、瞼を引っ張って瞳孔を診る。大きさが左右で少し違う。右目が散大してるし、光が当たってんのに反応が無い。血圧は橈骨動脈 で触れるから、80mmHg以上は類推できっけど……、どうだろう。
「アンナは助かりますよね!?」
「夏樹は超ウルトラハイパーデラックスハッピーベリーデリシャススポーツドクターなので任せておけば大丈夫です」
それ、今言うと不安にならねぇかな!? 恥ずかしいし!
救急車のサイレンが聞こえる。思ったよりも早く来てくれたのか、おれが考えている時間が長かったのかわからない。手当てらしい手当てもできていない。救急隊員が走ってくる。
「救助中には意識がありましたが、救助後に突然の意識障害。頭部強打による出血が疑われます。意識レベルはJCS3ケタ。呼吸数は1分間に11回の徐呼吸。脈拍は48回。血圧は橈骨動脈で触れました。身体所見としては、瞳孔不同があり、右が散大しており対光反射もありません」
「承知しました」
伝わったから、後は任せておけば良い。きっと助かるはずだ。おれは何もできなかったけど……。
母親が何度も頭を下げてお礼を言いながら救急隊員についていった。
「夏樹。これ、取ってくれませんか?」
「おっ、忘れてた。今取るよ」
小焼の腕についていた首輪を外す。跡が少し残ってるけど、そのうち消えるかな。まばらに拍手が聞こえたと思ったら、どっ、と歓声がわいた。「よくやった!」とか「すごい!」とか、そういう、褒めている声が聞こえる。小焼が周りを見て、目を細めていた。ああそっか、こういう歓声にこいつは慣れてるんだ。おれは何にもしてない。何もできてない。医者だってのに、ろくに手当てもできてない。なんだか涙が出てきた。
俯いたら、小焼に頭を撫でられて、横から望月に抱きつかれた。苦しい。
「夕顔くんも、伊織くんもすごいよぉ! あんなに冷静に救助できて!」
「おれは何もしてねぇよ」
「何言ってるの!? 救急隊員さんにあれだけ正確に症状を伝えてるんだよ! すごいよぉ!」
「望月の言うとおりですよ。夏樹がいなかったら、適切な処置を取れずに右往左往したでしょうから」
「夕顔くん、ボクの名前覚えてくれたんだ!」
「……さっき夏樹が言ってたので」
小焼の返答に望月は肩をがっくり落としていた。白峰が横で笑っている。小焼はこういうやつだから仕方ない。
その後、小焼が「注目されたままなのも、濡れたままなのも嫌だから着替えたい」と言うので、駐車場に戻って、車の中で2人して着替えた。服は望月に抱きつかれて濡れたし、ズボンも下着も色んな意味で汚れたし、釣り道具も車内に置いていけるし、ちょうどいいタイミングだったと思う。
「ミズタマウオとアカイミズタマウオ食べられなかったですね」
「まあ、また来たら良いんじゃねぇかな」
「それもそうですね」
バーベキュー予約してて、本当に良かったな……。胸を撫で下ろす。
キャンプ場の受付で食材を受け取る。さっき川にいた人だったらしく、魚を皿に乗せてくれた。ミズタマウオだ。
「ミズタマウオ……」
「これはヤマメですよ」
小焼の呟きを聞いたスタッフが笑顔で教えてくれた。……笑われたからか、小焼が少し不機嫌になったような気がする。腹も減ってるだろうし、不機嫌か。
何か余計なことを言いそうだったので、小焼の腰を押して、さっさと受付を去った。
さて、もう2時を過ぎちまったけど、遅めの昼メシといくか!
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