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第31話
体のあちこちが痛い。主に隣で車の運転している夏樹のせいだ。肌がつやつやで卵のようだな……と思ったが、卵もよく見たらざらざらだから、ゆで卵のような肌だな。頬をつっついたら「ふぇ?」と間抜けな声を出した。
「何だ小焼?」
「夏樹の肌ってつやつやですね」
「そっかなぁ? あ、昨日ヤりまくったからかもしんねぇな!」
「……」
「わりぃ」
夏樹は眉を八の字に下げている。まあ、済んだことをとやかく言うのもどうかと思う。円座クッションを買おうとは思ったが。
「小焼。しりとりしようぜ。おれからな。りす」
「スクール」
「ルーレット」
「トーテムポール」
「ルール!」
「ルーブル」
「え、また『ル』か!?」
「5、4、3、2……」
「ル、ルウ!」
「ウール」
「えー! ずるい! 小焼ずるいぞ!」
「何がずるいんですか。しりとりに付き合ってるだけありがたいと思ってください」
あんまりにもくだらないやりとりだな。この年にもなって、しりとりなんてして。小学生がバスでやるもんだろ。
夏樹は「るーるー」言っている。まだ考えているらしい。既に時間切れで負けてるんだが、まだ続ける気なのか。
「あ! ルチル!」
ドヤ顔で言われて困る。
「瑠璃も玻璃も照らせば光る」
「何だよその言葉!?」
「ことわざですよ」
「知らねぇよそんなの。意味は?」
「すぐれた素質や才能がある者は、どこにいても目立つという例え。 また、そのような者が活躍の場を与えられたときには能力をいかんなく発揮するということ」
「……何でおまえそんなの知ってんの? あれ? おれより日本に住んでんの?」
「夏樹がばかなだけでは?」
「バカって言うほうがバカなんだからなぁ!」
この会話が既にばからしいんだが……、そっとしておこう。
けっきょく、夏樹は「る」のつく言葉が思いつかずに降参した。既に時間切れで勝敗は決まっていたんだが、どうして気付いていないんだか。
学校には昼前に着いた。車を学生用駐車場に停めて、荷物を担ぐ。釣り具は後日夏樹の家に取りに行こうと思う。放っておけば持ってきてくれそうな気もする。
校門の前には見慣れないほど人がいた。大勢と言うまでもないが、普段よりは多い。その誰もがこっちに向かって駆け寄ってきた。『取材班』と書かれた腕章が巻かれていた。
そういえば、夏樹が川でのことがネットニュースになったとか言っていたな。それの取材か。面倒臭い。人が多いのは嫌いだ。黙って通り過ぎたいところだが、そうもいかない雰囲気がひしひしと伝わってくる。囲まれているからどうしようもない。
「夕顔くん、伊織くん、ですよね? 白浪新聞社の鈴木です。水難救助についてお伺いしたいのですが」
「おれも小焼も今から講義があるから、そういうのはちょっと……」
「今は昼休みに入ったばかりですよね?」
「うっ」
「町角調査員の広瀬です。アンナちゃんの救出についてコメントをお願いします」
「アンナちゃんはどうなったんですか?」
「ビブリー広報の山内です。搬送先の病院で緊急手術を行い、一命をとりとめました! 夕顔くんと伊織くんの活躍は昨日弊社のネット版で報道させていただいたとおりです」
「はあ?」
「今日はお二人のお人柄を詳しく知りたいという方々のために――」
騒がれるのは苦手だ。うるさい。キャンキャンやかましい。
どうしてキャンプ場でのことがニュースになったのかもわからない。
勝手に撮影されて、勝手に騒がれて……。そっとしておいてほしい。関わらないでほしい。無関心でいてほしい。
勝手に期待されて、勝手に失望されるのはもう嫌だ。
「おれも小焼も、ただ、目の前の人を助けたいと思っただけです。これでコメントになりませんか?」
「もう少し頂きたいですね。例えば、お二人のご関係についてとか」
記者の一人がニヤニヤしながら言う。
きもちわるい。吐き気のする笑みだ。ひとをばかにしている笑みだ。
「関係って……、競泳選手とスポーツドクターとしか言いようが」
「それ以外にも、あるんでしょ? ほら、数日前に騒がれていたじゃないですかぁ」
「何を?」
「とぼけないでくださいよ。お二人が、こう、親密な仲だってこと」
「確かにおれと小焼は昔からの親友ですけども」
「そうじゃなくて、コレ、なんでしょ?」
そいつの言葉に、周囲の記者も顔をひきつらせていた。
きもちわるい。うるさい。
思わず出そうになった手を夏樹に掴まれた。手が冷たい、震えている。彼の呼吸が激しく乱れているのがわかる。
「もう認めたらいかがです?」
「認めたらどうなるんですか?」
「へっ?」
「認めたらどうなるか聞いてるんです。貴方は何が言いたいんですか? 私は日本語がよくわからないので、できれば質問はオランダ語でお願いします。母国語ですので」
祖父の、だけどな。
何故か後ずさりをされたので、夏樹を担ぎ上げて、その隙間から逃げ出す。
後ろから叫び声が聞こえてきたが無視する。ああいう類は無視するのが一番だと父は言っていた。
キャンパス内は関係者以外立ち入り禁止だから、ここまで追ってくる事はできないはずだ。警備員もしっかり見張ってくれていた。
噴水の前で夏樹をおろす。彼はそのまま座り込んでしまった。呼吸が乱れたままだ。肩が激しく上下している。
「夏樹? 大丈夫ですか?」
返事は無い。地面に涙の跡ができている。
どうしたら良いかわからない。苦しそうにしていることしかわからない。医学部の棟が近いから誰か通ってくれないか? 辺りを見渡す。人影は無い。誰か呼びに行くにしても、夏樹をこのまま一人にして大丈夫か? もう一度担ぎ上げるか? しかし、動かしてまずいものだったら……、どうしたら良い……?
「どうかしたかい!?」
「あ、……急にふさぎこんでしまって」
「ああ、過呼吸だね。って、あれ、またあんたか!」
知り合いなのか? 夏樹が好きそうな巨乳のギャルだから、もしかしたらナンパでもしていたかもしれない。
いかにも遊んでいそうな巨乳のギャルだが、バッグからふせんの大量についた看護学の教科書が飛び出ている。それと、漫画の表紙らしきものが見えていた。秋ノ次冬夜……、なんだかどこかで聞いたような名前だな? 有名な漫画家だったか?
とりあえず、人を見た目で判断してはいけないな。
任せている間に、治ったようだ。
「わりぃ、ごめんな小焼。驚かせたろ?」
「……それ、よくなるんですか?」
「たまにな。で、ありがとな、はる。また世話になっちまったや」
「あんたねぇ、この前殴り損ねたんだから、殴らせな!」
「痛っ!」
ペチンッ、小気味の良い音が鳴る。頭を殴られた夏樹は地面にべったり倒れていた。
「あたいのこと『おっぱい』って言ったの、忘れないんだからね!」
「そんなこと言ったんですか」
「だ、だって、おっぱいがでっかいから、痛い痛い痛い! ごめんってぇ!」
「こいつ、マゾなんで、もっと踏んで良いと思いますよ」
「それだと喜んじまうじゃんか! 嫌だよもう!」
ピンヒールで5回ほど踏みつけてから、巨乳のギャルは去っていった。
……なんだったんだろうか。
夏樹は地面に座りなおした。
「で、大丈夫ですか?」
「おう。落ち着いた。ごめん」
「謝ってもらわなくて良いです」
「……ううん。ごめんっ。ひっく、変なのが、……ふぇっ、く、ぇ」
大きな瞳から涙が溢れている。仕方ないので、私も座って抱き締めてみた。小さく「おっぱい……」と聞こえた。……元気なのか? 落ち込んでいるのか? どっちだ? 胸を鷲掴みにしてきたので、元気か。
「夏樹。私の胸揉む元気はありますよね」
「おっぱい揉んだら元気になった!」
「は?」
元気になったって言うなら、もう離れて良いな。少しぐずっているが、泣き止んではいる。頭を撫でておこう。にこにこ笑った。
「へへっ、撫でてくれて嬉しい」
「はぁ」
「でも、どうすっかな……。きっと帰りまでいるぞ、あいつら」
「なんだか気持ち悪い笑みでしたけど」
「うん……。ごめん。やっぱり、どっかで誰かが見てんだな……」
「お前が私にキスマークつけすぎたからでは?」
「げっ! 確かにめちゃくちゃ見えてる! それか!」
「……もう、これは蕁麻疹とでも言うしかないんですけど」
いくらなんでもつけすぎだ。蕁麻疹と言い張っても通りそうなくらい広範囲になっている。
夏樹は地面をいじっている。へのへのもへじを描いている。なんとも微妙な絵だ。私よりは上手いとは思うが。
「それよりも、どうしてこう隠そうとするんですか?」
「へっ、何が?」
「何がじゃないですよ。私とお前の関係です」
「だって……、変、だろ? 気持ち悪いって思われたら、嫌だろ……?」
「好きなものは好きだから仕方ないでしょうが」
「そうだけど! そうだけど、さ……。ここじゃ、そうもいかないんだよ。なんか、好奇の目で見られんだ……。性同一性障害とか、そういうのも、けっこう知識として広められだしてっけど、まだ、……そういうの、認めてくれない人も多い。同性愛ってだけで、気持ち悪いとか思う人も……多いし……」
また呼吸が乱れだしたな。目に涙が溜まってきている。泣き止んでいたのに、ぶり返してきたか。
「おれ、は……小焼のこと、好き、……好き……、好きだから……」
「わかりましたよ。もう喋らなくて良いですから」
世間体を気にして、だったな。それをどうにかするために、一応、仮としても彼女のけいがいるんだが、あの子を記者に紹介するのも可哀想だ。どう考えても、内気な彼女が爆死してしまうと思う。真っ赤になってぶっ倒れてしまう。ふゆに頼ったのが間違いだったのか? なんだか更に悪化させてしまった気がする。
もう、いっそのこと、はっきりさせておいたほうが良い。
「さっきのやつら、ぶっとばしてきます」
「待て待て待て! 傷害事件だけはやめてくれ! 大会に出られなくなるだろ! おまえの泳ぎが見れなくなるのは嫌だ!」
腰に夏樹が抱きついてきたが、そのままかまわず駆け出した。後ろで「ああああああ!」と叫んでいるのがうるさい。離せば良いのに、ひきずられても腰にしがみついたままだ。
校門には、まださっきの記者たちがいた。ニタニタしながらこちらを見ている。
「すみません。お話の途中で夏樹が小便を漏らしてしまって」
「漏らしてない!」
「いえいえー。それで、何かお話してくれる気になりましたぁ?」
車に置いてきてしまった夏樹の小便入りペットボトルを渡してやりたいところだが、やめておこう。夏樹が可哀想になる。
それにしても、ばかにしている笑みだな。目に激辛スパイスを塗りこんでやりたい。
夏樹の呼吸が乱れる前に、話を終わらせるか。
「質問は何でした? 夏樹には聞かないでください。私が答えます」
「それでは、お二人の関係について」
「夏樹は私のパートナーです。巨乳好きなばかですが、真面目で、誰にでも優しく、救急手当てもできる優秀なスポーツドクターです」
「そのパートナーとは、どういう意味でぇ?」
「Ik ben een kat 」
「え?」
「はい?」
「い、いま、何と言いました?」
「一度で聞き取っていただけませんか? Ik ben een kat と言いました」
「夕顔くん。大人をからかうのもいい加減にしてくれないかな?」
「からかってないですよ。記者なのに、取材相手の母国語を調べないのは、そちらの勉強不足です」
「何だと!? 優しくしてるからって調子にのりやがって! このホモ!」
「私も貴方も同じホモサピエンスです。あと、オランダでそれを言うと……、きっと良くないことになりますよ。Klootzak 」
「ああもう! 書いてやるよ! ホモ野郎だってな!」
ああいう悪役が深夜アニメにいたな……。そう考えている間に、ニタニタ笑っていた記者は引き返していった。
他の記者たちが気まずそうにこちらを見ている。
「何か聞きたいことがあるなら、お答えしますが?」
「そ、それでは、今期の目標を……」
「とりあえず、自己新記録の更新ですかね」
「救助したアンナちゃんへ何かメッセージはありますか?」
「特に無いですが、お大事にとお伝えください」
「あ、あの、アンナちゃんのお母さんから『お礼をしたい』と弊社にメールを頂いてまして……」
「お礼ですか……」
それなら私よりも先に飛び込んでいった望月に譲っても良いと思う。一緒に溺れてはいたが、あいつが気付かなかったら、あの子はあのままだったはずだ。しかし、私にお礼をしたいようだから、断るのも失礼か……。
「何か欲しいものがあったら、と」
「欲しいもの……。良質な睡眠。つまり、快眠グッズが欲しいです。もしくは、美味しい食事。食べ放題なら嬉しいです。おかわり制限の無いものが好ましい。あとは、豆大福。私が一番好きな菓子です。粒あんのものが良い。それと――――」
振り向く。夏樹がぼうっとしていた。
「夏樹 が欲しい」
「ふぇっ!? おれ!?」
「以上です。繰り返しましょうか? 私が欲しいものは、良質な睡眠、美味しい食事、豆大福。それと、夏樹です。最後のものは既に手に入っているようなものなので、他のものをお願いします。では、そろそろ講義が始まりますので失礼します」
「あ、はい。ありがとうございました……」
「ちょっ、ちょっ、小焼! 待てって! おれを置いていくな!」
背後から夏樹の声がする。放っておいてもついてくるから振り返る必要は無い。無いはずの尻尾を振って、キャンキャン鳴きながらついてきている。
足を止めれば、走ってきていた彼が私の背中にぶつかった。
「あいたた、急に止まるなよ!」
「……教科書を忘れた」
「へっ?」
「夏樹。教科書持ってないですか?」
「おれ、医学部だし、院生だぞ」
「マウントですか?」
「ちげぇよ! 学部が違うんだから、何の教科か知らねぇけど、持ってるわけねぇだろ! あ、あと、さっきのあれは何だったんだよ!? 『吾輩は猫である』とか言い出すし、欲しいもののあれも!」
「もう講義が始まるので、終わってからで良いですか? 夏樹も早く行かないと遅刻しますよ」
「小焼ぇー!」
まだ10分あるから余裕なんだが、変に気恥ずかしくなったので、駆け出した。
胸のあたりが熱い。少し、すっきりしたような気分だ。
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