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第32話

 何であいつあんなこと言ったんだ……? 変なのが寄りついてきたら困るから、彼女も……仮だけど、作ったってのに……。  何だよ、欲しいものがおれって。あんなこと言われたら、どうしたら良いかわかんなくなっちまう。  スマホが震えてる。ふゆからメッセージが届いていた。 『お兄ちゃん、大変だよ!』  添付されていたリンクを開く。……ああ、もう、さっき小焼につっかかってたやつが記事書いたのか。しかもけっこうネットニュースとしては大きな会社のとこのやつだったようだ。こりゃ、すぐに学内に拡がっちまうな……。  ところどころで休憩している学生達がこっちを見て話している。……もう帰ろうかな。いや、帰ったら負けたような気がしてくる。勝負でもなんでもないのに、負けたような気になる。  また溢れそうな涙を拭う。駄目だ。泣いたら、駄目だって。男がそんなに泣くもんじゃない。落ち着け。大丈夫だから。まだ、大丈夫だから。あ、やっぱり駄目かも。また息ができなくなってきた。視界がグラグラする。まずい。歩くのは無理だ。しゃがもう。そんで、少し落ち着いたら、移動しよう。  頭ん中を声がグルグルしてる。耳鳴りがする。どうしよう……。 「大丈夫ですか!?」  声が上から降ってくる。3人ぐらい、いると思う。影でしかわかんねぇけど。向こうのほうを歩いていた人かな。  答えたいけど、声が出ない。酸素を求めてる金魚のようにパクパクするだけだ。ああもう、情けないったらありゃしない! こんなんじゃ、小焼のケアもできない。自分のメンタルがボロボロじゃねぇかもう! 「えーっと、医務室に行きましょう!」 「抱き上げますねー!」 「先生呼んできた方が良いかな?」 「医務室に行けば大丈夫じゃない?」  あ、4人いたのか。  抱え上げられた。簡単に運ばれるおれ……。ちょっとかなしい。  白衣を着ているから、医学部の人だな。初々しさがあるから、一年生かな……。なんでもいいや。この人達の優しさに甘えておこう。 「伊織さんですよね? ネットニュース読みました! 茉奈も読んだよね?」 「うん。読んだ。夕顔さんは一緒じゃないんですか?」  ……やっぱり、そういう話題になんのな。キャンパス内のどれだけの人数がおれと小焼のことを知ってんだろ。興味無いやつ以外は、こうやって話しかけてくんのかな? 小焼も話しかけられてんのかな? ……あいつなら、英語かオランダ語で返事して距離を取るかな。睨んだら避けられっし。おれも、あれだけ逞しかったら良かったのに。 「こら塩崎ツインズ、伊織先輩は今喋れないんだから話しかけるなよ」 「そうそう。川でのことは後でゆっくり聞こっ!」 「わーい、後で楽しみー!」 「楽しみー!」  ……川のほうの話題か。あれもあれで、どっから個人情報を出されたかわかんねぇから怖いんだけど……、小焼はそこそこ有名だから、わかる人にゃわかるか。競泳のオープン試合とか見てたら、知っててもおかしくねぇもんな。あいつ、目立つし、色んな意味で。  実はもう落ち着いてるんだけど、運ばれておこう。脚はまだ痺れている気がする。酸欠だろうな、これ。あー、どうして自分の手当てはこうもできないんだろ。  医務室に運ばれて、先生の指示でベッドに寝かされた。ストレスと疲労だろうから休憩が必要だってさ。心当たりがありすぎる。 「えっと、ありがと……」 「いえいえー!」 「どういたしましてー!」 「茉奈は、塩崎茉奈! こっちは双子の姉の美奈」 「初めまして。美奈は、塩崎美奈です!」  同じ顔の女子が2人だ。左右で髪飾りのリボンの色が違う。青い方が美奈で、赤い方が茉奈か。  その後ろに男女がいる。背が高くてゴツめだ。水泳部とも陸上部とも筋肉の付き方が違う。これは、実用的な筋肉じゃなさそうだな……。小焼に言わせたら「無駄な肉」。 「俺は御園ゲンゴロウ。こっちは彼女の井村洋子」  ゲンゴロウって、強そうな名前してんなぁ。言えねぇけど!  彼女さんは軽く頭を下げた。おっぱいがぷるぷる揺れた。清楚めのギャルだ。……白ギャルだ。 「で、で、夕顔さんはいないんですか!?」 「あー、小焼なら、講義に行ってるよ……」 「伊織さんは凄いです! あんな辺鄙な場所でもすぐに病状を把握して!」 「あ、ありがとう……」  勢いがすごい。こりゃ小焼の苦手なタイプの子だな。  その後は、3コマ目が終わるまで、何やかんやと川での話をした。あのニュースは見てねぇのかな? ……交際してるとかなんとかそういうの。カミングアウトって書いてたっけ? きちんと読んでない。読む必要も無いと思う。きっと、否定的なことしか書いてないんだ。読んだらまたぶっ倒れそうな気がする。  塩崎ツインズは4コマ目に向かったので、医務室にはカップルが残っている。 「ツインズがお騒がせしました」 「あー、いや、気晴らしになったから、良いよ。ほんと、助けてくれてありがとな」 「いえいえ。俺は当然のことをしたまでです!」 「あの2人がいなくなったから、伺いたいんですが……、夕顔くんとの関係は本当ですか?」  彼女がスマホでネットニュースを表示しながら尋ねてくる。逃げ場がないなこれ……。もう、どこにも行けない。黙って首を縦に振る。 「安心してください、私、男です! ちなみに本名は洋次郎です。次男坊です!」 「そのおっぱいは?」 「手術しました! 下はまだあるんです、あはは」  ……ちんこついてる巨乳の白ギャル。  この子は良い子だ。間違いない。おっぱいが大きいから良い子だ! 「伊織先輩に会えたら聞きたい事がいっぱいあって、あの、この、IMGの服なんですけど、私でも着れますか?」 「あ、うん。撮影用のはおれに合わせて少し小さめにしてあっけど……って、何でおれがモデルって知ってんの!?」 「ここのキャンパス内でも、IMGもIMWも、なちゅちゃんのファンも、けっこういますから! あ、バエスタのフォローしてます!」 「その名前で呼ばないでくれぇ。あと、フォローありがと……」  バエスタのアカウントは小焼の母ちゃんの事務所の日本支部で管理してるからおれは何もしてないんだけど……、お客様だからお礼言っとこ……。白ギャルだけど、ゴス系も着るんだなぁ……。 「お会いできて嬉しいです! これからも応援してます!」 「ありがと……」  これはこれで、色んな意味でつらい。  そんで、握手を求められたから応えて、2人は去っていった。  けっきょく、今日の講義出れなかったな……。ゼミ室覗いて帰るか……。慎吾もミラも好意的だから、大丈夫だよな?  医務室の先生にお礼を言って、ゼミ室に向かって歩みを進める。こっちを見てひそひそ言ってる人もいる。何の話をしているかはわからない。けど、きっと、小声でしか言えないことなんだ。胸が苦しい。  気付いたら駆け出していた。色んな音が洪水のように耳に流れ込んでくる。何も聞きたくない。  好きなものは好きなんだから、おれにはどうしようもないんだよ! 小焼だって、仕方ないって言ってた! 「おっと! ぶつかってんじゃねぇよ!」 「すみません……」 「あれれー? 夕顔くんの彼女ちゃんじゃないでちゅかー?」 「彼氏と喧嘩でもちまちたかー?」  何だコイツら。気持ち悪い。何もかもが面倒臭くなってきた。  殴ったら、おれは負ける。確実に負ける。喧嘩なんでできない。傷害事件を起こしたら、小焼の側にもいれないし、小焼が泳げなくなるかもしれない。  いっそぶん殴られて訴えても良いか? でも、愛も何も無い殴打は嫌だ! 逃げるにしても、すぐ追いつかれそうだ。こんな面倒臭い絡み方してくんだから、金が欲しいとかなんだろうけど、何でこんなクソ野郎におれが金を払わなきゃいけねぇんだよ。 「あらあらー、黙っちゃってぇ、彼氏を呼ばなくて良いんでちゅかー? たすけてーって」 「……さっきから人が黙って聞いてりゃめちゃくちゃ言いやがって。おれは、彼女じゃねぇんだよ! おれが! 小焼を! 抱いてんだ! このバカ! てめぇらの静脈に塩化カリウムと硫化カリウムワンショットしてやろうか! バカ! このバカ! クソバカ! アホ! カス! ナスビ! ヘンチクリン! あーもう! どいつもこいつも、おれを彼女扱いして、何だってんだよ!? もう一度言うぞ! おれが、小焼を抱いてんだ! おれがちんこ突っ込むほう! あいつが突っ込まれるほう! わかったか! このバカ!」 「ばかはお前でしょうが。大声で何言ってんですか……」  後ろから聞き慣れた声がした。振り向く。普段と表情は変わらないが、殺意のこもった赤い目が輝いて見えた。まずい。めちゃくちゃ怒ってる。殺される! 「おまえら、ここはおれに任せて逃げろー!」 「ひ、ひぇええええ!」  殺意が通じたらしい、気持ち悪い2人組は一目散に逃げていった。  ふぅ、これで、死人は出なかったな。……おれ以外。  肩を力強く掴まれる。痛い。めちゃくちゃ痛い。痛いのになんだか気持ち良くなってきた。やっぱり愛のある暴力が良い。痛いけど、めちゃくちゃ痛いけど。 「え、えーっと、講義お疲れ様デス。小焼様……」 「何でカタコトなんですか? 様付けもやめてください」 「あ、ははは……、あ、あの、どこから聞いてた?」 「お前の語彙力の無さ過ぎる罵りの前からです」 「全部か。そっか、全部だな」  小焼は溜息を吐いた。いつものあきれている溜息だ。それから、唇を軽く重ねた。  今「きゃあ」って声が聞こえた。え、けっこうな人が集まってきてたんだけど? あれ? 何してんの? え?  おれが混乱している間に、もう一度キスされる。しかも今度は深く。後頭部をがっしり掴まれて逃げられない。胸を押して離そうとしても、おれの力じゃ小焼にはかなわない。歯列をなぞって舌が挿し込まれて、奥に逃げようとした舌を絡めとられた。 「ん……っ、んんっ、ん……、んぅ、ンッ」  酸欠で頭がぼーっとしてくる。何でこいつこんなにキス上手いんだよ。腰が砕けたところを支えられた。 「見世物じゃないので、見ないでもらえますか?」  小焼はこっちを見ていた人らに声をかける。観衆はささっ、と目をそらした。  濡れた赤い瞳に睥睨される。あああ、おれ、死ぬかもしれない。グッバイこの世! 「さっき、けいから電話があって、フラれました」 「えっ!? フラれた!?」 「はい。『好きな子ができたから別れたいやの。やっぱり仮は嫌やの』『夏樹くんとお幸せにやの』とのことです。今後はお友達として付き合ってくれるそうです……。ロリ女子高生の友達って響き、良いですね」  キスからの衝撃のお知らせで混乱してきた。「やの」の破壊力が凄い。  またフラれてるし……。これで何人にフラれたんだこいつ。好きな子ができたってまともな理由だったのが救いだけど、もしかしたらネットニュース読んでフッてんのかもしれねぇな。けいちゃんすごく良い子だし。 「というわけで、二股ではなくなりました。私には、夏樹しかいません」 「……おう」 「私の欲しいもの、もう一度言いましょうか?」 「覚えてるよ。良質な睡眠、美味しい食事、豆大福、……おれ」 「そうです。お前です」 「何であんなこと言ったんだ?」  こっちを見て、何か言ってる人がいる。何の話をしているか聞きたくない。  小焼がそっちに視線をやったら、驚いた猫のように人々は跳ねる。彼はまた溜息を吐いている。 「他人が何を言おうと、お前は私のことが好きでしょうし、謝ってくるぐらいには好きなんでしょうし、罵られて興奮するくらいには好きなんでしょうし、ばかなくらいに、とにかく好きなんでしょうし……」 「うん」 「You have bewitched me body and soul(夏樹は私のすべてをとりこにしました). I miss your smile, voice, kiss(お前の笑顔、声、キスが恋しい)」 「……日本語で言ってくれよ。おれ、バカだからわかんねぇぞ」  わかってる。小焼が何を言ってるかはわかってるんだ。でも……、きちんと言ってほしい。  おれにもすぐわかる言葉で、言って欲しい。  必ず目を合わせたまま、逸らすことがなかった小焼の視線が逸れる。ちょっと頬が赤いのは夕日か? それとも、照れてる? 「好きです。……私と付き合ってください」 「え。おれら、付き合ってなかったの?」 「付き合ってましたっけ?」 「ほら、セフレは嫌だって言ってたし、もう恋人なんだと思ってた……。おれのこと彼氏だって言ってたし?」 「では、恋人です。改めてお願いします」 「おまえ、雑だな?」 「指輪の代わりに首輪にしますね。ネームプレートも彫ってもらいます」 「何で!?」 「ところで、いつまで私に支えられているんですか?」 「おまえが妙にキス上手いから腰抜けたんだろ!」  って、普通に会話してるけど、周りはざわざわしたままだ。そこに現視研の子が来て、突然拍手をした。それに合わせるように拍手が大きくなっていく。え、何? 何なの? 「おめでとうございます!」 「おめでとう!」  なんか祝われてるんだけど、あれ? どうなってんの? さっきまでのビミョーな視線は何だったんだ?  お祝いムードに囲まれたまま、小焼はおれを抱き上げた。更に拍手が大きくなる。 「私は、自分の好きなものは必ずえらい人物になって、きらいなひとはきっと落ちぶれるものと信じています」 「お、おう」 「落ちぶれないようにしてくださいね」 「わ、わかったよ……」  何かの本のセリフなのかな……。小焼はおれよりも色んな本を読んでるから、色んな言葉がすぐに出てくる。  落ちぶれないように、だから、好きなんだよな。好きですって言ってくれたし。 「夕飯奢ってください。今日は唐揚げ定食の気分です」 「あいあい。定食屋行こうな」  駐車場まで担がれたままだった。通りすがりにお祝いしてくる人やら、明らかにどんびきしてる人やら、色んな人がいた。  もう、堂々としてたら、良いんだな。そうじゃないと、小焼に嫌われて、落ちぶれてしまいそうだ。よし、小焼のパートナーとして、恋人として、精一杯頑張ろう!  車に乗り込む。小焼がお茶のペットボトルを差し出してきた。 「飲みますか?」 「おっ、くれんのか? ありがとな」  なんか妙なにおいのするお茶だな? 新発売か? 口に含む。なんだこれ、しょっぱい? お茶じゃねぇな? 「これ、夏樹の尿ですよ」 「飲ますなよ!」 「お前が忘れてるからです。で、味は?」 「ちょっとしょっぱい。飲んでみるか?」 「嫌です」 「だよなぁ」  糖尿ではなかったことだけポジティブに考えておこう。  さて、隣で腹の虫を景気良く鳴かせている恋人のために、定食屋に向かうかな。  その前に、ふゆに夕飯食べてくるって連絡しとこ。

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