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 いいよだなんて安易に言っといて、その呼び方は壱人だけの特別なものだったことに不意に気づく。よくよく考えれば俺のことを泉と呼ぶのは家族と壱人だけで、壱人以外の友達はみんな名字で呼んでいる。  一瞬だけいいよと言ったことを後悔したが、その日を境に橋本も俺のことを泉と下の名前で呼ぶようになった。  連日の猛暑日に音を上げてしまいそうな今日この頃。それから何日かが過ぎても俺は、まだ補習授業を続けている。夏休みも半分が過ぎ、なんとか半分は及第点をもらえたが、あとの半分がどうにも受からない。 「どうした、泉。ぼんやりして」  その声にぴくりと反応しながらも、その声の方へ振り向いて笑顔を見せた。少し間延びした顔のイケメン野球少年、橋本がへらへらと笑っている。 「あ。いや、別に」  ちょっとした違和感に苦笑う。実を言うと橋本の声は少しだけ壱人の声と似てるんだよな。だから橋本から名前を呼ばれるたび、壱人から話し掛けられたような錯覚に陥る。そのたびに、ここ何年も壱人のほうから声を掛けられていないことを痛感してしまうのだけれど。 『泉』  そう橋本に呼ばれるたび、少し嬉しいような、それでいて切ない、なんとも言えない気持ちになる。橋本のほうは特に気にしていないだけに、どうにも申し訳なくて。  壱人のことを考えない日はない。今までも、そしてきっとこれからも。こんなんで、本当に壱人を諦めることなんかできるのだろうか。もしもそんな方法があるなら俺に教えて欲しい。今日も壱人はこちらを見ない。 「泉?」 「ちょっとトイレ」  いたたまれなくなって席を立った俺は、したくもないのにトイレへ向かう。 「泉、俺も行こうか?」  壱人以外から呼ばれる『泉』は、ホントはいらない。

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