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食えない男①
「おはよう、翠。
珍しいな、お前が始業時間ギリギリのこの電車って」
通勤中、電車内で背後から肩にポンと叩かれ、声をかけられた。
振り向くとそこにはやはり、いま一番顔を合わせたくない男No.1、和希の姿。
......外では名前で呼ぶなといつも言っているのに、ホントこの男だけは。
だけどここでその苛立ちを出すと余計に面倒な事になりそうだったから、笑顔で振り向き答えた。
「おはよ。
今日はちょっと、寝坊したから」
本当は朝まで泊まった翔真とふたり、簡単な朝食を摂り、彼を送り出してから出社したせいだったけれど。
「ふーん、そうなんだ。
例のプラトニックな恋のお相手が、泊まってったのかと思った」
ニヤリと笑い、からかわれた。
咄嗟の事になんて答えるのが正解か分からず、一瞬返答が遅くなった。
それを見落とす程、コイツが鈍いはずもなく。
......彼は驚いた様子で、ボソッと呟いた。
「嘘だろ。......マジか」
いつになく動揺した様子の彼を前に、なんとなく居心地の悪さを感じた。
俺とコイツは、ただの同期のセフレで。
......別に俺は浮気したワケでもなんでもなく、いつも通り別の男と関係を持っただけだというのに。
「アハハ、俺も吃驚してる。
真面目なヤツだとばかり思ってたけど、アイツ意外と遊び人だったわ」
あくまでも軽い口調を心掛け、今度は笑って言った。
すると和希はふぅ、と小さく息を吐き、じっと俺の事を見下ろして手を強く握ってきた。
いつものふざけた雰囲気とはまるで違う、真剣な眼差し。
電車内は満員に近い状態だったし、この時間に出社する同僚なんてきっと他には居ないとは思うけれど、こんなのを人に見られるのはまずい。
だから慌てて彼の手を振り払い、視線をそらした。
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