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秘密をあげる Ⅱ
「鹿野くんは後ろ乗って、あ、柴さんの頭打たないように気を付けて」
「分かりました」
仕方がないので鹿野目に手伝ってもらい、柴田をマンションまで送り届けることにした。痩せている柴田を軽々と持ち上げる鹿野目を見ながら、堂嶋は佐竹に同意するのは癪だったが、やはり自分ではこんな風にはいかないと密かに思った。免許証に住所は載っているから、それをタクシーの運転手に伝えるだけで良かった。佐竹は最後まで自分が送ると食い下がって来たが、堂嶋はそれに首を振るわけにはいかなかった。鹿野目は自分のしたことが悪いことだという認識がない分、佐竹よりも性質が悪いなと思いながら、多分佐竹に言われるままに言う事を聞いただけの鹿野目に対してきつく叱ることも出来ずに、堂嶋はもやもやしたまま、ひとりで助手席に乗り込んだ。本当は自宅に送り届けるよりも、堂嶋のマンションに連れて帰った方が楽なのだが、堂嶋のマンションには当然だが鹿野目もおり、それを柴田に明らかにするのにはまだ勇気が足らなかった。
ややあってタクシーは柴田のマンションの前で止まった。鹿野目の背中におぶさる格好になった柴田は、相変わらず意識を飛ばして深い惰眠を貪っている。柴田のマンションの近くまで堂嶋は何度も来たことがあったが、そういえば直接家を訪ねるのは初めてだと思いながら、それを見上げた。稼いでいる割に柴田のマンションはこじんまりしていて、堂嶋は一度、柴田の年収ならタワーマンションとか住めるんでしょと聞いたことがあったが、寝るだけに帰るのにそんな家賃勿体ないと柴田に言われて成る程と思ったことを思い出していた。住めないと否定しない辺り、柴田のプライドが伺えるが、今となってはあながち見栄でも何でもないのかもしれない。エレベーターの中で鹿野目の背中に体を預けて、呑気に意識を手放している柴田を見やって、堂嶋はひとつ溜め息を吐いた。今回のことは佐竹が勿論全面的に悪いが、柴田は管理職以外の平の所員には自棄に甘いところがあって、佐竹の悪乗りを加速させるのもそれが原因なのだろうと思わざるを得ない。
「鹿野くん、付き合わせてごめんね、柴さん重くない?」
「いえ、柴さんすごく軽いです。佐竹さんが服捲って見てたけど、ほんとガリガリでした」
「服捲って・・・?」
また聞きたくないことを聞いてしまったと思いながら、堂嶋はひとりで青ざめる。佐竹がどこまで本気でどこまでが悪ノリなのか分からないが、きっと今日は彼も沢山お酒を飲んでいたことだし、それにしても柴田が無事で本当に良かったと思いながら、痛いこめかみに手をやった。
「ここだ、鍵、どこだろう」
免許証を柴田の財布に戻して、堂嶋は肩からかけていた柴田の鞄を探った。柴田は仕事をきっちりしすぎるほどきっちりやっているし、デスク周りもいつも片付いていて綺麗だけれど、自宅は片付けができずに汚いらしい。一度真中と喋っているのを聞いたことがある。仕事で気を張っている分、家に帰ると気が抜けるのかなと思ったが、そんな柴田のことを堂嶋は上手く想像できない。堂嶋は背筋の伸びた柴田の背中しか見たことがないからだ。だから佐竹の悪巧みなのだとしても、部下に酒で潰されて眠っているところを良いようにされる柴田のことを、あの場所にいた誰よりも多分上手く直視できないでいたのだ。鞄の中のキーケースから家の鍵らしい鍵を見つけて、鍵穴に差し込み回そうとすると、堂嶋の手が違和感を捉えた。
「・・・あれ?」
「どうしたんですか、悟さん」
「なんか、開いてる・・・?」
鍵を回さずドアノブを回してみると、がちりと音がしてそれは簡単に開いた。目の前に玄関と細い廊下が続いており、電気もついている。堂嶋は何か見てはいけないものを見てしまったみたいで、一旦それを閉めた。今日、出かける時に締め忘れてしまったのだろうか、柴田らしくないけれど。
「・・・開いてる、開いてた・・・」
「締め忘れたんですかね?」
「らしくないけど・・・柴さんがそんなミスをするなんて」
隣の鹿野目と内緒話でもするみたいに何故か声を潜めて話をしていると、誰もいないはずの部屋の中から声がした。びくりと堂嶋は体が硬直するのが分かった。もしかして部屋を間違えて、別の人の部屋に入ろうとしてしまったのか、ちらりと鹿野目を見上げると、鹿野目は当然だが平気そうな顔をしている。こういう時に頼りになるのかならないのか分からない。
「・・・か、鹿野くん、今、声、したよね」
「はい、たぶん」
「ゆうしくーん?帰ったの?」
「ひっ!」
声がして、がちりと音がして先程堂嶋が開けたばかりの目の前の扉が開いた。するとそこから酷く若い男の子が笑顔で顔を覗かせて、堂嶋は思わず足を後退させた。男の子はおそらく二十代前半だろう、もう夜中だと言うのに有り余る若さのせいで、何だか疲れた目の奥に眩しい気がした。柴田が帰って来たと思ったのか、それとも彼が待っていたのは別の誰かなのか分からないが、笑顔は人懐っこくて、彼の元々整った容姿をさらに華やかなものに変えていた。男の子は堂嶋を見やると、笑顔だった顔を少しずつ変化させて戸惑っているように見えた。そうだろう、こちらも戸惑っている、堂嶋はそれを見ながら思った。
「すみません、夜分に、こちら柴田さんのお宅でしょうか・・・?」
「・・・柴田さん・・・あ、侑史くん!あ、はい!そう、です!」
一瞬、彼は何か思案する顔をしたけれど、何を思ったのかその後は自棄にはきはきと堂嶋のそれに応えた。とりあえず部屋は間違っていなかったようで、ほっとしたが、柴田はひとり暮らしのはずである。この若い男は一体誰なのだろう、どうして柴田の部屋にいるのだろう、堂嶋は考えたが勿論分かりそうにもなかった。ちらりと鹿野目を見上げると、鹿野目は鹿野目で若い男の子を見ていたが、特別その表情から鹿野目の感情は読み取れなかった。堂嶋は諦めて、目の前の男の子に視線を戻す。
「すみません、柴さん今日飲み会で潰れちゃって、お送りさせてもらったんですが・・・」
「え、あ!そうなんですか!わ、ほんとだ」
そのタイミングで、今まで黙って見ていた鹿野目が柴田を背中から降ろした。すると彼はそうするのが当然みたいに、柴田のことをひょいと抱え上げた。それを見ながら堂嶋はまた自分が持ち上げられなかったことを思い出して、口に苦いものが広がった。
「ご迷惑おかけしました、ありがとうございます」
「・・・いや、俺たちは帰る途中だからいいんですけど、ごめん、気を悪くしたらあれなんだけど・・・その、君は一体・・・?」
堂嶋がにこやかに続けると、彼の表情が一瞬ぴくりと固まった。しかし固まったのは一瞬だけで、その次の瞬間にはそれが柔和に綻んだ。
「あ、俺、弟です!侑史くんがいつもお世話になってます!」
「・・・あー・・・そうなんだ、そういや柴さん弟いるって言ってたな・・・。あ、ごめんね、変なこと聞いて。それじゃ、俺たちこれで帰ります」
「いえ、ありがとうございました」
弟は最後までいい笑顔で、意識のない柴田を腕に抱いたまま、ぎこちなく手を振っていた。目の前で扉がぱたんと閉まって、何故だか堂嶋は酷く疲れたような気がした。ちらりと隣に立っている鹿野目を見上げると、鹿野目はしまった扉を、何故だかじっと見つめていた。
「柴さんの弟、なんかイケメンだったね。あんまり柴さんと似てないなぁ・・・」
「そうですね」
「っていうか、一緒に住んでるのかな?なんか旅行に行くとか言ってたから、仲良いみたいだけど・・・」
「へぇ・・・」
堂嶋の声に珍しく上の空で、鹿野目は何か別のことを考えながら返事をしていた。
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