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秘密をあげる Ⅲ
「・・・あったまいてぇ・・・」
翌日、柴田はソファーにひっくり返って頭を抱えていた。起きたらいつものように自宅のベッドに眠っていて、隣に逢坂が眠っていて、けれど昨日の夜の記憶は、確か堂嶋班の飲み会に誘われるままに出席したことは覚えているが、途中から薄れてしまっている。逢坂が呆れた顔をして、テーブルの上に水を置いてくれたが、胃の中はムカムカしたままだし、口から何も入れたくない気分だった。
「・・・しずかぁ・・・」
「はい、二日酔いの薬、飲める?」
「のめ、ない・・・気持ち悪い・・・」
「じゃあちょっと落ち着いてから飲んで」
銀色の薬のシートをぱきっと割って、丁度一回分だけを水の傍に置いて、逢坂はソファーの傍にしゃがんだ。機嫌でも悪いのかちょっとだけ口調に棘があるような気がして、柴田は手を伸ばして逢坂の着ているパーカーを掴んだ。記憶は全くないが、きっとベッドまで運んでくれたのは逢坂だろう。そんな状態でよく家まで帰って来られたものだと思いながら、柴田は溜め息を吐く逢坂の腕に額を擦りつけるみたいにして擦り寄った。弱っている時に正論でも逢坂に刺されるのは敵わなかった。
「侑史くん珍しいね、酔っぱらって寝ちゃうなんて」
「ごめんって、ほんと、怒るなよ、しずか」
「いや、別に怒ってないよ、ちょっと心配だけど」
口調が和らいで、逢坂の手が頭を撫でる気配がする。柴田はそれを感じて少しだけ視線を上げた。逢坂は少しだけ困ったような顔をしている。いつも引っ付いてくるのは逢坂だったけれど、柴田も時々はこうして甘えたかったり引っ付いていたかったりする時がある。けれどそういう時は決まって、逢坂は少しだけ困ったような顔をする。何で逢坂がそんな顔をするのか、柴田には分からない。
「ごめん、俺ぜんっぜん、覚えてないんだけど」
「侑史くんの会社のひとがふたりで送ってくれたよ、家まで。えっと、背の高いちょっと顔の怖い人と、背の低い優しそうな人だった」
「・・・堂嶋・・・?え?俺、自分で帰って来たんじゃないの」
「違うよ、侑史くん熟睡してたよ、俺が着替えさせても全然起きなかったし」
「・・・えぇー・・・」
気が抜けてソファーに顔から落ちる。すると逢坂は困った顔のまま、柴田の後頭部を緩やかに撫でた。あんまりにも優しい手つきに、妙に恥ずかしくなる。
「吃驚したよ、やっと帰って来たと思ったら、おんぶされてて侑史くん寝てるんだもん」
「・・・鹿野、かなぁ?」
「俺、一応弟だって言っといたけど、向こうもちょっとびっくりしてたよ、侑史くん独り暮らしだと思ってたみたい」
「あー、そう。まぁ真中さんにもそう言ったしな・・・もうそれで通すしかないか。っつかまだ独り暮らしだわ」
「あ、そ。まだ、ね」
言いながら逢坂が笑って、柴田の頭をぐしぐしと撫でた。頭は痛くて胃の中はまだ気持ち悪かったけれど、柴田はそれを見ながら少しだけほっとした。最近逢坂が笑っているのを見るとほっとする。どうしてだろう、頭を撫でられていると段々眠くなってきて、瞼がゆっくり落ちてきた。
「侑史くん、寝るの?眠い?」
「んー、起きたら薬飲む・・・」
「はーい・・・何にもない休日久しぶりだったから、俺ちょっと期待してきたんだけど」
「・・・はは、今日無理だわ」
「だろうね、いいよ、寝てて」
頭を撫でられる手がまた優しくなって、柴田は手足を丸めた。
二日酔いでダメージを受けた体は、一日眠ったらしっかりと元に戻っていた。それは柴田の水準の話であるが。逢坂は大人びた顔をして、送ってくれた人にはちゃんとお礼を言わなきゃ駄目だよと柴田に言って、柴田はそれに素直に返事をした。翌週、いつものように出勤をすると、堂嶋は出張で朝からいなかった。背の高い目つきの悪い男と言うのは多分鹿野目のことだろうと思ったが、確証がない。もうひとりは堂嶋に決まっていたから、堂嶋に先に話をつけに行こうと思ったけれど、その堂嶋が出勤していなくて柴田は少しだけ困っていた。堂嶋も昼には戻ってくるスケジュールになっているようだったから、戻って来てから話をすればいいかと思いながら、日曜日逢坂に付き合って少し無理したいつもより重たい体を引き摺って、好きなコーヒーを淹れに給湯室の扉を開けると、そこに鹿野目が立っていて、思わず柴田は扉を閉めそうになった。
「お疲れさまです」
「・・・お、おぉ・・・おつかれ・・・」
しかし鹿野目はいつも通りだった。考えてみれば鹿野目が取り乱しているところなど、柴田は見たことがないのだが。じくじくとこめかみが痛んで、柴田は閉めそうになった扉を引いて中に入った。鹿野目はそこでお湯が沸くのを待っているみたいだった。
「なぁ、鹿野」
「なんですか」
「金曜、俺のこと運んだのお前?お前と堂嶋?悪かったな」
「あぁ、はい。飲み会のことは全面的に佐竹さんと俺たちが悪くて、柴さんは悪くないのであんまり気にしないでください」
「佐竹?あぁ、うーん・・・そうなの?」
気にするなと言われたが、そもそもほとんどのことを覚えていない柴田は気にするも何もないと思ったけれど、酔っぱらって絡んだり何か可笑しなことを言ったりしたのだろうか。謝ろうにもやはり覚えていないので、どうも歯切れが悪くなる。考えながら柴田は、背の高い鹿野目のしゃんと伸びた背中を見ていた。確か逢坂はおんぶされてと言っていたはずだった。
「それより柴さん」
「あ、なに?」
「家に柴さんを運んだ時に弟さんが迎えてくれたんですが」
「・・・あー・・・そう聞いてる」
そこで鹿野目はくるりと振り返った。
「彼、弟じゃないですよね」
「・・・え?」
その時鹿野目が言い出したことを、理解できなくて柴田は焦った。柴田は飲み会での痴態を詫びたかっただけなのに、鹿野目は何か違うことを言おうとしている。それは何だろう、背筋がすっと寒くなって、柴田は無意識に後退しようとした、足が壁にぶつかる。
「・・・あ、似てない?お前も似てないって言うんだろ。しょっちゅう言われるんだよな、ほんと勘弁・・・―――」
「そうじゃなくて、俺分かるんです、そういうの」
「・・・そういう、って・・・どういう」
動揺したら負けだと思ったけれど、声が上ずるのを止められなかった。それなのに鹿野目は涼しい顔をしてまるで世間話をしているみたいだと思った。
「あの人、柴さんの恋人でしょう」
「え、は・・・?」
「俺分かるんです、そういうの、俺ゲイなんで」
「え・・・?」
否定するのも忘れて、柴田は目をぱちくりさせて鹿野目のことを見上げた。鹿野目はいつもの無表情で、というか柴田は鹿野目の無表情以外の表情を見たことがない、冗談を言っているようには見えなかった。カミングアウトするのはこのタイミングで良かったのか、本当に弟だったらどうする、それとも鹿野目は分かると言ったみたいに本当に動物的な勘で、もしくは同類であるがゆえにそういう匂いや雰囲気を嗅ぎ取ってしまうのだろうか。柴田は黙ったまま鹿野目を見上げてぐるぐると思案したが、全くそれは纏まりそうにもなかった。すると鹿野目がくるりと柴田に背を向けて、お湯が沸いたらしくガスの火を止めている。はっとして柴田は自分が息を止めていたのを思い出した。どくどくと耳の傍で心臓の音がする。真中には露見してもいいと思った、それは真中の性癖のこともあったし、真中ならば何も言わないだろうという自負が柴田にはあった。しかし、この何を考えているのか不明な部下によりにもよって一番デリケートなところを刺される羽目になるなんて、柴田は考えながら小さく息を吐いた。最早否定は無意味だったが、それでも否定しておかなければいけなかった。
「オイ、鹿野目」
「安心してください、他の人にばらしたりしないんで、柴さんも俺がゲイだって言うの、一応黙っててください」
「いや、別に俺は、っていうかアイツは本当に弟で、そんなんじゃ」
「柴さん、俺柴さんの事おんぶして家まで行ったんです。堂嶋さんは運べなかったから俺が運んだんですけど」
「いやだからそれは悪かったって言って・・・」
「口ではありがとうすみませんって言ってましたけど弟さんは、でも俺のこと見る目は人一人ぐらい殺しそうな目でした。本当の弟だったらあんな目をして俺のことを見ません。あれは嫉妬の目だったと思います。俺が不用意に柴さんを触ったりしたから」
「・・・―――」
お湯を見つめる鹿野目の横顔は、やはりまったくどこにも感情らしいものはなくて、柴田はそれが逆に怖いような気がした。怒ってないよと逢坂は確かに笑っていたけれど、その割には口調に棘があったのを覚えている。大人の癖に自制が利かなかった自分のことを責めているのだろう、それかせっかくの休日を柴田が眠ったまま過ごすことになることへの苛立ちか、どちらかだろうと思っていたけれどどうやらそうでもないらしい。逢坂は今日の朝柴田を送り出すまで、そんなことは一言も言わなかったけれど。
「柴さん」
「・・・もう、なんだよ・・・お前・・・」
「ついでと言っては何なのですが、俺のお願いをひとつ聞いてもらえませんか」
「は?お願い?」
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