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秘密をあげる Ⅳ
「え?」
「・・・だからばれた」
「なんで・・・?」
逢坂はぽかんとしている。それはそうだろう、考えながら柴田はビーフシチューを掬っていたスプーンを置いて、向かい側で目をぱちくりさせている逢坂を見やった。結局あのまま鹿野目は給湯室からいなくなってしまい、柴田はその背中を追いかけることも出来なかった。後で堂嶋に確認をするとやはり柴田を送ったのは堂嶋と鹿野目で、堂嶋は自分が持ち上げられないから鹿野目に頼んだと、全く悪びれもせずに言い切って、柴田は何故よりにもよって鹿野目だったのかと堂嶋相手に感謝ではなく、怒りを向けてしまいそうになる始末であった。なんで、と言葉を切る逢坂に、お前が親の仇みたいな視線を送っていたからだろうと、言いたくて言えない柴田は口を結ぶ。鹿野目に言われて少しだけ思った、逢坂ならばそういう歪んだ形の嫉妬すらしそうだと思って、柴田は自惚れ半分、そんな風に考えた自分が恥ずかしかった。
「鹿野が・・・あぁ、背の高い方の男がゲイで、そういうの見れば分かるって言ってた・・・」
「あー・・・そう」
それで納得したのか、逢坂は短く言葉を切ると、俯いて何か考えているみたいだった。ばれたのが鹿野目で堂嶋ではなかったことに感謝すべきなのか、それとも逆の方が自分にとっては好都合だったのか、あんな鈍そうな堂嶋にそういうアンテナがそもそも備わっていなさそうだから、そんなことを考えるのは無意味だとか、思考はどんどん現実味を欠いていく。
「ごめん、侑史くん」
「・・・何でお前が謝るんだよ」
「いや、だって俺が、俺がもっと上手に嘘吐ければよかったんだけど」
「元々、俺がひとりで帰れなくなるほど酔っぱらったのが悪いんだよ。しずかのせいじゃない」
そう言ってやると、逢坂は少しだけ吃驚したような顔をした後、申し訳なさそうに笑った。何だかそれを見て柴田はほっとした。
「黙っててくれるって言ってたけど、でも」
「・・・でも?どうしたの、侑史くん、なんかそれをネタに強請られてるとか・・・!?」
「いや、そうじゃなくて、お前と」
「え?」
「お前と会いたいって言ってた」
逢坂の表情が固まって、また目だけがぱちくりと動いた。給湯室で鹿野目は最後に柴田にお願いがあると言った。あの鉄仮面の口からお願いなんてかわいい単語が漏れてくることに正直戸惑いながら、柴田はそれを黙って聞いていた。すると鹿野目はそう言ったのだ。
『お願いがあるんです』
『お願い?』
『一度、柴さんの恋人に会わせてもらえませんか』
『え?は?なんで』
『柴さんの事不用意に抱き上げたことを彼に謝りたいし、あとは好奇心です』
『いや、だからそんなのどうでもいいって・・・好奇心って何だよ』
『じゃあ、日取りはそっちの都合に合わせますので、俺はこれで』
『鹿野!』
そうしてそのまま鹿野目は給湯室からいなくなってしまったのだ。柴田は呆然とそこに立ちつくして、鹿野目が言ったこと言おうとしていることそして提案したことを頭の中で整理しようと思ったけれど、それは例えば仕事で使う回路に乗せられないみたいに、全く上手くいかなかった。そうして結局、終業時間までに鹿野目を捕まえて詰め寄ることも出来ずに、家に持ち帰って逢坂相手に正直に吐露していることになっている。どうしてこうなってしまったのか考えながら、柴田はひとつ小さく溜め息を吐いた。
「あー・・・俺は別にいいけど」
「は?いいのか?しずか」
「あ、うん。俺は別に。そういや俺の友達とかには侑史くん会ってるけど、俺、侑史くんの知り合いの人って真中さんくらいにしか会ったことないし・・・」
「いや、そう言う問題じゃ・・・」
「勿論、侑史くんが嫌ならいいけど、会わないで欲しいなら会わないよ」
「・・・あー・・・」
そう言って目を伏せる逢坂のことを、柴田は少しだけ誤解していたかもしれないと思った。柴田には仕事関係以外で親しくしている友人なんてほとんどいなかったし、元々逢坂でなくても男とこんな関係になるとは思っていなかったし、偏見こそなかったけれど、黙っていたほうが無難だろうと思っていた。真中は特殊事例だから除くとしても、他の誰かに聞かれても、今までは適当にはぐらかしてきた。けれど月森が言うには逢坂はオープンで、柴田と付き合っていることについて、別段大学内では積極的に喋りはしないものの、隠していないらしい。逢坂と柴田では立場が全然違う、柴田には社会的な地位もあるし、そういう余計な負荷はできるだけ排除していたいと柴田が思っていることを、きっと逢坂も分かっている。けれど頭で分かっていることと、心で感じることはまた齟齬があるのだろう。逢坂が余計なことを言わないようにする時、いつも目が合わない。
「しずか、そう言うことが言いたいんじゃない、俺は」
「・・・そう言う事って?」
「そうじゃなくて、なんていうか、お前のことはちゃんと考えてるよ、でもそういうことを良く思わない人もいるから」
「うん、だから、侑史くんの良いと思う方にして。俺は別にどっちでもいいから」
「・・・―――」
振り上げた腕が空振りしているような気がする、と柴田はにこりと笑う逢坂を見ながら思った。逢坂はこんなに物分かりの良い人間だっただろうか、柴田を尊重する振りをして一体何を考えているのだろう、それとも本当に逢坂は柴田を尊重するだけのことしか考えていないのか、そんなことは気味が悪くて仕方がない。鹿野目が投げかけた提案が、まさかこんなことを自分に思わせるなんて、思ってもみなかったと柴田は思って、無意識に固くしていた肩の力を抜いた。まさかこんなことで頭を悩ませないといけないなんて。
「会うか」
「・・・え?いいの」
「会いたいんだろ、お前」
「あー・・・いや、ちょっと興味はある・・・かなぁ?でもほんと、侑史くんが嫌なら俺は別にいいよ全然」
「そんなこと言うなよ」
先程からずっと合わない目の前で手を振る逢坂のことを見ながら、柴田は少しだけ腹が立った。逢坂が何かを逡巡しているのも分かったけれど、そうやって逢坂が自分の思っていることを言わないでいることは、柴田との間に波風立てたくないからだと分かっているのだけれど、柴田はそれをちゃんと理解しておきながら、そんな風に大人の振りをする逢坂のことは好きじゃないと思った。逢坂が本当のことを言えないで、我慢しているのが自分のせいだと分かれば分かるほど、それに納得なんてできなかった。意地でもするつもりなんかなかった。
「侑史くん?何か怒ってる?」
「怒ってない、俺がどうこうじゃないんだ。お前がどうしたいか聞いてる」
「・・・侑史くん」
「今更物分かりのいい振りなんてするなよ、今まで散々俺のこと振り回しといて。言えよ、本当は俺がお前のことを隠してることだって、良く思ってないんだろ」
「・・・―――」
それに返事をされたって、柴田にはとても逢坂みたいにオープンにすることなんてできないのに、そんなことを言わせることに意味なんてあるんだろうか。考えながら半分くらい意地になっているのも分かっている。逢坂は困った顔をして俯いて、長い睫毛を瞬かせていた。こんなことを言われたら困るに決まっている、仕方がない、良かれと思ってやっているのに、なぜこんな喧嘩腰に怒られなければいけないのか、柴田は段々目の前で首を垂れている逢坂のことが可哀想に思えてきた。
「そうだね、ごめん」
(そうやってお前は簡単に謝る、お前のごめんに意味なんてない)
「でも侑史くん働いてるし、俺とは違うし、ちょっと寂しい気もするけど」
(言えよ、本当のことを。俺にくらい)
可哀想に思いながら、柴田は苛々する。無造作に放り出されたテーブルの下の足を、蹴ってやりたいと思うくらいには苛々する。
「本当は侑史くんの事、俺の恋人なんですって色んな人に自慢したいし、この間みたいなこともう嫌だし」
「この間・・・?」
「侑史くんお酒飲むと気持ち良くなってガードも緩んじゃうから。きっと会社の人にも可愛いこといっぱい言って可愛いとこ一杯見せたんだと思ったらなんかもう、それなのに知らない男に抱きかかえられて帰って来るし、俺はもう何か、どうすることもできなくて寝てる侑史くん無茶苦茶に犯してやりたかったけど、でもそんなこと恋人のすることじゃないし、これでもちゃんと我慢したっていうか。俺年下で侑史くんの会社の事とか社会の事とか全然分かんないし、だから、ちょっとくらい、かっこつけさせてくれてもいいじゃん。物分かりのいい振りくらい、させてくれたっていいじゃん・・・!」
「・・・―――」
ぱっと逢坂が顔を上げて、やっと目が合ったと思った。
「会う!そんで俺、侑史くんは俺のもんなんだって、アイツのこと殴ってやる!」
「・・・ヤメテクダサイ」
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