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秘密をあげる Ⅴ
堂嶋から聞きだした鹿野目のプライベートなメールアドレスに、不本意だったが返事を送ると、柴田は煙草に火をつけた。直接本人にアドレスくらい聞けば良かったのだろうが、何となく癪で、堂嶋から聞き出すなんて遠回りなことをしているのだ。当然、堂嶋は人にすぐ懐く動物みたいな丸くて大きい目をぱちくりさせて、『なんで柴さんが鹿野くんのアドレスなんて』と言っていた。当然の疑問だと思ったけれど、それに上手い嘘も思いつかなかったので、どうでもいいから教えろとほとんど恫喝して柴田は鹿野目のアドレスを手に入れたのだった。結局鹿野目の思惑通りになってしまったことについては、癪でしかないけれど、なんとなく柴田は、これはこれでもいいかと思っていた。人に詮索されるのは嫌いだけれど、きっと鹿野目はそんな無神経なことは出来ないはずだ、と思ったけれど、もうすでに十分詮索されているような気もする。
「柴さん」
その時後ろから声をかけられて、振り返ると鹿野目がマルボロの赤箱を持って立っていた。タイミングが良いのか悪いのか分からない。
「おう、お前出張じゃなかったのか」
「はい、今帰ったところです」
「ご苦労様」
煙草をくわえたまま、唇の隙間から煙を吐き出すと、鹿野目は柴田の隣に当然みたいに立って、ベランダの柵に両腕を乗せると、煙草を箱から一本引き抜いて咥えた。そして着ているジャケットの下からライターを出して、スマートに煙草に火をつけた。
「メールありがとうございます」
「・・・おう」
「彼、来てくれるんですね、嬉しいです」
「・・・ならもうちょっと嬉しそうな顔しろよ、鉄仮面」
そう言う鹿野目の顔は、いつも通りの無表情だった。言葉だけが上滑りしていって、中身がないような気がするが、鹿野目の場合これがデフォルトなのだから仕方がない。柴田はそこから逃げるわけにもいかずに、一本の煙草が終わるまでは鹿野目の話に付き合わなければいけないことを自覚する。
「柴さんの彼氏ってすごく若いですよね、いくつですか」
「そんなの本人に聞けよ、何で俺に聞く。後、彼氏っていうのやめろ」
「すごいなぁ、あんな若い子たぶらかしちゃうなんて、尊敬します」
「やめろ。たぶらかしてない。どっちかっていうと俺がたぶらかされたの!」
「そうなんですか。いや、いつもきりっとぱりっとしている柴さんが若い男にたぶらかされるのもなんていうか見ものっていうか」
「お前ホントもう黙れよ」
手すりに乗った鹿野目の二の腕をグーで殴ってみたが、全くびくともしないので、柴田は自分の非力に改めて気付かされてげんなりしただけだった。短くなった煙草を灰皿に放って捨てると、柴田はふらりと動いてその場所から逃げようとした。するとそれを目ざとく見つけた鹿野目が、その背中に低く呟いた。
「土曜日、楽しみにしてます」
「・・・そりゃ、どーも」
仕方なく柴田は、振り返って眉を顰めた顔で鹿野目のことを見ながらそう言ったけれど、鹿野目はいつもの無表情だったから、最後まで面白くなかった。
話の内容を他の誰かに聞かれてはいけないだろうと配慮して、柴田はクライエントと一度打ち合わせで使ったことがある個室のレストランをわざわざ予約した。レストランで食事なんて、そういえば逢坂と一度もしたことがない、焼肉屋は行ったことがあるが。それは柴田の偏食のせいで、外食はしないというのがほとんどふたりの間の決め事みたいになっている。何が悲しくて会社の部下とそのはじめの一回を消費しなければいけないのだろうと思いながら、しかし他に仕様もなく、家に呼ぶわけにもいかずに、消去法でそうなったのである。逢坂はというと殴ってやると啖呵を切っていたものの、日が迫るうちに段々緊張しているのか挙動不審にひとりで何か呟いていたり、あぁでもないこうでもないと柴田に鹿野目のことを聞いて来たりした。それに鹿野目にも言ったが、どうせ会うんだから本人に聞けばと冷たくあしらうと、見捨てられた動物みたいにしゅんとするので、それを慰めてやるのも骨が折れた。こんなこと自分にとって何にも得にならないのに、どうしてこんなことになっているんだろうと、約束の時間より少し早く着いた柴田は、隣で落ち着きない逢坂を見ながら考えていた。
「侑史くん侑史くん」
「なんだよ、お前いい加減落ち着けよ、うっとうしい」
「俺さ、服、変じゃない?襟ついてたシャツ着て来ればよかったかな、やっぱり」
「変じゃねぇよ、はいはい、かっこいい」
着なれないジャケットを着ている逢坂の背中を適当なことを言いながらばしばしと叩いてやると、逢坂は俯いたまま口角だけを少し上げた。どうやら真に受けて喜んでいるらしいので、もう少しまともなことを言ってやれば良かったと柴田は少しだけ逢坂に申し訳なく思った。鹿野目を待っていたのは5分ほどで、店員に案内されてがちがちに緊張した逢坂と不貞腐れ気味の柴田が座るテーブルにやってきた鹿野目は、休日だというのにほとんど事務所で見るような格好をしてやってきた。
「すみません、お待たせしましたか」
「いや、こっちが早く着いただけ」
「そうですか、よかった」
言いながら鹿野目は、ちらりと柴田の隣に座っている若い男を見やった。鹿野目のただでさえ鋭い視線に刺されて、逢坂がびくっと体を震わせる。それを目ざとく見つけた柴田が、鹿野目には見えない角度から逢坂の背中をぽんぽんと叩いた。その所作はやっぱり兄と弟なんかではなかった。その時柴田の隣に座っていたのは、確かにあの日マンションの扉を開けて、堂嶋と短く言葉をやり取りさせていた、柴田が弟と取り繕った男で間違いないようだった。ぱちぱちと瞬きをして落ち着かない様子の彼は、堂嶋が溜め息を吐くみたいにイケメンと称したようにおそらく容姿は整っている方なのだろう、女の子にもモテそうなのに柴田みたいな厄介なのに掴まって可哀想に、と鹿野目はらしくなく憶測を働かせて思ったが、そういえば柴田はたぶらかされたのは自分の方だと言っていたし、好きになったのは彼の方からなのかもしれないと思い直した。佐竹と徳井が時々言う柴田のフェロモンの話が、堂嶋には黙っているが、何となく鹿野目は分からんでもないのだ。
「ま、とりあえず乾杯するか」
「柴さん飲むんですか」
「いや、俺車だから飲まない。しずかは飲めよ、鹿野はあれか、電車か」
「あぁはい、飲んでいいならいただきます」
柴田の何でもない口調を聞きながら、しずかというのが彼の名前なのだろうと鹿野目は黙ったまま思った。それにしてもあんなに嫌そうだったのに、テーブルの向かいに座る柴田は不機嫌そうな表情の割に、口調はいつも通りで、秘密が露見した時に慌てていたあの感じももうどこにもない。どこにもなくて、何となく鹿野目は面白くないと思った。柴田があんなに狼狽しているところをはじめて見た。多分彼のことは柴田にとって一番の秘密なのだろう。それにしても、あんなになるまで佐竹に飲まされて簡単につぶされてしまう柴田は、そんな大きな秘密を抱えている割に、ガードが緩くて脇が甘い。鹿野目はふっとここにはいない堂嶋のことを考えた。そういえば堂嶋も脇も詰めも甘かった。甘くて助かった。
「え、俺も飲まなくていいよ、別に」
「お前はちょっと飲め、飲んでリラックスすれば」
「いや、いいって。今日なんか酔っぱらいそうだし・・・」
「いいじゃん、酔っぱらえば、そんで鹿野に運んでもらえ」
「その冗談面白くないよ、侑史くん・・・」
困った顔をする逢坂とそれを見て笑う柴田を見ながら、鹿野目はやっぱり兄と弟なんかではないと改めて思った。ふたりの空気感はそれよりずっと近い。歳が離れている割にそれを感じさせないのは、一体何なのだろうと、鹿野目は運ばれてきたビールを持ちながら考えた。
「はい、じゃあ乾杯」
「何に乾杯ですか」
「なんでもいいだろ、乾杯」
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