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秘密をあげる Ⅵ
面倒臭そうに柴田は鹿野目の持っているグラスに、ウーロン茶の入ったグラスを当てると、そのままそれをお酒みたいに半分くらい飲み干した。鹿野目もグラスに口をつけて飲むふりをして、そっと逢坂のことを観察した。結局柴田に勝手に頼まれて、逢坂は断り切れずにビールを飲んでいる。鹿野目はグラスを置いて、逢坂に向き直った。すると逢坂も目ざとくそれを見つけ、グラスを置くと椅子の上で背筋を正した。その隣で、柴田はそれを何処か楽しむような目つきで見ている。
「この間は突然お邪魔して申し訳ありませんでした。俺は柴さんの部下の鹿野目と言います」
「あ、えっと、俺、逢坂閑といいます。とんでもないです、その節はありがとうございました」
「・・・どうしたしずか、随分大人しいじゃねぇか。殴ってやるんだろ、オイ鹿野、顔貸せ」
「侑史くん!やめてよ!」
柴田がふざけて言うのに、隣の逢坂は困った顔を赤くして柴田の腕を掴んでいる。それを見てまた柴田は楽しそうに笑っていた。
「・・・びっくりしました、柴さんが男の人と付き合ってるなんて。しかもこんな若い子と」
「そりゃまぁ、そうだよなぁ、俺的にはお前がゲイっていうのも結構吃驚したんだけど。あともう年齢の事言うな、お前の中で俺、どんだけおじさんなの」
「いえ、別にそう言う意味では」
「冗談だよ」
言いながら柴田はまた笑って、ウーロン茶を飲んだ。するとテーブルの上の柴田の携帯電話が急に震え始めて、柴田はそれを素早い動作で掴んだ。きっと席に着いた時にそこに置いたのも、連絡が来たらすぐ分かるようにするためで、柴田はそういう意味で、休日も平日もなく仕事に縛られている。案の定、画面を見て、柴田は迷う動作なんて見せずにすっと立ち上がった。
「悪い、真中さんだ」
「あ、侑史くん、ご飯どうする?」
「どうせ食えないからいいよ、お前らで食え」
短く言うと柴田は携帯電話を耳に当てて、個室を出て行った。そして部屋の中には柴田の出て行った方をしつこく見つめる逢坂と、鹿野目だけが残された。逢坂がふっと目を戻すと、鹿野目は柴田の行方など一つも追いかけておらずに、じっと逢坂のことを射抜くみたいに見つめていた。
「・・・な、ん、ですか・・・?」
「いや、すいません。柴さんっていつもあんな感じですか、君といる時も?」
「まぁ、そうですね。侑史くん仕事が第一なんで・・・あと敬語大丈夫です」
へらっと逢坂が頼りなさそうに笑うのを見ながら、鹿野目は少しだけ目を細めた。堂嶋も管理職で忙しくしているものの、もともと休日出勤が決まっていることは少なくないが、こんな風に急に電話がかかってきたり、呼び出しがあったりすることはほとんどない。だから堂嶋は、携帯電話を常に傍に置いておかなければいけない状況にはなく、大体いつも帰宅すると鞄の中に入れっぱなしになっている。鹿野目はそのことを考えていた。堂嶋も自分に比べれば格段に忙しいのだが、柴田はその上をいっている。
「そうか、それじゃ逢坂くんもあんまり休まらないな」
「・・・いや、まぁ、俺は気楽な大学生なんで、別に良いんです、まぁちょっと寂しいことはありますけど」
言いながら逢坂は運ばれてきた前菜を、何故か取り皿に取り分けている。ドレッシングのかかっていないものを器用に選んで柴田の皿に移している。そこで鹿野目は堂嶋が時々言う、柴田の偏食のことを思い出した。逢坂はきっとそう言う事を一切合財理解しているのだと思った。
「でも柴さんって難しい人だし、付き合うのはとても大変だと思うけど。逢坂くんは沢山我慢しているんだろう。例えば、俺の事だって、本当は柴さんが言ったみたいに殴りたかった?」
「はは、まぁ、正直ちょっとイラっとしましたけど、でも鹿野目さんにっていうか侑史くんに?」
「・・・ふうん」
「それに、侑史くんあんなんだけど、かわいいとこもあるんですよ。時々だけど俺に甘えてくれることもあるし、そう言う時、俺のこともちょっとは頼りにしてくれてるのかなぁって思って嬉しかったり」
「へぇ、柴さんが誰かに甘えているところなんて、想像できないけど」
「はは、会社では侑史くんやっぱり怖いんですか」
「そうだなぁ、俺みたいな平の所員にはまだ優しいけど、管理職には厳しいかな、真中さんも含めて」
言いながら鹿野目は、ここにはいない堂嶋のことをまた性懲りもなく考えていた。堂嶋はよく柴田に怒られて青い顔をして俯いているが、柴田のことは別に嫌いではないようで、お昼にはふたりでランチに出かけたりしていて、あのあたりの関係性は鹿野目には理解できなかったが、柴田も闇雲に怒っているわけではなく、堂嶋側にも責任はあり、それをきっと堂嶋自身が自覚しているからだろうと鹿野目はひっそりと思っているのだが、本当のところはきっと二人にしか分からない。
「はは、そうなんだぁ、なんかちょっと嬉しいなぁ」
「・・・嬉しい?なにが」
「俺、侑史くんの仕事のことは全然分かんないんです、あんまり話もしてくれないし、だから知らないことを何でも、知ることができるのは嬉しい、です」
「・・・―――」
「あー、でも、こんなこと言ってると、怖いってまた侑史くんに言われるかな」
言いながら逢坂がにこにこと笑うのを見ながら、鹿野目は不思議な気分だった。その向かいに座っている二十歳そこそこの青年が、あの鬼上司柴田の恋人であることも、その恋人とこうしてテーブルを挟んで食事をしていることも全て、自分で仕組んだことながら不思議で仕方がなかった。
「鹿野目さんはなんで、俺と会いたいなんて話してくれたんですか」
「・・・こんなことを言ってはあれかもしれないけど、柴さんはしっかりしてるようで抜けてるところがあるから。飲み会の時もそうだったけれど。だから俺なりに心配というか、そんなことを言うと生意気だと怒られるかもしれないけど」
「あはは、そっか、そうですよねぇ」
「でも君は若いけどしっかりしてるし、何より柴さんに信頼されてるみたいで、少し安心したよ」
「・・・しんらい」
まるで初めて聞く言葉みたいに逢坂が口の中でそれを繰り返して、目を瞬かせるのを鹿野目はぼんやりと見ていた。柴田は電話が長引いているのか、全く帰ってくる気配がない。逢坂の笑っている顔は年相応で柔らかくて頼りなくも見えたが、口をきゅっと結ぶと精悍な顔立ちがそうさせるのか、鹿野目は自分のしていた心配とは一体なんだったのだろうと少し疑問にさえ思った。
「仕事でがんじがらめになって家に帰って、君がいてくれたら柴さんもさぞかしほっとするんだろうなって」
「・・・そ、んないいもんじゃないですけど、ね。なんか、鹿野目さんあれだなぁ・・・直球だなぁ・・・」
言いながら逢坂が照れたように赤くなって俯き、ドレッシングのかかった葉物を口に押し込むみたいに入れるのを、鹿野目はじっと見ていた。その時不意に扉が開いて、柴田が携帯を片手に帰ってきた。逢坂は露骨にほっとした顔をして、また少し情けない表情に戻っていた。
「悪い、ちょっと厄介な案件だった」
「事務所に行くんですか」
「いや、いいって。週明けに相談だな」
柴田は細い首に手をやって、年中凝っている肩を緩く回すと、元の席に戻って逢坂が取り分けた前菜をじっと見つめてから、フォークでそれを食べはじめた。堂嶋は時々柴田とランチに出かけているが、柴田の食べられるものと食べられないものの違いが全然分からないと嘆いていることがある。それをふと思い出して、鹿野目は堂嶋に黙って出てきたことを少しだけ後悔した。
「鹿野」
「はい」
すると急に柴田が名前を呼んで、鹿野目ははっとして顔を上げた。柴田は相変わらず顔色の悪い人で、逢坂の取り分けた前菜はもういいのか、それ以上のものにも手を付けようとせず、フォークを実に潔く置いた。何となくそれを目で追いかけてしまう。
「どうよ、うちのしずかくんは、かっこいいだろ」
「え?は?侑史くん?」
「はい、流石柴さんのカレシです」
「え?鹿野目さん?え?」
ふたりのやりとりに逢坂だけがついてこられずに目を白黒させながら、柴田と鹿野目の両方を交互に見やっている。
「よろしい。もういいな、これで気ィ済んだだろ」
「はい、俺の我儘に付き合って下さって感謝しています」
「いいよ、もう、そういうのは。ただ、これ以上余計な詮索したら、社会的制裁も辞さないのでその覚悟で」
「分かりました」
「・・・俺の分かんない話をしないでよ、侑史くん、ねぇ・・・・」
展開について行くのを諦めた逢坂は、ひとり肩を落としている。鹿野目はそれをちらっと見てから、また柴田の方に視線を戻した。
「柴さん」
「ん?」
「俺は物心ついた時からゲイで、同性しか好きになれませんでした。そのせいで、嫌な思いをしたことも何度もあります。大人になってからは隠れて生きる技術も体得して、それほどひどい目にはあっていませんが。でも柴さん、ゲイでなくても、いやゲイじゃないからこそなのかもしれませんが、同性と付き合うのは大変です。異性と付き合うみたいにはいきません。そんなことは多分、柴さんはよく分かっているし、余計なお節介かもしれませんが・・・―――」
捲くし立てるように鹿野目は喋って、そこでふと息を吐くみたいに言葉を切った。先程まで調子のいいことを言って笑っていた柴田も、鹿野目の発する空気に当てられたのか、真面目な顔をして鹿野目のことをじっと見ていた。逢坂だけが落ち着きなく、そのふたりの間で視線を彷徨わせている。
「柴さん、もし柴さんが逢坂くんのことを明らかにしようとしているんだったら、それはやめといたほうが良いと思います。世の中はまだ偏見だらけです。柴さんの今後のキャリアにも関わってくると思います。秘密にしていたほうが、無難だし余計な負担はかからないと思います」
「・・・何でそんなことお前が言うの。俺がカムアウトしそうに見えた?」
「えぇ、俺が尋ねた時、呆気なく認めたし、今日のことだってあんまりも軽率だと思いますが」
「はは、そうか。分かったよ、肝に銘じとくわ。ありがとう」
柴田は笑って少し目を伏せると、短くそうして鹿野目にお礼を言った。ふたりが一体何の話をしているのか半分以上分からなくなった逢坂は、そうして何か吹っ切れたようにする柴田の事と、少しだけ和らいだ顔をする鹿野目のことを交互に見やることしかできなかった。
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