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秘密をあげる Ⅶ

レストランを出たところで鹿野目とは別れた。最後に名刺を逢坂に差し出す鹿野目を見ながら、柴田はやっぱり何が可笑しいのか笑っていた。鹿野目が逢坂に差し出した名刺は『鹿野目旬』と書かれた裏に、携帯電話の番号とメールアドレスが手書きで書かれていて、鹿野目はこれをいつ書いたのだろうと、財布にしまいながら逢坂は思った。連絡をしても良いのだろうか、連絡をすることがあるのだろうか、柴田の運転するフーガの助手席で、アルコールのせいでぼんやりする頭で考えた。 「侑史くん」 「ん?」 「・・・俺のことは秘密にしとくって言ったじゃん」 「言ったな」 柴田は前を向いてハンドルを握っている。車を運転している時の柴田は、背筋が伸びていていつも部屋の中でだらだらしている柴田とは別人に見えた。その時ばかりは柴田がどうしても取り繕いたいらしい大人の男に見えて、逢坂は指をくわえてかっこいいと思っている、それはもうひっそりと。一方で、そのグレーのシャツから見える手首が白くて細くて、レストランで食べたコース料理のせいでお腹は一杯のはずなのに、逢坂はそれを口に含んで思い切り吸い付きたいような欲望と戦っていた。 「なんで、鹿野さんが言ってたことと違うんだけど」 「あれはアイツの妄想だよ」 「・・・俺の事カムアウトしても良いと思った?俺の為に?俺がして欲しいって思ってるから?」 「しつこいな、残念だけど鹿野に釘さされたししねぇよ」 助手席から手を伸ばすと、危ないやめろと噛みつかんばかりの形相で言われて、また逢坂は自分の頭の弱いところがじくりと疼いたような気がした。シャツの襟の隙間から鎖骨が少しだけ見えて、そこに跡を残したのはいつだったのだろう、すっかり消えて綺麗になっている柴田の渇いた肌を、隅から隅まで舐め回したかった。逢坂がそんなことを考えているのが分かっているのかいないのか、柴田はハンドルを握ったまま前を向いていたが、時々警戒するように逢坂のほうをちらちらと伺っている。 「釘さされなきゃしてたの?俺の為に?」 「うるさいな、お前は」 「だって嬉しいんだもん、侑史くんがそんな危険な真似俺のためにしようとしてくれたなんて」 「だからしねぇって言ってるだろ・・・」 うっとうしそうに柴田はそう言って、ちらりとまた助手席の逢坂を見やる。逢坂はそこでにこにこ笑って、柴田のことを見ていた。 「でも秘密で良いよ、侑史くん」 「・・・だから」 「俺、今日鹿野さんと喋れて面白かった。鹿野さんの言ってたことよく分かんないこともあったけど」 「・・・あ、そ」 「うん、俺侑史くんとずっと一緒に居たいから、そのためには我慢も必要だってことだよね」 「要約してそうなんのかよ、お前ホントおめでたい」 手を伸ばして柴田の頬を撫でると、柴田は少しだけ困った顔をしてちらりと助手席に逢坂に視線をやった。 「運転してるから危ないって言って・・・―――」 「うん、でも赤信号だからちょっとだけ」 「ちょっとって何だよほんとにもう」 文句ばかりで煩い唇を塞ぐと、柴田は途端に静かになった。唇を離すと、なんだかんだと流されたことが気に入らないのか、それともまだ恥じらいでもあるのか、気まずそうに柴田は暗い車内の中、ふっと逢坂から視線を反らした。抱き締めてそのまま押し倒したいと思ったけれど、多分もうすぐ信号は変わる。逢坂は下唇をついっと舐めて、焦燥に耐えた。 「・・・しずか」 「なに、帰ったらえっちしようね」 「・・・ちゃんと座ってろ、ばか」 前を向いて柴田がハンドルを握り直す。その痩せて細くて長い指を、一本一本広げて、指の股から爪先まで舐め回したいなぁと思いながら逢坂は殆どうわの空でそれに返事をした。 マンションに帰ると、既に電気はついていた。出て行くことを堂嶋に何と言うべきか考えていた鹿野目だったが、用事があると言うと堂嶋はそれが何かとは聞いてこなかった。実にあっさり行ってらっしゃいと言われて、少しだけ寂しかったけれど、堂嶋とその彼女だった咲との話を少し聞きかじっている鹿野目は、元々堂嶋は相手にそういう気持ち、もしかしたら浮気をしているのではないかとか、それでなくても自分の知らない人と会うのは嫌だとか、そう言う気持ちを育てることはしないことは何となく予想がついていたが、それを差し置いてもやはり少し寂しかった。自分ばかり好きでいるのは時々しんどい。 「ただいま帰りました」 「あー、おかえり、鹿野くん」 堂嶋は休日らしく寛いだ格好で、リビングでテレビを見ていた。テーブルの上にはコンビニで買って来たのか、おそらくどんぶりのたぐいが入っていたのであろう容器が転がっていた。ほとんど料理をしない堂嶋は、こうして買ってきて済ませることが多かった。何となくそれを見て、鹿野目は堂嶋に悪いような気がした。レストランで出されたフルコースに、柴田はほとんど手をつけなかったが、支払いは当然みたいに三人分払っており、柴田はそういう事に慣れているのだろうと鹿野目はお礼を言いながら考えていた。そして帰って来て堂嶋がコンビニ弁当しか食べていないことに、また罪悪感を覚えている。 「悟さん、ご飯買ってきて食べたんですか」 「あぁ、うん。ごめん、ゴミそのままだ、片づけるよ、俺」 「いえ・・・」 鹿野目が片づけようとした容器を、堂嶋はさっととるとゴミ箱の中に捨てた。 「鹿野くんはご飯食べてきたんだよね」 「・・・あぁ、はい」 「そう、何食べたの?おいしかった?」 にこにこと堂嶋が笑って話を振ってくるが、その前に誰と会っていたの?ではないのだろうかと鹿野目は思った。考えながらジャケットを脱いで、椅子の上に引っかける。 「悟さん、悟さんが知りたいことってそれだけですか」 「え?」 「今日俺が誰に会って何の話をしてたんだとか、そう言う事は気になりませんか」 「・・・あー・・・」 聞かれたって言えやしないのに、こんなことを言うのは無意味だと思ったけれど、思った時には口を突いていた。堂嶋はふっと宙に視線をやって何やら考えるような仕草をした。そもそも堂嶋はそう言う事に関しては無頓着であると言うことは分かっている。そもそも自分にそういう意味合いで、執着や頓着があるのか疑わしい。考えながら鹿野目は後頭部をやや乱暴に掻いた。 「そりゃまぁ、気にならないことはないけど」 「じゃあどうして聞かないんですか、俺に興味がないからですか」 「・・・またそういうこと考えてるの?鹿野くんはそう言う事考えるのが得意だねえ・・・」 「はぐらかさないでください」 呆れたように堂嶋は言って、それから肩を上げてふふふと笑った。鹿野目はどうして堂嶋が笑うことができるのか不思議で、分からないことが悲しかった。堂嶋の事なら何でも知りたかったし分かりたかった。けれど現実的には分からないことの方が多くて苦しい。 「別にそう言う意味じゃないよ。勿論そういうことも気になるけど、いちいちそう言う事聞かれるのも嫌かなぁって」 「・・・でも聞かれないのも気にされていないみたいで嫌だ」 「そうだねぇ、ごめんごめん」 笑いながら堂嶋は傍までやって来ると、椅子に座っていて目線の低い鹿野目の頭をぽんぽんと撫でた。ちらりと視線を上げると堂嶋はやはりそこでにこにこと柔らかく微笑んでいた。どうしてそんな顔をしているのか分からない、分からないと思いながら鹿野目は腕を回して堂嶋をぎゅっと正面から抱き締めた。堂嶋はいつも温かくてちゃんと生きている匂いがする。 「どこ行ってたの鹿野くん、友達?」 「・・・」 「そうだったらいいなぁって、俺ちょっと思ったんだ。君はその、あー・・・何かこういうことを言うとまた拗ねそうだけど友達とか少なそうだから、ちゃんとそうやって大学でも高校でも、繋がってる友達がいるって言う事は良いことだから・・・」 堂嶋は鹿野目の腕を嫌がるでも窘めるでもなく、そのまま自棄に饒舌に喋りはじめた。それを聞きながら鹿野目は一層腕の力を強めた。 「友達なんていません」 「・・・あー・・・ごめんね」 そうやって弱みを見せれば、もっとも鹿野目にとってはそれは何でもないことだったけれど、堂嶋にとってはどうやらそれは弱みになるらしく、堂嶋は優しくしてくれるから、鹿野目はそれを知らないふりをしながら時々活用している。あの鬼上司の柴田も部屋の中でこんな風に、あの年下のイケメンと抱き合っていたりするのだろうか、例えば柴田に堂嶋とのことを話したら柴田は一体どんな反応をするのだろう。知りたかったけれど、そのリスクを冒すには、鹿野目には守らなければならないものが多すぎた。そういえば、レストランの前で別れる時、柴田は意地悪そうに笑って言っていた。 『鹿野、お前も付き合ってる人とか、いるんだろ?』 『はぁ、まぁ』 『じゃあ今度は俺にも会わせろ。俺だけ会わせるなんて良く考えたらフェアじゃない』 『・・・考えておきます』 その時は他に何かいい言い訳を思いつかずに、そう言って逃げることしかできなかった。柴田は全く気付いていないけれど、会うという意味合いでは、鹿野目の恋人にはほとんど毎日顔を突き合わせているのだけれど、考えながら鹿野目はちらりと堂嶋のことを見上げた。堂嶋はそこで優しい顔をして、鹿野目の頭を撫でている。柴田は兎も角、堂嶋はその言う意味合いで柴田と会うことになったら、きっと卒倒するに決まっていた、いや卒倒するよりもっと酷いことになるかもしれない。 「別に友達なんていらない、俺には悟さんがいればいい」 「・・・そんなわけないだろう、馬鹿な鹿野くん」 「馬鹿じゃない、本当の事です」 ちょっと顔を堂嶋の方に寄せると、鹿野目の意思を汲んだみたいに堂嶋はゆっくり鹿野目の唇にキスを落とした。この優しい人を誰にも奪わせはしないから、この恋は誰にも秘密なのだ。 それがたとえば上司命令でも。 fin.

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