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眠れる森の君のため Ⅸ
「天海さん、柴さんのこと好きなんだ」
「・・・嫌いじゃなかったら好きなのか。お前の中は二択しかないのか」
「だってこんな風に怒ったりしないじゃん、他の人のことで。それって執着があるってことだろ。だから俺はそれが羨ましくてさー、なんで分かってくれないのかな。俺のかわいい嫉妬心を」
また引っ張られたら嫌だなと思って、織部はネクタイを解いて側に置いた。「お前に非難する権利はない」と、ただそう言えばいいのに、天海は「お前にも俺にも」と言った。自分が勝手に劣等感を抱いてそれで柴田に当たっていることを、そうして天海は自覚しながら、そうやって自分で自分のことを、それでも八つ当たりをしてしまう可哀想な自分のことを、責めているのだろうと織部は思った。何重に遠回りをすれば、そんな器用に自分で自分のことを傷つけられるのだろう。
「俺にはそんな風に、本気で怒ったりしてくれないだろ」
「・・・また面倒臭いことを考えてるのか。いい加減にしてくれ」
「だって羨ましかったんだって、そんな風に思われてる柴さんがさー。俺は何でも天海さんの一番がいいの」
「疲れた、もう寝る」
それ以上話をしても無意味だと思ったのか、天海は吸っていた煙草を灰皿に押し付けるようにして火を消すと、ばっと勢いよく立ち上がって、ソファーから離れてバスルームに行こうとした。織部は腕を取ってそれを捕まえる。天海は簡単にその足を止めて、それからくるりと振り返った。払われるかなと思ったけれど、大人しく腕を掴まれたままだ。
「ちょっと待てよ、するんだろ?しないの。今んとここれくらいしか一番じゃないんだからさ、ちょっとは面倒臭い俺にも付き合ってよ、それが甲斐性のある彼氏のすることじゃない?」
「・・・」
「あ、あとさー。柴さん、裸にしても俺やっぱり全然勃つ気しなかったよ。俺ってやっぱノンケなんだなーと思って」
「だからずっとそう言ってるだろ」
「だからやっぱり天海さんは俺の特別なんだなーって。実地をもって検証した結果だから、これちょっとは信憑性あるだろ?」
ぽんぽんと膝の上を叩くと、天海は溜め息を吐いてソファーに戻ってくると、ソファーに座ったままの織部の膝の上に向き合うように座った。天海はクールでドライで、感情的なところでは、何にも織部の思うようにはいかなかったけれど、体に訴えれば少しは満足することが分かっている。それは織部の一方的な満足に過ぎなかったが、それでも飢え続けるよりはマシだった。そして天海がそれを拒絶しないことも、織部は知っている。普通、逆なのではないかと思うけれど、天海にとっては性欲を満たす行為のハードルのほうがずっと低い。結局柴田を使っても、天海のそれは少しも動く気配がなくて、色んな人に沢山怒られただけだったなと織部は大人しく膝の上に乗ったまま動かない天海を見上げながら思う。
「首痛かった、天海さんが引っ張るから」
「お前が変なことするからだろ」
「もうしないよ。舐めて」
小首を傾げながら、織部は膝に乗ったままの天海に、そう命令するみたいに言った。天海は無表情のまま織部のシャツのボタンを外すと、そこに大人しく顔を寄せて、赤くなった織部の首筋をついと舐めた。柴田の体に無数にキスマークを付けたみたいに、天海もそこを吸ってと言えば吸ってくれるかもしれないとぼんやりと織部は考えていた。天海は唇と舌を器用に使って、赤くなったそこを執拗に舐めはしたけど、織部が考える刺激は、いつまで経っても与えられなかった。
「お前、明日」
「なに?」
「ちゃんと柴に謝っとけよ」
「あー・・・うん。天海さんがそう言うなら、謝ろっかな。ヤっちゃったって嘘ついたのも謝ったほうが良い?あんなに慌ててさぁ、フツー信じないよなぁ?」
「・・・―――」
ふっと天海が顔を上げて、織部のことをじっと見つめる。何か変なことを言ったかなと思いながら、織部は天海が着ているノーカラーのシャツの下から手を入れた。天海はセックスに対するハードルが恐ろしく低かったので、頼めば大体のことはしてくれたけれど、自分がされるほうなのはあまり好きではないみたいで、触ろうとするとそれこそ嫌がられることも多かった。引っ張ってそれを脱がせると、天海だって暗がりの中で見た、柴田と同じ男の体をしているはずだった。
「お前さ」
引っ張って脱がせたせいで、乱れた髪の毛を女の子みたいに片手で梳いて、その形を整えながら、天海は織部のシャツを引っ張ったりせずに、上からちゃんとボタンを外す。天海はされるのは嫌いでするほうが好きだったから、織部は自分が嫌じゃないことは、あえて天海がするのを制止しないようにしている。
「なに?」
「何が一番なんだって?お前より上手い奴、俺は山ほど知ってる」
「・・・アンタ、ほんと、そゆとこあるよなぁ!俺のこと煽って、タダで済むと思うなよ!覚悟しろ!」
「覚悟ならお前がしろ。どうせ一晩も持たないくせに」
言いながら天海はそのままベルトに手をかけて、さっさとそれを開けてしまう。織部は慌てて天海の両肩を掴んでそれを止めた。ぱっと天海が顔を上げたのと目が合う。
「あ、ちょ、天海さん、いきなり舐めるのやめて」
「なんだ、お前注文が多い。面倒臭い」
「やだ、その前にキスして。俺からしたら怒るだろ、だから天海さんからして」
「・・・別に怒ったことないだろ」
「でも嫌そうにすんじゃん、傷つくんだよいちいち!」
「それはお前が下手くそだからだろ」
「下手じゃねぇわ。もっと傷つくからやめて!」
女の子は皆喜んでくれたのにおかしいと思いながら、裏で陰口をどうも叩かれていたらしいことを最近知った織部は、彼女たちが自分の前でにこにこ笑いながら、裏で一体何を思っていたのか、考えてしまうことがある。男同士のセックスのことなんて微塵も分からないし、天海は天海で毎度違う男を漁り歩いているだけあって経験豊富であるし、織部は自信がなくなる一方だったが、最早天海と恋人らしいことをすると言えば、セックスすることくらいしかないので、織部はそれを諦めることができない。
「お前、ほんとにキスしろって言ったりなんだかんだ煩い。女みたいだな」
「天海さんが即物的なだけだろ、アンタほんとに穴以外は不感症なんじゃねーの」
「そうかもな。だからキスなんて俺は気持ちよくないし、むしろ唾液が混ざって気持ち悪い」
「・・・もっとすごいとこ舐める人のセリフじゃないよな、それ・・・」
呆れて笑いながら織部がそう言うと、天海は無表情のままそっと顔を寄せてきた。唾液が混ざって気持ち悪いなんて、やっぱり潔癖なのではと思って、開けた口を閉じると、至近距離でぴたりと天海が止まる。表情に色はないくせに、やっぱり天海は綺麗だなとぼんやり考えてしまう。その冷たい表情が、美しく整った互いのパーツを決して邪魔しないでいるのだと思う。
「口開けろ」
「唾液がヤだって言ったから」
「中坊みたいなキスさせるつもりか」
「いいじゃん、俺天海さんとならなんでも気持ちいから、中坊みたいなキスしてよ」
「・・・随分安上がりだな、お前」
「そのうちなんでも気持ちよくなるって、俺頑張るから」
はははと笑って、柴田ほどではないが、痩せた天海の背中を撫でると、天海はそのまま顔を寄せて、唇を閉じたままキスをした。
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