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Worker in the Darkness Ⅱ

佐竹の言った通り、皆忙しいのだろう、メールに律義に返信をくれる人のほうが少なかった。鹿野目はそれを集計しながら、まだ返信のない所員のリストを作ってコピーをすると、今日終わりにでも佐竹に見てもらおうと思ったけれど、そう言えば佐竹は昼から出張に行ったまま、今日は直帰すると言っていたことをコピーしてしまってから思い出していた。時期が時期なので、早めに予約取らないと店埋まるぞとこの間、喫煙スペースで会った柴田が心配してくれていたこともあったので、早めに人数の確定は欲しかった。どうしようかコピーを持ったままひとりで考えながら、デスクまでの道のりを歩いていると、向かいから西利がやってきて、鹿野目を見つけると笑顔になり小走りでこちらに寄って来た。 「鹿野くん、お疲れ」 「お疲れ。あぁ、そうだ。西利。メールの集計終わったんだけど、今日佐竹さんいなくて。どうしようかと思ってたんだけど」 「え、もう終わったの」 驚く西利にコピーを見せると、それをまじまじ見てから西利はゆっくり顔を上げた。目がキラキラしているが、鹿野目は彼女がどうしてそんな顔になるのか分からない。 「ほんっと仕事はやいよね、鹿野くん」 「別にそんなことないけど。そう言えば、織部さんいたな。織部さんに相談するか」 「・・・織部さん話聞いてくれるかな?前あんなんだったし・・・」 「前は機嫌が悪かったんだろ。佐竹さんが言ってた」 「鹿野くんってほんと素直だよね。はぁ、そんな風に思えない自分が心が狭いのかな・・・」 「え?」 曇った顔をして西利は鹿野目にコピーを返すと、小さく溜め息を吐く。素直というのは時々堂嶋が呆れるみたいに鹿野目にかける言葉のひとつで、正直に言って褒められているような気がしないので、言葉自体は悪くないのだろうが、鹿野目はあまり好きではなかった。西利にまでそんな風に言われるということは、やっぱり自分はそうなのだろうかと思って、鹿野目は鹿野目なりに少し傷ついたりしていた。 「あのさ、スガさんっていたでしょ。波多野班に。今天海さんとこ行っちゃったけど」 「スガさんがなにか?」 「スガさんって織部さんの大学からの同期なんだって。志麻さんが教えてくれたんだけど・・・そのスガさんからなんかあんまりいい噂聞かないっていうか・・・」 「噂?」 「・・・うーん。な、なんかね。今でもタケさんとかと合コン行ったりしてるみたいじゃない。大学の時は女の子とっかえひっかえして結構遊んでたみたい・・・今は知らないけど」 「へぇ。まぁ織部さんかっこいいもんな。モテるんだろうな」 「・・・う、うーん・・・」 少しだけ鹿野目ならそういう反応になるだろうことは分かっていたけれど、西利はそれを言わずにはいられなかった。けれど言ってからやっぱり、こんな陰口みたいなこと言っている自分は嫌だなと思う。鹿野目はそれに同調なんてしないし、誰かのことを悪く言ったりはしないのだろう。そういう部分を見るたびに、鹿野目がそれこそ真っ直ぐ生きているのが西利には眩しく見えるのだった。 「西利が嫌なら俺だけ話をしに行くけど」 「いやぁ・・・私も行くよ。幹事だし・・・」 そんなことを鹿野目に吹き込んで、一体自分はどうするつもりだったのだろうと罪悪感に胸を詰まされながら、西利は俯いたままぼそぼそと返事をした。本当は今、織部の顔なんか見たくはなかったけれど、鹿野目をひとりで行かせるわけにもいかなかった。鹿野目がすたすた迷いなく歩いて織部のデスクまで到達するのに、何分もかからなかった。織部の背中は、今日はグレーのスーツを着ている。服装の規定がない事務所内では、そうやってきちんとした格好をしている人のほうが少なかったから、織部のそれは珍しかった。 「織部さん。お仕事中すいません」 「・・・ん?」 鹿野目が後ろから声をかけると、くるっと織部はこちらに向き直った。西利はその鹿野目の後ろに隠れるみたいにしながら、織部のことを観察していたが、確かに佐竹の言った通り、前に会議室で見た時よりも、今日の織部のほうがまだ表情に余裕があるように見えた。 「忘年会の出欠確認のことでご相談があるんですが、今お時間良いですか」 「・・・いいよ。退勤処理するからちょっと待って。会議室どっか予約してくれる?」 「あ、はい。ありがとうございます」 てっきり冷たくあしらわれるのがオチだと、西利は完全に思い込んでいたけれど、その時織部はにこっと笑って実に愛想よくそう言うと、またくるりと椅子を回転させて自分のパソコンに向き直った。佐竹の言っていたことは本当だったのか、本当にただこの間は機嫌が悪かっただけなのか。西利の目の前で、そんな疑問すら感じていなさそうな鹿野目の淡々とした一定の音が、そう返事をするのを聞きながら、西利は目の前のことが俄かには信じられなくて、目をぱちくりさせることしかできなかった。そしてまたすたすたと迷いなく、会議室のある事務所の奥に進む鹿野目の背中を追いかける。 「なにあれ、気持ち悪い・・・」 「Aが空いてるな。広くなくていいし、ここでいいか」 鹿野目はひとりでそう呟いて、会議室の予定を書き込むホワイトボードに「忘年会幹事」と書いている。そしてまたすたすたとA会議室に入っていくのを、西利は慌てて追いかける。 「ねぇ鹿野くん、変だよね?織部さん変じゃない?」 「変って何が?話聞いてくれるみたいで良かったな」 「いやそれはいいんだけど・・・でも前と態度変わりすぎじゃない?怖いよ」 「そうか?まぁいい風に変わってるんだからいいんじゃないか」 「・・・でも」 全く何も感じていないような鹿野目相手に、西利は何か言おうとしたけれど、その時背中でまたノックもなしにガチャリと扉が開いて、はっとして振り返ると織部がそこから顔を覗かせた。西利は舌打ちをしたいのを我慢して、くるりと織部に向き直った。 「織部さんお時間ありがとうございます。メールの集計なんですけど・・・」 「あ、そういうのいいから。俺ちょっとこいつに話あるから、鹿野目くんだっけ?外出て」 「え?」 鹿野目がコピーを織部に手渡そうとすると、織部はそれに手を振って拒否すると西利のことを指さして、急にそう言った。西利は舌打ちをしようとしていたことでもバレたのかと思って顔が青くなったが、西利の目の前で鹿野目を追い払うようにした織部は、この間見たのと同じような不機嫌そうな顔をして、聞き返す鹿野目に分かるように会議室の扉を指さした。鹿野目も勿論、織部がそんなことを言ってくるとは思っていなかったみたいで、無表情ながら一応は吃驚しているみたいに西利には見えた。そして織部の指と会議室の扉を交互に見やった後、それしか方法を知らないみたいに小さく息を吐いた。 「・・・話はすぐに終わりますか?」 「あー、うん。話分かるね、鹿野目くん。流石エリート堂嶋班」 「ちょっと待って!鹿野くん!ちょっと、私をひとりにしないでよぉ!」 「うるせー、俺もいるんだからふたりだろ」 「や、やだ、織部さんなんか怖い!鹿野くん行かないでよ!」 「キンキン叫ぶなよ、鬱陶しい」 織部が側の椅子を蹴って、それががたんと音を立てて倒れるのを、西利は目で追いかけた。なんだか何が起こっているのかよく分からないが、この織部の不機嫌の理由はどうやら自分らしいとそこで推測がついた。西利は青白い顔をもっと青くして、織部の前から逃げると、今にも出ていきそうな勢いの鹿野目の腕を掴んだ。織部の話からは逃れることはできなくても、取り敢えず今ひとりにはなりたくないと思った。鹿野目が正直こういう時に頼りになるのか分からなかった、今も織部の言うとおりに外に出ようとしているわけだし、けれどいないよりはマシだった。最早鹿野目にしか頼ることができない。 「か、かのくん、待って行かないで。ほんとにヤダ怖いからいて」 「・・・でも織部さんが」 「ほんっとうるせーな。そうやって涙目上目遣いのコンボ決めてりゃ、男が言うこと聞くと思ってんだろ、クソビッチ!」 「え・・・なん・・・―――」 「織部さん急にどうしたんですか」 「うるせーってだから、部外者は黙ってろよ」 「な、なんでおりべさんに、そんなこといわ・・・れなきゃ・・・わたしなんにも・・・」 肩を揺らして鹿野目の腕を掴んだまま、西利はじわっと目に涙を溜める。それを見て、織部は心底不快そうに眉を潜めた。もしかして噂を陰口みたいにして言っていたことに気付いて、織部は怒っているのだろうかと思ったけれど、それにしてもあんなかわいい軽口くらいで怒りすぎだろうと西利は混乱しながら考えた。しかしそれ以外に織部を怒らせるようなことをした覚えがない。忘年会の幹事の仕事が回ってくるまで、初対面みたいなものでろくに口をきいたことすらなかったのに。 「はぁ?ちょっとかわいい女はこれだよ、すぐ!今までちやほやされてきたんだろうが!俺ほんとお前みたいな女大っ嫌いなんだよねぇ。お前みたいな勘違い女はさぁ、合コン来てもやらせる気もねぇ癖に飲むだけ飲んでさっさと帰るんだろ、ほんとマジでやらせる気がねぇなら来るなっつうの!」 「・・・西利、お前織部さんと合コンしたのか?」 「してるわけないじゃん!ばか!」 相変わらず鹿野目の発想は斜め上だと思いながらも、西利は鹿野目の腕だけを、その時ばかりは離すことができなかった。 「織部さん、西利は合コンはしていないと言ってます。何かの間違いじゃないですか」 「間違いじゃねぇよしてねぇよ、例えだっつってんだろうが!お前もう外出てろよ、話拗れるわ」 「・・・西利、織部さんそう言ってるけど・・・―――」 「や、やだやだ、ぜ、ぜったいむり・・・むりだから・・・」 「うるっせぇな!いいか、お前!今度天海さんにちょっかいだしたらぶっ殺すから!」 苛々した調子のまま織部は西利に向かって指を差し、そう言い放つとそのまま会議室を大股で出て行ってしまった。残された鹿野目と西利は織部が怒りに任せて、会議室の扉を大袈裟な動作で閉める音を聞きながら、一体何が目の前で行われているのか分からず、ぽかんとしていた。 「・・・天海さん?」 鹿野目が首を傾げながら言うと、ずっと鹿野目の腕を握っていた西利は、気が抜けたみたいに会議室の床にぺたんと座り込んだ。腕の重みが取れた鹿野目は振り返って西利が放心したようにそこで震えているのを見つけると、自分も床に膝をつけて西利の顔を覗き込んだ。真っ青な唇を震わせて、西利は何か言おうとしたけれど、目からぼろぼろ大粒の涙が零れ落ちていて、それは言葉にはならなかった。 「大丈夫か、西利」 「・・・ご、ごめん・・・び、びっくり、して・・・」 「そうだな。織部さんってもっと低温な人だと思ってたけど、あんな風に怒ったりするんだな」 しみじみ鹿野目はまた本質とは全然違うところに引っかかって、西利がその時考えていたのとは全然違う話をしていたけれど、それを訂正する元気がもう西利にはなかった。出てきた涙を擦ると、それは案外すぐ止まって本当に吃驚して反射的に出てきただけみたいだった。俯いたまま小さく溜め息を吐く。織部が怒っていたことが、何となく身に覚えがある分、鹿野目の純粋な目に後ろめたい気がした。 「織部さん、天海さんって言ってたけど」 「・・・そうだね、何の話かよく分かんないや」 取りあえずはぐらかしておけばいいかと思って、西利は無理して笑うと、鹿野目はそれにすぐに騙されてくれないみたいに、少しだけ眉間にしわを寄せて怪訝な表情を浮かべた。

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