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Worker in the Darkness Ⅵ

人気のイタリアンレストランを貸切る形で、その年の忘年会が始まってからもうそろそろ2時間くらい経とうとしている。レストランの端っこの照明の当らない暗い席で、鹿野目は出席者の確認と徴収した代金の計算をひっそりと行っていた。元々飲み会はあまり好きではなかったけれど、堂嶋班に移ってから佐竹や徳井に誘われて、なんだかんだと飲み会をする機会も増えたような気がする。けれど、やっぱりここまで大きな飲み会になると、情報量が増えてそれから逃れたくなるのを抑えられない。今回は幹事でよかったかもしれない、こうしてここで何かをしていれば、それに巻き込まれなくていいから。 「鹿野くん」 代金と人数があっているのは分かっていたが、もう一度計算し直そうかなと、鹿野目が電卓に手を伸ばした時、上から声が降ってきて、ふっと目を上げると、側に堂嶋が立っていた。鹿野目がどうして堂嶋がこんな離れた席にやってきたのか分からずに、ぱちりと瞬きをすると、堂嶋はにっこり笑って鹿野目の隣のソファー席を指さした。そこにはさっきまで佐竹が座っていたが、今は空になっている。 「隣座ってもいい?」 「・・・どうぞ」 断る理由はなかった。佐竹は本来ならば、幹事席と称されたそこに座っていなければいけない人間なのだが、いつの間にか自分のグラスを持って、輪の一番真ん中で大声で何かを喋っては笑い声を立てている。あの分ではしばらく戻ってこないだろうことは推測するに容易かった。同様に、織部も西利も側にはいなかったので、必然的に鹿野目はそこでひとりだった。堂嶋はグラスを持ったまま、佐竹の席にすとんと座った。グラスの中の透明な液体は何かよく分からなかったが、たぶんお酒の類で、堂嶋はこう見えてお酒には強く、相当量飲んでも多少顔が赤くなるくらいで、酔っぱらっているところを見たことがない。 「他の幹事さんは?」 「・・・皆どこかで喋ってます」 「なら君も来たらよかったのに」 「でも、お金がここにありますし、それにまだ来られてない方もいるので」 言いながら鹿野目は自分で作った出席者のリストを指でなぞった。まだ来ていないのはもう柴田だけだったが。堂嶋は隣からそれをちらりと見た後、ふふっと小さく笑った。 「君は律儀だなぁ、あと柴さんだけだろう。あのひと到着いつになるか分からないよ」 「そうですね、俺も何となく、そんなような気がします」 堂嶋のそれにそう返事をしながら、鹿野目は小さく息を吐いた。何でもないことを話しているのに、喧騒から少し離れたところで、堂嶋とまるで隠れるみたいにふたりでいると、なんとなくそわそわして落ち着かなかった。別段、同じ班の所員とリーダーという関係で、隣に座って喋っていることを、誰にも咎められたりはしないはずだと分かっているのに。堂嶋はいつも仕事に追われていてそれどころではないということもあるのだろうが、職場にいる時は、鹿野目のことを実に気持ちいいほど班のメンバーとしか扱わない。家に帰れば抱き合ってキスもするけれど、職場ではそんなことを微塵も感じさせない、完璧な立ち振る舞い、他はどうかしらないが、確かに鹿野目の目にはそう映っていた。ここは確かに職場ではなかったけれど、鹿野目にとっては仕事の延長みたいなもので、多分堂嶋にとってもそれは同じであるはずだった。 「忘年会、無事にはじまってよかったね。結局織部くんと仲直りできたの?」 「・・・あぁはい・・・あの後一応、織部さん西利に謝ってくれたらしいので・・・俺はよく知りませんが」 「よかった、ちょっと心配してたんだよ、俺」 言いながら堂嶋が笑って、持ってきたグラスの中の透明な液体を飲んだ。それに何と返事をしようと考えながら、鹿野目は堂嶋から視線を反らして、盛り上がっている別のテーブルにいる佐竹のことを見やった。その隣には織部もいて、佐竹の冗談に声をあげて笑っている。違う女性所員ばかりのテーブルには藤本の隣に西利がいて、今日は楽しそうにしていた。 「・・・はは」 ぼんやりとその様子を見ていると、隣で堂嶋が急に声を上げて笑ったので、鹿野目は反らした視線を思わず堂嶋に戻していた。 「・・・何ですか」 「いや、君が随分、居心地悪そうにしてるから」 言いながら堂嶋は、唇の端を引き上げて笑った。ふたりで並んで座っていることに違和感はないということを、鹿野目は分かっていたけれど、それでも何か落ち着かないのが顔に出ていたかなと少し反省した。でもそれと堂嶋の言っている居心地が悪いというのとは、少しニュアンスが違うと思った。自分が堂嶋の隣にいて、居心地が悪いなんて思うはずがないということを、きっと堂嶋は知らない。 「俺向こうに行っといたほうがいい?」 「・・・居心地が悪いなんて思っていません、でも」 「でも?」 その焦燥を堂嶋にどう伝えたらいいのか分からなくて、鹿野目は少し言葉を切って考えた。 「なんというかふたりでいると、『堂嶋さん』なのか『さとりさん』なのか、俺が分からなくて混乱するから」 「どっちも俺じゃないか」 「全然違いますよ、少なくとも俺にとっては」 「そう?君はそういうの隠すのが上手いから、俺は時々家にいる鹿野くんと職場の鹿野くんは違う人なんじゃないかと思うことがあるよ」 隠すのが上手いというのは誉め言葉なのか何なのか、鹿野目は考えながら堂嶋の横顔をじっと眺めていた。多分ただの部下はこんな風に不躾に堂嶋の顔を見たりしない。分かっていて尚、鹿野目はその時堂嶋の横顔をじっと眺めるのを止めなかった。 「どっちも俺です」 「あはは、そりゃそうだ」 堂嶋が笑ってこちらを向いたのにようやく目が合って、鹿野目は少し安心した。 「ここにいてください、さとりさん」 「いいの?」 「はい、皆が帰ってくるまで」 そう言うと堂嶋は、今度は声を出さずに口元だけで笑って、肩を竦めるようにした。いつも呼んでいるその名前を、こんな風に職場の延長みたいな場所で呼ぶことに、いちいち唇が緊張すると思いながら、鹿野目は置いていた自分のドリンク、中身はウーロン茶だった、を取り、それを傾けて少しだけ飲んだ。鹿野目は今堂嶋が『堂嶋さん』なのか『さとりさん』なのかを、そうして意識的に区別している。 「こうしてふたりでいるとさ、なんか悪いことしてるみたいだね」 「・・・そうですね」 ソファーに突いた堂嶋の手を上から握って鹿野目は、もうしばらくこの席には誰にも帰ってこなければいいのにと思った。そうすればこのひとは自分のものなのに。 (『堂嶋さん』も『さとりさん』も全部俺のものになるのに) 誰かが笑う声が随分遠く聞こえる。 Fin.

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