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嘘吐き夜を目指す Ⅴ
この場で天海に何かを言うことはできなかった。西利はデートだと思って浮かれていたけれど、天海が自分と同じ気持ちでは決してないことくらい、西利にはよく分かっていたからだ。だから二人のことを何の疑いも見せずに、数秒で受け入れた天海に、西利は文句など言うことができない。何も言う権利がない西利は、にやにやする織部を捕まえることもできずに、消去法で自分と目を合わせないように意図的にいつもの猫背を更に丸めて、俯いている須賀原の二の腕を掴んだ。
「すがさん!ちょっとどういうことなんですか!」
「・・・ほんっとにごめん西利」
顔の前でぱちんと両手を合わせた須賀原は、頭を下げて情けない声でそう言った。よく考えれば、とんとん拍子に話が進みすぎて、こんなに簡単でいいのかなと少し西利も今日に至るまで怖くなったことはあった。矢野や織部があんなに一生懸命自分をブロックしようとしていたことを思い出してみても、そのふたりが今日の今までまるで静かだったのも思い出してみれば、変だったのかもしれない。まさか最後の最後でこんなどんでん返しが待っているなんて、思ってもみなかったが。
「どういうことなんですかぁ!私がどんだけ、どんだけ勇気出してアマさんのこと誘ったと思って・・・!」
「いやだから、ほんとごめんって・・・。俺も嫌だったんだよ?こんなの。でもさぁ、織部がどうしても来いってきかなくってさ・・・」
「今日だって楽しみでおしゃれしてきたのに!こんなのあんまりです!」
「だ、だよなぁ・・・?ごめんってほんとに、今度何か奢るから・・・」
「すがさんにいくら奢ってもらったって埋め合わせに全然なりません・・・!」
失礼千万だったが、顔を上げた須賀原は眉尻を下げた顔をしていて、怒っている西利を見るなり、納得するみたいに「だよなぁ」と小さく呟いた。この男に当たり散らしたところで、状況が改善しないのは明らかだった。すると店の扉が急に開いて、そこから織部が顔を覗かせた。西利はもう取り繕うのを辞めて、恨みやらなにやらを込めてじとっと織部のほうを睨むように見た。しかし織部はというと、何が楽しいのか分からないがなぜか上機嫌でにこにこ笑っていて、それが西利にとっては何よりも気持ちが悪かった。
「何やってんのふたりとも、入りなよ店ん中」
「・・・おりべさん・・・」
「よ、よーし、西利行こう、な?今日は飲もう!アマさんのおごりだし!」
努めて明るい声を出して、須賀原は西利の腕を引っ張ったけれど、西利はじとっと織部のことを睨みつけたまま、そこを動こうとしなかった。
「・・・なんだよ、気分でも悪いなら帰れよ、俺が代わりに天海さんと仲良くしとくから」
「か、帰りません!折角ここまで来たんだから・・・!私織部さんには負けないし・・・!」
「あ、そ。あとで吠え面かくなよ」
「かきません!かくのは織部さんです!」
「お前ら・・・喧嘩するなよ・・・店の前だぞ・・・」
すっかり元気のなくなった須賀原は、西利の背中に向かって小さくそう呟いた。
「み、皆とりあえず乾杯はビールでいい、かな。アマさんそれでいいですか」
「あぁ、俺は別に何でも」
「私もそれでいいです」
「あれー?西利はカシオレとか頼まないのー?そのほうがかわいいけどー」
ちゃっかり天海の隣の席をキープしている織部は語尾を妙に伸ばして、へらへらと笑いながらそう言った。話をややこしくしないでくれと、思いながら須賀原はそれを無視しようとしたけれど、消去法で仕方なく須賀原の隣に座っている西利は、親の仇でも見るような目で、織部のことを睨みつけていた。一発目の注文からこれでは先が思いやられる、完全に巻き込まれている須賀原はいますぐ帰りたいと思った。
「頼みません!ビールでいいです!」
「天海さんコイツカシオレで天ぷら食うんですよ、味音痴なんですよ、こんな高い懐石食わせても意味ないよ」
「だ、だから飲まないって言ってるじゃん・・・!」
「あ、先輩には敬語使ってねー?君何期だっけ?」
「織部さんだっていつもタメ口のくせに・・・!」
「俺はいいの、天海さんと俺は仲良しだからいいの、お前は仲良くないから敬語使え」
「何その意味わかんない理論・・・!」
「・・・ビールでいいのかどうなのかはっきりしてくれ・・・」
須賀原が溜め息を吐いて、ふっと正面に座っている天海を見やると、天海はというとふたりの話を聞いているのかいないのか、やけに熱心にメニューを見ていた。
「・・・アマさん?」
「スガ、この季節の天ぷら盛り合わせは一体何が入ってるんだろう」
「・・・な、なんでしょうね・・・頼みましょうか・・・」
そういえばこの人もマイペースと言えば多少聞こえはいいがなんというか、いい意味でも悪い意味でも空気を読むのが苦手だよなと思いながら、やけにきらきらした眼差しを向ける天海に向かって、溜め息を吐きそうになって慌てて飲み込む。須賀原は天海班に異動するまで、天海のことは本当に顔と名前以外何にも知らなかったけれど、何となくその整った容姿に、にこりともしない固い雰囲気で、怖い人なのだろうとずっと思っていた。だが天海は多分ただのコミュニケーション下手で、それが分かれば、何となくふたりでいても黙っていても、別段それが気にならなくなってきたから不思議である。それにしても、さっきも西利に言ったけれど自分は行かないと言うのに、織部に無理矢理引っ張ってこられたせいで、須賀原はこの地獄みたいな食事会に出席する羽目になったのだが、あまりにも織部の思惑通りになりすぎていて怖いなと、少しだけ須賀原は思った。
『だからー、どっかで偶然装って会っちゃえば、天海さんなら絶対一緒にご飯食べる流れになるから』
『なるか?西利とデートなんだろ?流石にアマさんでもそんなデリカシーのないことしないだろ』
『いやデートじゃねぇし、あの人多分酒が飲めて旨いもん食べられる口実としか思ってない』
『それは西利が不憫というかなんというか・・・』
ここに来るまでの間で、織部とそんな話をしたことをぼんやり思い出しながら、須賀原は目の前でまだメニューを真剣に眺めている天海をそっと見やった。本当に織部の言ったとおりになってしまった現実がここにある。店先で織部が声をかけたときに、天海が顔色一つ変えなかったのが、何よりの証拠だと思った。天海は今日のことを、きっと何とも思っていないのだ。本当にただ部下と食事に行くだけのことだと思っている。だから織部に見つかっても、何にも疚しいことがないから、顔色を変える必要などなかったのだ。西利には悪いと思うが、この男にいくら好意を寄せたところで無駄にしかならないから、早々に諦めたほうがいいに決まっていた。それに西利は知らないけれど、天海は織部が仲良しと一応オブラートに包んだみたいに、普通の上司と部下の関係ではないから、そこに攻め込むには西利はいささか軽装備すぎると、須賀原は他人事のように思った。あの矢野でさえ、織部のことは最近諦めがちなのだから。その矢野のイライラのはけ口に、たまに選ばれている自分が言うのだから、これは信憑性のある情報なのだと須賀原はひとりで考えた。
「もう全員ビールでいいな、ビールにするぞ」
「天海さん、コイツ何食ってもどうせおっぱいにしかならねぇから食わすだけ無駄ですよ」
「ちょ・・・セクハラですよ!なんてこというんですか!」
「は、真実だろうが。天海さん、おっぱいのでかい女は頭悪くて嫌ですねー」
「堂々とセクハラするほうが頭悪いと思いますけど・・・!」
「オーダーを通させてくれ・・・」
須賀原は頭を抱えてそう言った。イライラのはけ口が欲しいのはこっちのほうである。
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