36 / 42
嘘吐き夜を目指す Ⅷ
どうせ天海には言っても分からないので、織部はそれを口に出さずに胸中で呟く。背中から指を滑らせて、下着の中に手を入れる。後ろ孔に指先を入れると、天海が天海の体に巻き付いて、天海の自由を奪っている織部の左手をひっかくみたいに爪を立てた。
「や、めろ、今日、準備して、ない」
「・・・天海さん、ほんと、アンタってひとはさぁ・・・」
天海がそんなことを真剣に言うものだから、織部は思わず、溜め息が出そうになる。
「なんだ、家に帰るまで、待てよ」
「・・・それも魅力的なお誘いなんだけどさぁ・・・」
心配するところはそこでいいのかと、喉まで出かかってやめる。これでも時々、織部は本気で今更そんなことは無意味だと分かっているけれど、天海のこれまでの性生活を心配してしまう。これまでも相手の男の言うことを、こんな風にほいほい右から左に聞いてきたのかと思って、それに苛々することもあるし、むしろそうすることが当然と思っているらしい天海を抱き締めて、そんなことはないよと呟いて、とことん甘やかしてやりたくなることもある。そういう二律背反の気持ちを、織部が育ててしまうことも、たぶん天海というひとは理解できない。織部も虚しくなるのが分かっているので、天海にそれを求めるのは止めた。
「いいよ、今日俺が解してあげる、ローション持ってきたし」
「・・・なんで」
それはどういう意味なのだろう、織部は一瞬その意味を考えてみたけれど、結局分からなかった。その頃になると天海も観念したのか、もう嫌だと言って暴れなかった。それもどうなのかと、大人しくなった天海の背中を撫でて思う。ローションのパッケージを破って、背中に垂らすと、冷たいのか天海の体がびくっと跳ねた。下着を下ろしてローションを纏った指を、後ろ孔に入れる。思ったよりそこは狭くはなくて、ローションの滑りを借りて、織部の指を簡単に飲み込んでいく。
「あっ・・・ん・・・」
「あれ?天海さん今日自分で解してないんだよね?それなのに、こんなに指簡単に入るよ」
「ん・・・っはぁ・・・」
「ほんっと、えろい体だな」
指を増やすと、天海の痩せた背中がびくっと震えた。天海とセックスするのは天海の家か、それかたまにホテルに行くこともあったけれど、天海は織部に何を遠慮しているのか、ノンケを手招いて落とした責任でも取るみたいに、いつもそこを自分で解していて、すぐに挿入できるようにしている。そういうことを誰かに仕込まれたりしたのかなぁと、織部はそれを見ながら少しだけいつも悲しい気持ちになるし、勿論誰とも知らないその男にイライラすることだってある。けれどいちから全部させてと頼むと、その時だけは天海は頑なに嫌がったりするのだ。他の何でもを簡単に許してしまう癖に。
「天海さんのココ解すのなんて簡単じゃん、ちょっと指突っ込んだらこれだもん、俺にもやらせてよ」
「んっ・・・き、たな・・・い」
「まだそんなこと言う。俺って信用ないなぁ」
あははと笑うと、天海は少しだけそんな織部を心配するみたいに、首を回して振り返った。頬は上気していたし、目もとろとろに潤んでいたけれど、まだそういう余裕はあるんだろうなと、それを見ながら織部もどこか冷静に思う。思いながら奥歯を噛む。
「勃ってるよね天海さん、こんなとこでケツに指突っ込まれてんのに」
「・・・ぁ」
「前触ってほしい?」
「・・・―――」
天海は黙ったまま小さく首を振った。その真っ白のうなじが赤く染まっているのを見ながら、織部はゆっくり口角を上げる。前立腺を指で少し刺激されただけで、簡単に先走りを零してしまう癖に、よくもまぁ昼間はあんなに品行方正な顔をして、黙って仕事をしているなと、そのたびに思ってしまう。事務所で天海とすれ違うたびに、織部はいつもそんなことを考えているのに、そのポーカーフェイスは、織部の欲しい答えはいつもくれない。こんな時だけしか、天海は答えをくれない。
「じゃあどうしてほしいの。俺は優しいから、天海さんのしてほしいようにしてあげるよ」
「・・・い、れて」
「ほんと、潔いいよね、天海さん、恥ずかしくないの」
後ろから抱えるように手を回して、天海の勃ち上がったそれを握ると、天海の痩せた太ももの肉がびくんびくんと脈打つのが分かった。
「あっ・・・」
「こっちじゃなくていいんだね」
こくりと天海の首が動いたのが、後ろから天海を抱えるみたいに立っている織部にもよく分かった。
「ねぇ、すがさん」
「おぉ、どうした」
ビールのグラスを持ったまま、自棄に深刻そうな顔をして西利が少し俯き加減で呟くのに、須賀原はなんとなく別のことを考えながら上の空で返事だけをした。西利がそう呟くまで、きっと自分は西利と確かに何かを話しているはずだったのに、それが一体何の話題だったのか、須賀原はその時すぐには思い出せなかった。それくらい適当に自動的に西利と話をしていたことを、なんだかひどく申し訳ないような、後ろめたいような気がして、不思議な気分だった。そんなこと黙っていたら分かるはずないのに、それが西利にばれてはいけないと思いながら、須賀原は努めて出した自分の声が、空回りしている自覚はあった。
「アマさんと織部さん・・・全然帰ってこないですね」
「・・・そうだな」
ふたりの目の前の椅子はふたつともからっぽのまま、どれくらい時間が経っているのか須賀原には分からなかった。西利は何か苛々したみたいに、持っていたグラスを傾けて中身を全て飲み干した。いい飲みっぷりだと思ったけれど、今は多分それを褒めている場合ではなかった。考えながら目の前のビール瓶を傾けて、西利のグラスに注いでいく。須賀原はそれで少しは西利の機嫌を取っているつもりだった。織部には別の思惑があって、須賀原はそれを知ってついてきたけれど、西利はここで天海とご飯を食べるという目的しかなかったはずだった。だから天海のいないこの空間に意味なんてないことは、須賀原だって言われるまでもなく分かっているつもりだったけれど、西利がそれに気付かなければいいのにと思っていたことも事実だった。
「トイレ混んでるんでしょうか?」
「あーうん、そうじゃない?」
「ちょっとすがさん見てきてくださいよぉ」
「え?いや、やめといたほうがいいって」
「えー、なんでですかぁ」
「野生の勘が行くなって言ってる・・・」
「なんですかぁ、それぇ」
段々西利の呂律が怪しくなってきていると思いながら、須賀原は自分のビールを目を瞑って飲み干した。それでも須賀原は空いた西利のグラスにビールを注ぎ続けるのを忘れなかった。それだけが自分の今日の仕事だと分かっていたからかもしれない。
ともだちにシェアしよう!