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※初夜 「花盗人」より。

 空は夜の闇が広がり、頭上には月が顔を覗かせている。  しんと静まり返った空間の中では、隣の浴室から聞こえる水の音だ。  マライカは天蓋付きのベッドの上で染みひとつない純白の衣に身を包み、ひたすら大きく鼓動する心音を聞いていた。  ここはジェルザレード山脈麓にある元ハイサムのアジトだ。蟻の巣のように入り組んだ中央に構えられたこの場所は、他の民家よりもずっと立派な屋敷だった。今夜からマライカはファリスとこの屋敷で共に寝起きをするのだ。  ああ、そんなことよりもマライカが今最も心配しているのは、ファリスとの初夜だ。  マライカがファリスに抱かれたのは一度だけではない。しかし、それは両想いになる前のことで、当時は子供を孕んではいなかった。  そう。これこそが問題だ。  ファリスはとてもハンサムだ。この世界で彼に惚れない人なんていない。そんなだから、ファリスはこれまで、両手では数え切れない相手との情交をしているに決まっている。そしてその相手はマライカよりもずっと美しく、あるいは可憐な人に違いない。  当初、ファリスがマライカを抱いたのだってオメガという希少な性をもっているからに違いないのだ。――当人のファリスはダールに嫉妬したから無理に抱いてしまったのだと言っているが、マライカは知っている。誰よりもハンサムな男性が、たかがオメガひとりに嫉妬する筈はないのだ。  そうなれば、ファリスがマライカを番にしたのはやはりおかしい。  ファリスはオメガのヒートに充てられただけなのではないか、結婚の決断も時期尚早だったのではないかと不安に思う。  いや、それだけではない。  マライカは既にファリスの子供を身籠もっている。お腹も当初より少し膨らみはじめている。妊娠している相手にいったい誰が欲情なんてするだろう。  ――そこまで考えた時、マライカははっとした。  お腹に赤ちゃんができたこと自体が、彼に結婚の決意をさせたのではないかと――……。  口では愛を言っていても、実際は親としての責任を全うすべきと判断したのではないか。  なにせファリスは誰よりも責任感が強い。彼が兵士だった頃、死の病を患った人々を牢から解き放ち、自ら盗賊になったくらいなのだ。さらには自分の身を挺してまで仲間たちが処罰されないよう王に進言してまでその身で償おうとした。  ――ああ、だったら。  彼に抱かれる権利は自分にはないし、心から愛されていない人に抱かれても嬉しくない。  そもそも、妊娠している人間を抱くなんて余程のもの好きしかいない。  たしかに、相手がダールなら、きっとマライカが妊娠していてもお構いなしに流石は卑しいオメガだと言って面白がって抱くに違いないだろう。けれどもファリスは一夜を共にする相手なんて引く手あまただ。どんな美女でも美男子でも、きっと彼が相手なら悦んでベッドに進むだろう。  それに引き替え、マライカは経験豊富でもなければとびきり美男子でもない。唯一の特技はオメガ特有のヒートだけ。強烈なフェロモンで誘惑するしかない。  けれども今の自分は今身籠もっていてヒートにはなれない。  そもそもヒートとは、オメガが子作りをするために神様から与えられた能力で、女性でいうところの生理現象のようなものだ。強烈なフェロモンで相手を誘惑し、抱かれ、子を宿す。ところが、妊娠した今のマライカにとって、ヒートは不要であるから発動しない。  フェロモンで誘惑しようにないならファリスがマライカを抱くメリットは何もない。そればかりかデメリットの方が多い。  好きな人に求められない悲しい気持ちと、男なのに孕んでしまったお腹を彼に晒す必要がないという妙な安堵感がない交ぜになる。  ベッドの上で横たわっていると、ドアが開閉する音が聞こえた。視線を向ければ、まだ濡れている漆黒の髪と白のローブに身を包んだ彼が立っていた。合わせ目から覗く広い胸を見たとたん、マライカの心臓はさらに加速した。ファリスを前にした今、胸が熱く、顔が火照る。  それでも、ファリスを意識しているのは自分だけだ。彼はマライカを抱くつもりも、そもそも愛だって存在していないだろうから。  マライカはずきずきと痛む胸を宥めるため、ファリスに知られないよう、そっと息を吐いた。 「マライカ、苦しいのか?」  そんなマライカを余所に、ファリスはマライカを気遣い、訊ねてくる。  どんなにマライカが苦しい気持ちを隠そうとしても、彼には知られてしまう。  本当に、ファリスには敵わない……。  マライカは自分に嘘をつき、そっと首を横に振る。  緊張していると思ったのだろう。ファリスはマライカの側に腰を落とすと髪に指を差し入れ、頭を撫でるように梳く。なんとか落ち着かせようとしてくれているのだ。  けれどそれも土台無理な話だ。  なにせ目の前には愛する彼がいて、しかも彼はマライカのことを愛していないのだから――。 「マライカ……」  とても優しい声音で呼ばれて、とくんと胸が高鳴る。  そのまま身動きできずにいれば、唇が塞がれた。  マライカは甘い声を上げ、胸元まで引き上げているブランケットを強く握りしめた。彼がマライカの後頭部を固定する。ファリスとの口づけはより深く交わり、マライカは甘い声を上げた。 「……ふ」  ブランケットを握り締めていた手が彼との口づけによって力が抜けていく。  ファリスの骨張った手が、マライカが着ていた衣の合わせ目を通り、ツンと尖った胸の飾りを親指の腹で弧を描く。当初は豆粒のようだったそこは大きく膨れている。マライカの身体は生まれてくる子供を育むための準備をはじめているのだ。彼の薄い唇に吸い上げられ、舌でなぞられると、マライカは甘い声を上げた。下腹部に熱が宿り、腰が反れる。彼の唇はふたつの飾りを愛撫し、さらに下へと向かう。  その先にあるのは膨らんだお腹だ。 「ダメ!」  その途端だった。マライカはファリスの手を握り、制した。 「マライカ?」  いったいどうしたんだと眉間に皺を寄せ、マライカを見上げている。 「お腹が……」 「痛むのか? 必要なら医者を呼ぶが――?」  マライカの言葉に、ファリスが訊ねる。  痛みはない。このところ、妊娠中期になったこともあってか、つわりもなくなった。  そもそも、オメガの妊娠はベータやアルファの妊娠とは違い、赤ん坊との絆は強固なものだ。子孫繁栄を願う神から与えられた特殊なオメガの性では流産もない。だからお腹の痛みや不調なんてないし、命も失わない。医師の診察も定期的な健診だけ受ければ良いのだ。孕んでも流産の心配もなく、性欲に溺れられる。それもまた、オメガは卑しいと云われ続ける要因のひとつでもあった。 「痛みは、ない……」  正直に話すと、ファリスの眉間にますます皺が寄った。  いったいどういうことなのかと不信に思っている。 「お腹、大きいから……」  マライカはファリスを見ていられなくなって視線を外し、話す。 「そうだが?」  すると、ファリスは何を今さら、と言うように訊ねた。  違う。そうではないとマライカは首を振った。 「ぼくじゃ、ファリスを満たすことはできない」  この身体も、子供が宿った時点で頼りになるフェロモンも誘惑する術を持たない。マライカの真意を汲み取ったのか、「ああ」と言ってファリスは目を細めた。  口元が弧を描く。こんな状況でなければ彼の姿に胸が高鳴っていただろう。  しかし、自分を愛してくれているのかを不信に思っている今のマライカにとってはファリスの微笑も苦痛にしかならないのだ。 「だったら確かめてみればいい。俺が今、どういう状況になっているのかを君自身が知らないだけだ」  マライカが止めさせるために取った手は、逆に捕らわれた。そっと誘われる手の向かう先は、足の間にあるのは息づく彼自身だ。ローブの上から這わされた手が、大きく反り上がっている彼を包み込む。  マライカははっとしてファリスへと視線を戻した。  すると彼は苦笑を漏らした。 「俺は君が思っているより節度がないらしい。もっとも、君の前でしか起こらない現象ではあるが――」  さらに続けた。 「俺が嫌になったか?」 「違う! ぼくは赤ちゃんを産むことしかできないオメガだから。今は誘惑するフェロモンもないし。きっとファリスはぼくを抱かないだろうって思ったんだ……」 「だが、実際は違う。これでも信じないか?」  そんなことはないとマライカが首を振ると、彼は額に唇を落として感謝を伝えた。  そんな思いやりのあるファリスの行動に泣きそうになる。  マライカは唇を振るわせた。 「辛くなればすぐに言ってくれ。君にもこれから生まれる子供にも無理はさせたくない」 「ファリス……」  マライカは横になったまま、ファリスによって片足を持ち上げられた。そのまま、彼は後孔にゆっくりと抽挿する。  マライカは弓なりに反らし、彼を迎え入れる。  ファリスはマライカと生まれてくる子供を考えてくれているのだろう、母胎に影響を与えないよう、浅い抽挿を繰り返している。  通常であれば、胎児を気遣う必要もあるが、マライカは違う。性を司るオメガだ。流産の心配も、マライカが健康を損なう心配もいらない。けれどもファリスはマライカを常人のように扱ってくれる。  だからマライカは彼を愛した。誰がどんな階級の人間であっても分け隔て無く接する、血の通った心優しい人だからこそ。  けれども今だけはそういう気遣いはマライカにとっては煩わしいものだった。マライカはどうしてもファリスに激しく抱かれたかったのだ。  マライカは切なさにすすり泣き、奥へ注いでほしいと懇願する。マライカの反応を見たファリスはそれでも辛くなったら言うようにと告げた後、すぐに深い抽挿へと変わった。マライカの内壁が彼を形取り、擦られる。その度にマライカは嬌声を上げた。このまま溶けて消えてしまいそうな感覚になる。自分がとても頼りないもののように思えて、ファリスの後頭部に腕を回し、縋る。  マライカ自身に溢れた蜜は下肢を伝って彼と繋がっている後孔を潤す。  ファリスに貫かれるたびに弾き出る水音は自分のものか、それともファリスのものか。あるいは両方かもしれない。  マライカがもっとファリスを欲しがれば、今度は背面から抽挿を繰り返した。  ベッドのスプリングが軋みを上げる。  内壁を擦られる肉音と入り交じり、水音がマライカを追い立てる。  愛しいアルファに抱かれる喜び、愛される喜びがマライカの心を満たす。  ファリスに愛液をたっぷり注がれるまで、マライカは嬌声を上げ、ただ愛しい彼の名を呼び続けた。 《初夜・完》

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