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第7話
7.
いつもなら、とっくに来ている時間だ。時計の針は7時40分を指している。
――今日は、もしかしたら来ないのかも。
昨日、森本さんが一人で過ごす時間を俺が邪魔してしまったから。だから、もしかしたら今夜は買い物に来ないかもかもしれない。そう思っていた。
後でゆっくり思い返してみると、結構調子に乗ってペラペラと自分のことを喋りすぎた。あの人が誰もいない夜の公園で過ごすのは、一人になりたいからだ。それなのに、俺は自分のことしか考えずに、無遠慮にずかずかと相手のスペースに入り込むような真似をしてしまった。
遅ればせながら、猛烈に反省する。
――もう、森本さん来てくれないだろうなあ……
コンビニの店員と客という立場でいられれば充分だったのに、俺はそれ以上を求めてしまった。
――はぁ……俺の癒やしが……
忙しい時間帯が過ぎた頃、買い物に訪れる森本さんを遠くから眺めているだけで、本当は良かったのだ。親しくなりたい、なんて欲を出したばかりに、後悔する羽目になってしまった。
――俺って、馬鹿だよな。
溜息をついたその瞬間、来客を知らせる音が店内に響いた。入り口に目を向けると、森本さんだった。
――来てくれた! 良かった……
彼はカゴを手に取ると、いつもと同じコースを辿って買い物をする。だけど、今日は一つだけ違うことがあった。
――あれ? 今日は缶チューハイの数がいつもと違う?
カゴの中には缶チューハイが2本入っていた。
「こんばんは、お仕事お疲れさまです」
俺は挨拶しながらレジ打ちをして、弁当と缶チューハイをビニール袋へ入れる。
「ありがとう」
森本さんは、会計を済ませてビニール袋を手に取ると、コンビニを出て行った。
――缶チューハイ……誰と飲むんだろう?
いつもの彼は缶チューハイを1本だけ買って、ブランコに座って飲んでいた。それが、今日は2本。あの空いていた隣のブランコに誰かが座って、森本さんと一緒に飲むんだろうか? それとも、森本さんが一人で2本飲むのか? もし一人で飲むのだとしたら、何が森本さんの習慣を変えてしまったんだろう? 心にちくり、と痛みのようなものを感じる。
もしかしたら、その習慣を変えてしまったのは自分のせいかもしれない、と思ったから。
今夜は森本さんに公園に行く、とは言っていなかったが、結局行ってしまった。あんなに森本さんの一人の時間を邪魔したのを後悔したのに、やっぱり彼に会いたかったのだ。何事もなくいつも通り、コンビニに買い物に来てくれたのを見たら、根拠はなにもなかったけど、大丈夫かなって思ってしまった。
公園へ行くと、ブランコには森本さんが一人で座っていた。だけど缶チューハイは飲んでいない。ただ、ぼんやりとブランコに座っているだけだ。隣のブランコは空だった。
てっきり誰かが座っているものだ、と思い込んでいたから、拍子抜けしてしまう。
俺はブランコに座っている森本さんのところへ歩いて行く。足音に気付いた彼が、ゆっくりと顔を上げるのが見えた。
「……お疲れさま」
「ありがとうございます……」
俺はそう言ってから、キョロキョロと周囲を見回す。もしかしたら、森本さんの待ち人がどこかにいるんじゃないかと思ったのだ。
「……どうかした?」
「いや……あの、今日は誰か来るんじゃないんですか?」
「どうして?」
「缶チューハイ、いつも1本しか買わないのに、今日は2本買ってたじゃないですか。だから、誰かが来るのかなって思って」
森本さんは足元に置いていたビニール袋から缶チューハイを2本取り出すと、1本を俺に差し出した。
――あ、もしかして……2本買ったのって……
「1本は佐々間くん用だったんだけど」
森本さんは苦笑して言った。
「す、すみません。気を遣って頂いて」
「いいよ、気にしないで。遠慮せずに座って飲んだら?」
「はい。……頂きます」
俺は隣のブランコに座った。森本さんは、自分の缶を開けると口をつける。俺もすぐにプルタブを開けて、一口飲んだ。……仕事終わりに飲むアルコールは美味しかった。そして、森本さんと一緒に飲んでると思うと、余計に美味しく感じた。
「……それで良かったかな」
「え?」
「いや……どんな味のがいいのか聞かないで買っちゃったなって思って」
俺の手に握られているのはグレープフルーツ味のチューハイだ。同じ缶が森本さんの手にも握られている。
「何でもいいですよ。こだわりないんで」
「そう? それなら良かった」
「あの……でも、俺今日ここに来るって言いませんでしたよね?」
「そうだった? 昨日来たから、てっきり今日も来るのかなって思ってた」
意外と森本さんって天然なのかも……と思う。彼は無表情のまま、どこか遠くを見て缶チューハイを飲んでいる。
「森本さんって、何のお仕事されてるんですか?」
「僕?」
「あ、いや、あの……答えたくなかったらいいんです。プライベートなこと、あんまり聞かれたくないですよね」
「いや、別にいいよ。……僕、会社で事務仕事してるんだ。一日中机に座って、ただ書類を相手にしてる仕事。佐々間くんと違って単調でつまんない仕事だよ」
「そんなことないですよ。ちゃんと会社に毎日行って仕事してるのすごいですよ。俺なんて、ただのコンビニのバイトですよ? 正社員じゃなくて、ただのバイトです」
「それでも佐々間くんは、ちゃんと人と向き合って仕事してるじゃないか」
「森本さん……」
「僕は、逃げてるんだ。人と向き合いたくなくて」
まただ……と俺は思う。時々この人は、どうしようもなく悲しい顔をする。もう誰も彼を救えないような……絶望の淵に佇んで、後ろから誰かが背中を押してくれるのを待ってるような、そんな表情。
「……俺も、そういう時期があったから、よく分かります」
「ああ……引きこもりだった時?」
「はい」
「でも、もう平気なんだろう?」
「はい」
「……佐々間くんは、大人だね。それはちゃんと自分と向き合って、成長した証だよ。きみは自分とも、他人とも向き合って生きている、立派な大人だ」
「森本さんの方が大人じゃないですか」
「僕は子供だよ。年ばっかり無駄に食って、中味はいつまでも成長しない子供なんだ」
「森本さんは、自分をおじさんだって言ったり、子供だって言ったりしてますけど、俺はそうは思いません。森本さんは森本さんでしょう? あなたは充分に年相応ですよ」
「あはは、きみは賢いなあ」
「……馬鹿にしてますか? 年下だから」
「違うよ。……尊敬してるんだ。尊敬するのに年齢なんか関係ないよ」
森本さんは、とても楽しそうな顔をした。
――ああ、俺……もしかして、この人が好きなんじゃないかな。
そう思ったら、突然胸がかあっと熱くなってしまった。
俺はこれまでの人生で、男性が恋愛対象だったことはない。高校と大学時代には付き合っていた彼女もいた。だけどこの時、自分の隣に座っている10才も年上の男性に、何故か強烈に惹かれるものを感じていた。
「……佐々間くん、どうかした?」
黙って森本さんを見つめ続ける俺に、彼はちらりと視線を向けると、不思議そうな顔をしてそう尋ねた。
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