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第11話

11. ――やっぱり突然来るべきじゃなかったよな……  俺は目の前の森本さんを見て、失敗したと思っていた。友達でも何でもない、ただのコンビニ店員がお客さんの家に夜、突然やって来るなんて、そんなの普通じゃない。森本さんに変に思われた上に、怖がられても当然だ。 「あ……あの、すいません、突然来ちゃって」  俺は手にしていたビニール袋を差し出した。 「公園に来てなかったんで、もしかして会社をお休みしてたのかなって……」 「……そうだったのか。入って」  森本さんは差し出したビニール袋を受け取ると、俺を家の中に入れてくれた。 「失礼します……」  俺はぺこっと頭を下げてから玄関に入ると、彼の後を付いて部屋に上がらせて貰う。  森本さんのマンションの部屋はとても綺麗に片付いていた。俺の汚いアパートの部屋とはずいぶん違う。無駄な物が何もないシンプルでモダンな部屋だった。 「……何か飲む?」  森本さんはそう尋ねると、何かを見つけて慌てたような態度になる。彼は急いでダイニングテーブルに歩み寄ると、上に載せられていた写真立てを伏せ、そしてこちらを向いた。 「コーヒーでいいかな?」 「お気遣いなく。あの、俺すぐ帰りますから」 「……そうだ。佐々間くん、缶チューハイ買ってきてくれたんじゃないの? 飲んで行ったら?」  森本さんはビニール袋の中味をテーブルの上に出すと、怪訝そうな表情を浮かべる。 「風邪薬と栄養ドリンク……?」 「あっ、いやっ、あの……もしかして森本さん、風邪ひいて具合悪くて寝込んでるから公園に来なかったのかなって思ったんで……」 「わざわざ公園から、またコンビニまで買いに戻ったの?」 「はい」  ふっと、森本さんは笑みを浮かべた。 「……立ったままもなんだから、座って。今夜もコンビニには買い物に行ったんだ。でも佐々間くん、レジにいなくて。知らない男の子が入ってた」 「今日は、急に店長に頼まれて午前中のシフトに入ってたんです。……でも公園にはいるかなって思って、さっき行ってみたんですけど、森本さんいなくて、それで心配になっちゃって……」 「そうだったんだ。今日はちょっと特別な日だったから、公園には行かないって伝えたかったんだけど、コンビニにいなかったから……それに、佐々間くんに伝える他の方法が分からなくて、そのまんまにしちゃったんだ。ごめんね」  考えてみたら、俺たちはいつも公園で何となく会ってただけで、お互いの携帯番号すら知らなかった。 「いえ、全然……気にしないで下さい。俺こそ、突然家に押しかけちゃってすいませんでした」 「よく僕の家、分かったね」 「最初に公園で話した時、ここのマンションに住んでるって言ってたじゃないですか。でも部屋がどこなの分からなくて、1階から順番に表札を見て回ったんです」 「ご苦労様……まさか最上階だとは思わなかったよね? 疲れただろう?」 「ちょっと膝がガクガクになっちゃいました」 「若いくせに、ダメだな。……運動不足なんじゃないか?」  俺は森本さんの笑顔を見て、胸がきゅっと締まるような、そんな感覚を覚えていた。 「……あの、なんで今夜は公園に来なかったんですか?」  俺の視線の先には、伏せて置かれている写真立てと2本の缶ビール。1本は開けられていて、もう1本は写真立ての前に置かれていた。 「今日はね、僕にとって特別な日なんだ。だから、公園には行けなかった」  そう答えた森本さんの顔はとても悲しそうだった。俯いた顔は、今にも泣きそうに見える。 ――特別な日って……あの写真に何か関係があるのかな?  きっとそうだろうと思う。そうでなければ、俺が部屋に入った時に、あんなに慌てて写真立てを伏せたりはしないだろう。 ――俺には見せられない写真なんだな。  そう思ったら、急に寂しくなってきた。だけど、別に俺は森本さんの親しい友達でも何でもない。はっきり言って、俺が彼について知ってることなんて、ほとんどないも同然だ。お互いプライベートにあまり踏み込んだ話もしていないし、それに、俺はただのコンビニ店員でしかないから。 「あの……俺、帰ります」 「そう……?」  森本さんは引き止めなかった。  俺はもしかして引き止めて貰えるんじゃないかと、心のどこかで期待していたから、何気にすごくショックだった。  そのせいだったのか、俺はいつもと違う心持ちになっていた。どこか意地悪な気分とでも言うんだろうか。俺は言わない方がいいだろうな、と思っていた言葉をあえて口にする。 「どなたかお客さんがいらっしゃるんですか?」  俺は椅子から立ち上がり、森本さんを見下ろして尋ねた。 「……どうして?」 「森本さん、いつも缶チューハイ飲んでるのに、今夜は缶ビールなんですね。それも2本あるじゃないですか。誰か来るのを待ってるんじゃないんですか? だから、今夜は公園に来なかったんじゃないんですか?」 「……これは」  彼の顔が凍り付いたような強張った表情になり、ゆるゆるとした動きで右手が左手に重ねられ、そして薬指の指輪をぎゅうっと握りしめる。 ――ああ、そうか。  俺は彼の動きで気が付いた。 ――彼は、指輪の相手を待っているんだ。 「佐々間くん……」  俺は俯いたままの森本さんを、じっと見つめていた。もしかしたら、俺は泣きそうな顔をしていたかもしれない。自分がその時、どんな表情で彼を見ていたのか、後から思い出そうとしても記憶がなかった。もやもやとした心の中の黒い塊は、少しずつ大きくなって、今や手がつけられないぐらいの大きさになっていた。俺は無言のまま、咄嗟に手を伸ばしていた。伸ばした先にあったのは、伏せられた写真立て。 「あっ……」  驚いた森本さんが声を上げたのと同時に、写真立てを表に返す。  そこには森本さんと、知らない男の人が二人仲良く笑顔で写っていた。背景はどこかの湖。旅行写真みたいだった。 ――この人、誰? 「……気が済んだ?」  俺が写真を見て呆然としていたら、森本さんが怖い声でそう言ってきた。 「人のプライベートに踏み込むの、そんなに楽しい?」 「あ……あの……」 「出て行って。……お願いだから、出て行ってくれ」  森本さんは顔を両手で覆って苦しそうに言った。 「ご、ごめんなさい……!」  俺は謝罪の言葉を叫ぶようにして口にすると、慌ただしく彼の部屋を後にした。

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