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釣った魚に餌はやらない_10
やれやれと離された手。
「厄介な番犬が付いたものだね」
トンッと背中を押され、バランスを崩した身体が前のめりに倒れていく。
やべ、倒れ……。
近付く床に訪れる衝撃を覚悟して瞼をきつく閉じた。
それなのにどんなに待ってもそんな衝撃は襲ってこない。
それどころか柔らかな感触に包まれる身体。
「危なっかしい人だな……ほらちゃんと立って」
あー、なんだ。蓮沼の腕の中か。マジか、コイツ本当……。
「少女漫画かよ……」
「はい?」
「もう意味分からん……」
「こっちの台詞です。ほら立てます?」
立てるに決まってるだろうと内心ムッとしながら、覚束無い足取りで腕の中から抜け出す。
「それでは部長、先輩のことは僕が責任持って介抱いたしますので、お気になさらずお帰りください」
あの貼り付けたような笑みを浮かべる蓮沼に対して、いつもとは少し違う冷やかな笑みを見せる部長。
「そうだね。それじゃあ二人とも気を付けて。水原くん」
「え、あ、はい?」
「また、ゆっくり話そう」
俺の返事を待たずして部長は踵を返していく。
また面倒事が増えた気がする……いや確実に増えた。
「……先輩、行きますよ」
蓮沼が腕を引いて向かったのは部長が足を進めた出口とは逆の方向だ。
「お、おいどこ行くんだ……?て言うかお前何でここにいるんだよ?」
「質問は一度につき一つでお願いします」
どうやら俺の質問には答える気がないらしい。
ぐんぐん進んでいく後輩に半ば引き摺られるようにして歩かされる。
途中エレベーターに乗り込んで、降り立った先は無数のドアが並ぶ廊下だった。
その数ある中の一つを躊躇いなく開けると俺の身体は中へと押し込まれた。
「な、何だよ……ここ」
「僕が今夜宿泊予定のホテルの一室です」
「え?」
「知らなかったんですか?下はレストランですが、上はホテルになっていて宿泊出来るんですよ」
「は、はぁ……」
「今日は兄さんの誕生日でして、家族で食事に来ていたんです。最上階には夜景が見える露天風呂もあって人気の理由の一つなんですが、兄さんが宿泊を希望したのでこうして部屋を取ってもらっていたんです。……まさかこうなるとは」
飽きれ眼の後輩にグッと押し黙ることしか出来ない自分が情けない。
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