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サービスエリアで恋をして
(……あ。今日もいる)
海老名サービスエリアの喫煙所、月曜の夜二十二時。
その男は、会社支給の作業服ズボンに無地のTシャツ。細身の身体に、まるで事務員みたいにきれいな手で、静かに電子タバコを咥えている。目元や口元の疲れ加減から、俺と同年代だと見ているのだが、濃い栗色の髪には白髪一本見当たらず、ふさふさしている。
何が、どこが他の男とは違うのかと聞かれると困る。ちょっと小ぎれいではあるが、普通の中年男だ。にもかかわらず、俺は東名のサービスエリアで月に何度も出くわすこの男が、最近気になっている。
時折眉をひそめて、うっとうしそうに前髪を指で払う仕草や、少し物憂げな横顔に漂う哀愁が、初めて付き合った彼女を思い出させるからかもしれない。
……そう、俺はれっきとした異性愛者だ。あまりに家を空け過ぎて、女房に愛想尽かされ離婚して十年。女っけのない生活が長すぎて、中年男相手にソワソワするとは、俺も焼きが回ったかもしれない。自嘲気味に無理やり唇の端を持ち上げ、新しい煙草に火を付けようとジッポを取り出した。シュッと音を立ててホイールが小気味よく回る……が、火が付かない。二、三回繰り返すも空振りだ。弾 切れか。仕方ない、トラックに戻ってシガーソケットを使うか……、と口に咥えた煙草をしまおうとした時。
横から、火の付いたジッポを差し出す華奢な手。彼だった。電子タバコしか吸ってるとこ見たことなかったのに。今まで一度も口きいたことなかったのに。頭の中で色々考えながらも、俺はありがたく彼の火を借りた。
「電子タバコじゃ、吸った気しねぇんだよ。ありがとな」
俺がお礼を言うと、彼は小さく微笑んだ。
「あんた、ちょいちょい見る顔だよな……船橋あたりから出て、大阪かい?」
彼も俺の顔を覚えていたとは意外だった。いつも誰と口を利くこともなく、喫煙所の隅っこで静かに一本か二本吸って去っていたからだ。
「ああ、そうだ。あんたは、何運んでんの?」
「最近は建設資材とかだな。フォークリフト様様 だ。このトシじゃ、手積み・手降ろしがきつくてね。あんたは?」
荷物の積み下ろしもドライバーの仕事だ。重い物は腰に来る。華奢な彼が、資格や免許を取って、フォークリフトでの積み下ろしができる身体の負担が少ない荷物を扱っていると聞いて、納得した。
「俺は、一匹狼と言えば聞こえは良いが、まぁ要するに何でも屋だ。頼まれれば何でも運ぶよ」
「へぇ。見たとこ、同年代かなぁと思ったけど。キツイだろ? 身体」
「そうだな。四十肩だ、五十肩だ言うトシだよ。……俺ぁバツイチでね。まだ子どもが小さいから、養育費しっかり稼がないといけねぇから」
それとなく年齢を匂わせつつ、相手の年を聞こうと思ったのに、話し始めてからの彼の表情が、想像していた以上に柔和なのに、年甲斐もなく舞い上がり、つい余計な身の上話までしてしまった。しかし、彼は気にする様子もなく、サラッと受け止めてくれた。
「あぁ……。バツイチも、長距離ドライバーあるあるだよな」
「そういうあんたもかい?」
思わず彼の身の上を尋ねると、少し寂しそうな笑みを浮かべて、大きく煙草を吐き出した。
「こっちはあいにく、ご縁がなくてね。ずっと気楽な独りもんだよ」
タバコの火を消し、彼は自分のジッポを俺に差し出す。えっという表情を浮かべると、
「今はもう、電子タバコしか吸わないから、あんたに貸しとく。きっとまた、この辺のサービスエリアで会うだろ? その時、返してくれれば」
「や、でも悪いよ」
「いいよ、どうせ使ってないんだ。ジッポに慣れると、他のじゃ落ち着かないだろ?」
俺の作業着の胸ポケットにスルリとジッポを落とし、ポケットの上から拳で軽くポンと叩き、彼は喫煙所を後にし、霧雨のような梅雨の中、肩を竦めて小走りに駆けて行った。
せめて名前ぐらい聞いておけばよかった。それか、トラックのナンバーを確認しておけばよかった。気が付いた時は、後の祭りだった。
意識していなかった時は、週に一度ぐらいは、下りか上り、どっちかのサービスエリアで会ってたはずなのに、会いたいと思うと会えないものだ。気が付けば梅雨は明け、本格的な夏がやって来た。長距離トラックドライバーには辛い季節だ。
(また、今回も会えなかったなぁ……)
大阪からの戻り道、牧之原サービスエリアでシャワーを浴びて仮眠を取ろうと車を降りた時。喫煙所に、彼がいた。
「よぉ、久しぶり。意外と会えなかったなぁ」
嬉しそうに俺が話し掛けると、彼は何か考えごとでもしていたのか、一瞬間をおいて俺を見た。
「……あぁ。こないだの」
「ジッポ、貸してくれてありがとな。確かに、コイツじゃないと吸った気がしねぇんだ。助かった。……ところで、なんか、あったのかい。浮かない顔して」
「この暑い日に、エアコンがいかれちゃってさぁ。寝れたもんじゃねぇなって、ウンザリしてた」
「えぇ? この暑さでエアコンなしのキャビンで寝るなんて、サウナだろ! ムリムリ、やめろよ!」
「……かと言って、寝ないで東京まで帰るわけにはいかねぇし」
「俺のに来ないか? 俺ぁフリーだからトラックも私物で、普通よりキャビンが広いんだ。まぁ、スイートルームってわけにはいかねぇけど、男二人ぐらい何とかなるぜ?」
俺の誘いに、彼は「ギョッ」という音がしそうな表情を浮かべた。確かに、肩すり合わせて知らない野郎と一緒に寝るのは愉快じゃないかもしれないが、露骨に嫌な顔をされて、さすがに俺も内心ちょっと傷付いた。でも、気付いてない振りで朗らかな笑顔を作った。
「何だよ、男同士じゃねぇか。気にすんな。困ったときはお互い様だろ?」
彼は眉をひそめ、目を伏せ、暫く考え込んだ挙げ句、非常に気まずそうにボソボソと呟いた。
「……男同士なのが、困るんだ。こっちは」
何を言っているのか、理解するのに数秒かかった。彼はバツ悪そうに、微妙に頬を染めて目を逸らしている。えっ何それ可愛い。って言うか、俺を『添い寝相手としては、困る男』のカテゴリーに入れてくれてるのか。アリかナシかで言うとアリってことか。ナシ寄りのアリなんだろうか。それとも、アリ寄りのアリなんだろうか。
だがしかし、今はそんなことを暢気に考えている場合ではない。恥じらう乙女の風情を漂わせて佇む彼を、こんな炎天下、エアコンのない車内で寝かせるなんて、男がすたる。
「……おぉ。まぁ、嫌なら無理にとは言わねぇけど、困ってるヤツを引き摺り込んで襲ったりしねぇよ、俺は。大事なジッポ貸してもらった恩があるから、返したいって思っただけだ」
ここ十年で最大限の瘦せ我慢をして、仁義を重んじる男を俺は演じた。稚拙な演技だったかもしれないが、彼は信じたらしい。思い切ったように顔を上げ、はっきりと言った。
「あんたのほうこそ、俺みたいのと一緒で、気持ち悪くないかい? ……もし、あんたが嫌でければ、世話になっても良いかな?」
心の中で快哉を叫びながら、俺は、引き続き過去十年で最大限に渋い男の表情を作って頷いた。
牧之原サービスエリアにはシャワーがある。トラックドライバーにはありがたい場所だ。俺と一緒に浴びに行くのは気まずいだろうと思い、子どもに電話する用があると嘘をつき、彼には一人で先に行ってもらった。彼が戻ってくると「クルマ、見ててくれると助かるわ」と、入れ替わりで俺がシャワーに行く。えっ何これ、初めてエッチするカップルみたい。
シャワーから戻った俺を、キャビンの布団の上でちょこんと座って出迎えた彼は、微妙に恥ずかしそうな表情を浮かべていて、ますます、先にシャワー浴びて待っててくれた彼女っぽかった。
「これ」
彼が差し出したのは、低アルコール飲料だった。
「強い酒飲むと、残るし、眠れなくなるからアレだけど、ちょっとリラックスできるから、好きなんだ。もし良かったら」
「おぉ、なんか悪いね。酒は好きだよ。でも確かに、仮眠した後、また走んなきゃいけないから。ありがたくいただくわ」
二人で缶のまま乾杯をして、暫しの沈黙を味わった。
「……そういや、名前まだ聞いてなかった。俺、哲也 って言うんだわ」
自分から名乗ると、彼は目を細めた。
「俺は、淳 」
「ええーっ。小学校ん時、クラスにいたなぁ、同じ名前の奴。ってことは、たぶんトシも同じくらいだよなぁ。淳、干支 は何? 俺、寅」
彼は噴き出した。
「干支って……。良いおっさんにトシ聞くのに、そこまで気ぃ遣うなよ。……俺はうさぎ。だけど早生まれ。学年、一緒だね」
そこからは、子ども時代の昔話で盛り上がり話題には事欠かなかったが、なにせ仕事の途中だ。どちらともなく、お開きの空気になった。
「おっさんと一つ布団で悪いね」
「こっちこそ、お邪魔して悪いね」
淳は俺に背を向けて横たわった。あぁ、コイツ、耳の後ろに黒子があるんだなぁ、項 が細くて妙に色っぽいんだよなぁ、と、邪 な目でひとしきり彼の後姿を眺めた。誰かと肌を寄せ合って眠るのは久しぶりで、あったかくて、俺は『起きたら忘れずに淳の連絡先を聞かなくちゃ』と考えながら眠りにつき、若い頃に戻った夢を見た。
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