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第84話
「で、できない……頼りたく、ない……迷惑なんて、かけたくない……っ」
「俺、前に言ったよな? 頼ってもいいって。迷惑なんて、思うわけないだろ」
彼が言ったのは、今の自分にじゃない。お仕着せの皮を被った、綺麗な誰かだ。人の顔色を窺って、怯えて、余計に相手を苛つかせるだけの高野光希とは違う。だから明るく振る舞えた。そのまま、透の恋人になれたらいいなんて夢を見た。
「でも……僕には、もう、無理なんだよ……」
「…………」
苛立つ彼の声は、もう聞こえなくなった。代わりに、小さく息を吐くような気配があった。
「……なんで、よりによってお前が無理なんて言うんだ。あの時、『何も知らないまま、表面だけを判断して「無理」だなんて、言うべきじゃない』って言ったお前が……」
彼の言うあの時が、随分と昔のことのように思えた。透の生徒会加入について不満を言う保阪を宥めた時の言葉だ。彼は、どこかで聞いていたのだろうか。
「どうして、実際に迷惑をかけないまま、無理って判断してんだよ! 頼ってみなきゃ分かんねぇだろうが……!」
せめて開けてくれと、顔が見たいと言う彼の言葉を、光希は否定することしかできなかった。
「……今、僕に頼られたら、君はすぐに僕から離れていくと思う」
そう吐き捨てる自分の声は、驚くほどに冷たかった。
そもそも、扉を開けて助けてほしいと言ったところで、彼が自分を、今まで仲良くしていた高野光希と同一人物であると気づくかどうかも分からない。
何しろ、光希だと思っていた人が、まったくの別人に成り代わっているのだから。
「そんなに……俺を信用できないのかよ」
もういい、と透は言った。これ以上話していても、埒が明かないから、と。
「今日は帰る。でも明日、また来るから」
彼の足音が次第に遠ざかっていく。その音を聞きながら、光希はドアにもたれかかり、呼吸を整えた。脚が震えて上手く動かない。這うようにして、万が一の望みをかけて、洗面台の鏡を見る。可笑しくなって、鼻で少し笑った。
異世界に転生した人間は皆、前世の自分とはまったく逆の人間になって、素晴らしい人生を謳歌するものだとばかり思っていた。それは所詮、願望を詰め込んだだけの夢物語で、誰かの書いたフィクションだった。
実際は、過去の自分と、今の自分。何ひとつ変わっちゃいない。むしろ、好きな人を傷つけている分だけ、質が悪い。
結局、生まれ変わる夢物語の中でさえ、光希は自分から逃れられなかったのだ。
どこまでいっても、自分は過去に消し去りたいと思った自分のままだった。
その日を境に、光希の顔は、前世のもののまま固定され、二度と変わることはなくなった。
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