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その4 ナーやんとこねこねこねこ

 買い出しを友人である(ゆずる)から頼まれて、スーパーマーケットへやってきたナーやんこと和睦(なごむ)は、早速難関にぶつかっていた。スマホに送られてきた買い出しリストは、牛乳、卵、生クリーム、ホケミ。 「ホケミってなんやろうな。専門用語を使うんじゃないちゃ」  和睦(なごむ)が聞いたことのない単語だった。とりあえず牛乳は一リットルパック。多い分には良いだろう。残ったら残ったで和睦が飲むので問題はない。  卵は六個入りで事足りるだろうか。白い玉と赤い玉どっちだ。ここはまあ赤……でいいだろうか。直感は大事だ。生クリーム……小さい牛乳みたいなのと、ホイップ済タイプがある。どっちだかわからない。ここは直感でホイップを選択。和睦は己の直感を疑う男ではない。 「ホケミ……ホケミ……わかった。おおかたこれや。俺って冴えちょるぜ」  ついでになんとなく目についた知育菓子こねこねこねこをかごに入れ、無事おつかい完了。友人の借りている部屋までやってくると、エプロンを着けた譲が玄関を開けてくれた。 「おう譲。これ、頼まれちょったものちゃ」 「ありがとな。さあ入ってくれ。ちょっと檸檬(れもん)さん取り込んでるけど」  ここは、和睦の友人と友人が仲睦まじく同棲している部屋なのだ。つまり共通の友人同士が付き合っているという、そんなに変わったシチュエーションではない。しかしながらもう一人の和睦の友人は一向に出てこなかった。 「取り込んでる? リモネン何やっちょるん?」 「檸檬(れもん)さん、ナーやん来たよ。……わりぃ、なんか昨日から返事がなくて」  譲の話によると、ここの部屋のもう一人の主である檸檬は、昨日の夜から何かに集中しているらしく一睡もしていないという。 「それでなんで俺に買い出しょー頼むんちゃ」 「いや……檸檬さんの数少ない好物でも作れば、中断してくれるかなと思ってさ」 「自分で買いに行ったらいいやろう」 「あんな状態の檸檬さん一人残して外出出来るか」 「ええ大人なんやし」 「とか言って、買ってきてくれたんだろ。ナーやんは頼れるな」 「ふん、まあな」  和睦はエコバッグに入れた買い出し食材を譲に手渡した。 「けど作るのはお前だぞ。俺は料理は出来ん。何ょー作るんか知らんけど」 「何を……って、ホットケーキだろ」 「ホットケーキ」  和睦は不思議そうに渡したエコバッグを見つめ、ふと思い出したようにその中に手を突っ込んだ。 「こねこねこねこ出すのを忘れちょったちゃ。あと、間違えたかもしれん。すまんな」 「――間違えた?」  譲はエコバッグの中に手を突っ込んで、中身を確認する。  牛乳、卵、ホイップクリーム、ホッケの切り身。  の、切り。 「ナーやん……これ」 「ホケミ」 「ホッケだよな」 「いや、わからんちゃ。間違えた俺も悪かったかもしれんけんど、ちゃんとホットケーキ作るっちゆわんお前にも過失はあるよな」  悪びれもせずに笑う和睦は、テーブルでノートを広げて何かに集中している檸檬の前に腰を下ろすと、こねこねこねこの封を切った。可愛らしい仔猫の絵が目印の、ベストセラー商品だ。程よくこねると、猫の肉球の感触に近づく。 「ホッケで今の檸檬さんの気を引けるとは思えない……だけどナーやんに折角買ってきてもらった食材を無駄にするわけにも……」  譲がぶつぶつと悩み始めたので、さすがに和睦も悪い気になってきた。 「譲ぅ。ごめんな。俺の出来ることなら手伝うけ言うちょくれ」 「いやいい……」 「怒んなちゃ」 「怒ってない。ナーやんはこねこでもこねてろ」 「……そうかあ」  実際、和睦が料理の役に立つとも思えなかったので、こねこねこねこをこね始める。薄ピンク色の知育菓子が周囲に香ばしい香りを撒き散らす。猫の肉球の匂い、などというコンセプトらしい。 「このこねる感じがたまらんのやちゃな。なあ、リモネンもやってみるか?」 「……今……僕は忙しいんだよ」 「――檸檬さん?!」  反応があったので、キッチンでホッケを前に悩んでいた譲が振り向いた。 「なんで俺が話しかけても無言だったのに、ナーやんに反応を……」  何やらショックを受けている譲に、和睦が軽口を叩く。 「譲なんかやらかしたのか? 浮気でもしたんじゃないか」 「するか!」 「あとは……乱暴にせんじゃったか? 付き合うて長うなると、雑になることがあるっち聞くし」 「雑……そんな馬鹿な。――いや、俺が気づいてないだけで、檸檬さんは不満だったとか……ナーやん、俺はどうしたら……」 「知るか。ほら、程よう仔猫ちゃんの肉球が再現されたちゃ。これでも食うて落ち着きな」  すっかり再現したこねこねこねこの完成形を譲に差し出そうとした和睦の手を、何かに集中してきた檸檬が遮った。 「リモネン?」 「……それ、触りたい」 「どうぞ」 「落ち着く……ナーやん、ありがとう」  急に礼を言われて、和睦もよくわからずに目をぱちくりさせた。譲の顔が悲嘆に暮れているのにも気づかず、檸檬はこねこねこねこのぷにぷにとした感触を楽しんでいた。 「はー……」  檸檬から深いため息が漏れた。それから急にぱたりとテーブルに突っ伏し、すやすやと眠り始めたので譲も和睦もなんのことやらわからずに顔を見合わせた。 「このしとは一体何に集中しちょったんや?」 「いや……なんか仕事のアイデアに詰まってたらしくて」 「癒やしが欲しかったんやないか? 譲が優しゅうぎゅってしちゃったら、すんなり寝てくれたんやないか」 「邪魔したら悪いかと……」  和睦の直感で買ってきた知育菓子がこんなところで役に立つとは、彼氏である譲にもわからなかっただろう。 「まあ、そこんとこの見極めは難しいやろうが、寝らにゃー出るアイデアも出らんし。ええ大人とはいえ、譲が見てやってくれると嬉しいわ。一友人として」 「――わかった。じゃあとりあえず、ナーやん。ホットケーキを作りたいから、ホットケーキミックスを買ってきてくれないか」 「えー?? またかぁ」 「ケーキは未知の領域なんで」  譲が奥から毛布を取ってきて檸檬の体にかけながら、その隣に腰掛けた。こんな状態の檸檬を一人家に残して買い出しに行けない、ということなのだろう。  和睦は苦笑いして、「貸しひとつな」と呟くと再び買い出しをすべく部屋を出た。ホッケはあとで(スタッフ)が美味しくいただくことを祈って。

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