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信じる

 翌日も、戦士たちはヘリオススの洞窟の中に集められていた。冷気に漂う緊張の波を、ヘリオサの凛とした声が裂く。 「数人の戦士を共に選び、私自らツチ族のもとへ赴く」  ヤミールが宣言した刹那、ひとりの戦士が勢いよく立ち上がった。ヘリオサと共に敵地へ行く名誉を我先に求めた訳ではないことは、彼の顔つきを見れば明らかだった。 「連中と戦わないというのなら、ヘリオサに従えない」  昨日ヤミールに反論していた戦士だった。皆殺しだ、と口にした男だ。彼は自身の腰に差したファルカタを抜き、燭台の灯りに銀光煌めく剣先を、あろうことか自身の王である青年へと向けたのだった。  ブラッドは渇いた唾を飲み下した。 「おい、それは――」 「ヘリオサ・ヤミールに決闘を申し込む」  厳めしい顔を憤怒と失望に染めた男の声は、高く王の家に響き渡った。彼の赤い目に殺意が灯っていくのをブラッドは見た。  みな、静まり返っている。天井から落ちる水滴だけが、かすかな音を立てた。誰ひとり、緊張を解かない。ヤミールは地面に膝を折ったまま、静謐な面持ちで男を見上げている。眉ひとつ動かさず、ゆっくりと口を開いた。 「残り一年間は決闘を禁じられている。忘れたか」 「そんなもの、自分が殺されることを防ぐために定めただけだろう」 「掟を破るのか」 「臆病者のヘリオサが決めた掟など誰が守るか」  侮蔑のこもった言葉を吐き捨て、戦士が手首を捻ってファルカタを傾ける。ブラッドは立ち上がり男に詰め寄ると、ヤミールとの間に立ち塞がり男の得物を握る腕を掴んだ。 「ダイハンのために定めた掟だ。破るというのなら制裁がある」  男は一笑した。 「どんな制裁だ? この軟弱者に、俺を殺す気概があるのか」  男はブラッドを押しやり掴まれた腕をはねのけ、ヤミールの前まで詰め寄ると顎を上げて見下ろした。みなの視線がヘリオサに集まり、戦士のひとりが男を制止しようと立ち上がる。 「自分の身ひとつ守れない男をヘリオサと仰いで守ろうとするお前たちも、もはやダイハンの戦士じゃない」  戦士はその場に佇んで男を睨み牽制したが、手を出すことはしなかった。他の戦士たちも同様だった。  ブラッドはもう一度、渇いた唾を飲み下す。 「どうする、ヘリオサ・ヤミール。ダイハンの王であるならば、心は決まっているだろう」  ヤミールは表情を変えず、静を保ち男を上目に見上げていた。掟を破った男を、誰も捕らえようとはしない。みな、王の決断を待っている。守るべきものは掟でなく、侮辱を受けた誇りなのだと。  ヤミール、迂闊なことは言ってくれるな。  ブラッドは怒りで強張る男の背中を睨み、ヘリオサの代わりに声を張る。 「俺が代理で受ける」  男が振り返る。その肩越しに、目を瞠るヤミールの表情が見えた。物言いたげに口を開くが、ブラッドは無視をして男だけを見据えた。 「最初にヤミールをヘリオサに推したのは俺だ。その決断が気に入らなかったのなら、俺に剣を向けろ」  男はブラッドに詰め寄ると、威嚇するように鼻梁に皺を寄せ顔を近づけた。 「今の言葉、冗談とは受け取らないぞ」 「冗談じゃない。ツチ族とは戦わない……この決定に従えないのなら、お前のような戦士はいらない。ヘリオサ自ら戦わなくても、俺で十分だ」 「馬鹿にしているのか。その手で、俺を殺せると思っているのか。ブラッドフォード、王子」  揶揄を込めて、男は最後の言葉を共通語で言い放った。 「俺はダイハンの戦士だ。お前に負ける気はしない」  かつて剣を握っていた右手はない。だが左手に剣を持って久しい。元従者のグランや、戦士のラウラと幾度も稽古を重ね鍛練した。もちろん、アトレイアの騎士にも劣らないと評されていた以前と同様に剣を振るうことはできない。今のブラッドは、ダイハンの戦士に膂力も剣捌きも劣る――だが、ヤミールよりは腕が立つ筈だ。運が味方すれば、そう思う。 「ブラッドフォード……!」 「ヘリオサが許すのであれば俺が戦う」  誰かがすっと立ち上がった。 「――駄目だ」  制止の声は、ヤミールではなかった。有無を言わせぬ、重い響きだった。ブラッドは声の主に鋭い視線を向ける。  お前に止める権利はないだろう。ブラッドは閉ざした口の中で唱えたが、彼はおもむろに立ち上がり男とブラッドの顔を順に見た。 「勝負として成立しない。俺が、ヘリオサの代理で戦う」  冷徹なその男の声に、ブラッドは眉を顰める。  今まで沈黙を守り干渉する気配も見せなかったクバルだった。己の影響力を鑑みたのか口を挟まなかった男が動いた。戦士たちの視線は一点、かつてヘリオサだった男の険しい表情に集まる。  何と言ったのか。聞き間違いかとブラッドは思った。 「勝負として成立しないだと?」  思ったよりも低く苦々しい声が出た。空気を重く震わせるブラッドの声音を聞いても、クバルは表情ひとつ変えずにブラッドを正面から見据える。 「間違いじゃないだろう」  交錯する視線に、鈍い痛みを覚える。故意に低く抑えた声音だった。身も蓋もない表現の仕方に、ブラッドは左の拳を握り締める。 「ブラッド。お前では勝負にならない」  どうしてそんな風に言えるのか。まるでブラッドを侮辱するかのように。この男は、昨夜も濃厚に交じりあった男と同一人物か? ブラッドは胸に競り上がってきた息を浅く押し出し、頬を引き攣らせながら口を開いた。 「なら言わせてもらうが、お前は一度、決闘に敗れて死んだ。死んだ男に、決闘を受ける権利はない」  クバルが片目を細める。些細な変化は見逃してしまいそうな程だったが、自身の言葉が彼に不愉快を与えた手応えは確かにあった。   お前に決闘なんかさせられるか。クバルを戦わせるくらいならば、自分が左手で戦う。ブラッドにとってクバルと決闘は、永遠に切り離すべきものだ。二年前の惨劇を思い起こせば心臓と手指の先が冷えていく。彼が殺されるかもしれない――そんな状況を許すことは今のブラッドにはできなかった。たとえ本人が望んでいたとしてもだ。  ブラッドは不服げに赤い目を眇めるクバルに顔を背け、肩を怒らせる戦士に向き直る。 「俺が勝てば、ヘリオサが示したようにツチ族との交渉を進める。異論は言わせない」 「お前が負けた時は?」  噛みつくように男が言う。ブラッドは首を横に振る。 「他の戦士や民たちが許すのならお前がヘリオサになればいい」  ひとつの殺気が追い縋って、強い力で肩を掴まれた。強引に身体の向きを変えさせられる。骨にまで食い込む指先には、戦士の男のものとはまた異なる、静かな怒気が込められていた。 「よくも、簡単に言ってくれる」  クバルの濃い目の縁は静かな興奮に引き攣っていた。滅多に見ない表情だ。 「無責任だって言いたいのか、クバル」 「お前の勝敗ひとつで、ダイハンの未来が決められる」 「お前は、俺を信じていないのか」  厚い胸を拳で押し退け、ほとんど変わらない高さにある赤い双眸を同じ強さで見返した。憤りを宿す視線が一瞬揺れる。 「……俺がお前を信じていることと、お前の身を案じていることは、違う話だ」 「何も違わないだろ」  触れた拳の先から心臓を打つ音が伝わってくる。どくどくと、逸る鼓動は彼の不安を表しているようだった。 「俺を信じているのなら任せろ」  クバルが唇を引き結ぶ。意地の悪い問い方をした。  クバルは視線を逸らし、座したままのヤミールを縋る。 「ヘリオサ」  硬い声が救いを求めるように王を呼ぶ。最終判断を下すのはお前だと。  つられてブラッドも目を向けたヤミールは、膝に置いた拳を硬く握り締め、浅い呼吸を繰り返す。静寂の戻った洞窟の中は、男たちの息遣いのみ広がる。  ヘリオサが長い黒髪を揺らし立ち上がり、口を開く。

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