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カーン

「ヘリオサ・ヤミール!」  張り詰めた深閑は、ひとりの戦士の声で破られた。焦燥の乗った若い女の声は、殺意や緊張を漂わせる男たちの視線を集めた。  湿った大地を蹴る音とともに現れたラウラは、鋭い視線を振り払い、颯爽とした足取りで男たちを押し退けると、真っ先にヘリオサの前に跪く。 「ヘリオサ」  急を要する様子の女戦士を見下ろし、ヤミールは息を飲んで先を促す。 「話して」  ラウラは眉を吊り上げたまま、凛乎として口を開いた。 「ツチ族の隊列が、ヘリオススの東からこちらへ向かっております」  いまだブラッドの肩を掴んだままのクバルの指先が強張るのがわかった。ブラッドは身体の横に下げた左の拳を握り締める。じわりと汗が滲んでいく。 「言っただろう、連中を相手に対話などできる訳がない」  戦士の男が激憤を露にして叫んだ。その非難じみた声に言葉を返す者はなく、ヤミールはこちらを一瞥すると、強い足取りで外へ向かった。入り口に垂らした幕が割かれ、揺れる。戦士たちもすぐさまヘリオサの後を追う。  ブラッドも、肩を掴むクバルの手を振り解いて彼らの後ろについた。背後から遅れて足音がついてくる。物言いたげな視線が背中に突き刺さるが、ブラッドは振り返らずに進んだ。  戦士たちの馬を繋いであるヘリオススの東に到着すると、厩舎となっている天幕のすぐ側では、ヘリオススの戦士たちがファルカタを抜いて馬上の一行に刃を向けていた。  緊迫していた。馬上の男たちは、剣こそ佩いているものの刃は抜かずに、鼻息荒く前足を鳴らす馬の手綱を握ってヘリオススの戦士を見下ろしている。 「下ろしなさい」  凛とした声が響き渡る。麗らかな青年の声に、戦士たちは戸惑いながらもゆっくりとファルカタを下ろした。戦士に守られながら人垣を分けて前へと進むヤミールの背を、ブラッドは無意識に頬の内側を噛んで見守った。 「用件を」  たった十数名ほどのツチ族の男たちは、黙したままじっとダイハンの王を見下ろしている。襲撃でないことは、彼らの人数を見れば明らかだった。先頭で馬に跨がる隊長らしき若い男は、太い眉を上げておもむろに口を開く。 「お前がヘリオサか?」  濁りのないダイハンの言葉だった。しかし騎乗したままヘリオサへと投げられた尊大な問いに、周囲の戦士たちは殺気立つ。  黄味を帯びた褐色の肌と、短く刈った黒髪は、ツチ族の持つ特徴だった。全員が、大きな鉱石をあしらった飾りを耳につけている。男は、自身の目の色と同じ蜂蜜色の石を、耳朶に空けた大きな穴に嵌めていた。  彼は自分を取り囲むダイハンの戦士たちを馬上から見渡す。ちょうどブラッドの背後で目を留めたが、一瞥したのみですぐにヤミールに視線を戻した。 「あなたは?」  警戒しながらヤミールは馬上の男を見上げる。 「ツチ族の長・カーンの子の、カーン」  ダイハン族と同様に上肢に衣服を纏わない男の首から胸にかけて、月と鳥をあしらった刺青が走っていた。これは、ツチ族の首領の一族だけが肌に彫ると聞く。親と同じ名前を持つその男は、薄黄色の目を細める。 「ダイハンの王。俺は名乗ったぞ。お前の名は?」  ブラッドはその男とヤミールのふたりの様子を後方から黙って見つめていた。焦りがないのは、彼に敵意といったものが感じられないからかもしれない。 「ヤミール。ヘリオサ・ヤミール」 「そうか。ヘリオサ・ヤミール。俺たちは、お前に詫びに来た」  謝罪のためと言いながら口ぶりは傲慢で、下手に出るつもりはないらしい。下馬せずにいる男を見上げ、ヤミールはいつもより険のある語調で問う。 「何を詫びるという? 詫びるべきことをしたという認識が?」 「お前たちの遣わした戦士の首を刎ねたこと、謝罪する」 「謝る気があるのなら馬から降りよ」  突くような鋭い声音だった。ヤミールの静かな怒気を感じ取った男――カーンが、驚いたように眉を上げ、手を掲げて合図を出すと、ツチ族の男たちは馬から飛び降りる。カーンも颯爽と馬から降り立ち、改めてヤミールと正面から相対した。 「見かけによらず、気概はあるようだな。ヘリオサ・ヤミール」 「侮辱されたまま黙っているような男に見えるか。試す必要があったか?」 「すまない。気分を害するつもりはなかった」  カーンは顔の前で両手を組み、頭を下げる。ブラッドから見えるのはヤミールの後ろ姿のみだったが、彼の薄い背中に力が込もっているのがわかる。  カーンの再び上げた顔は真摯だった。 「ダイハンの使者を殺したのは俺の父だ。早計だった。俺は、ダイハンと長く続いた敵対関係を終わりにしたいと思っている」 「我々の要求を受け入れると……?」  思ってもみないカーンの発言に、ヤミールの言葉の端には戸惑いが浮かんでいた。  当惑は当然だ。みなも、ブラッドも、真実かと疑う。 「要求を受け入れ、ツチ族はダイハン族と手を結ぶ」  カーンは敢然と断言した。誰かの息を飲む音が聞こえた。  ダイハンからツチ族への要求の内容は、和平を結び、互いの暮らしを脅かさず、またアトレイア王国との国境を武器を携えて侵さないことだった。それを、あのツチ族が素直に受け入れるという。 「俺たちツチ族は、他を襲い、犯し、殺し、奪う。この生き方を変えるつもりはない。だが、ダイハンとの争いで必要のない人死にが出るのは事実。お前たちに限って、今後は手を出さないと誓う」 「あなたが誓っても、長が許さないのでは」 「二月後には、俺がツチ族の王になる」 「北のアトレイア王国は」 「連中にも手は出さない」  はっきりと、カーンは言った。ぶるぶると震える馬の鼻面を撫でた手を握り、自身の胸を叩く。  ブラッドは汗の掻いた左拳を握り、戦士たちを押し退けてヤミールの傍らへ詰め寄った。鋭い顔つきのブラッドを、カーンが一瞥する。 「……ヘリオサ。信用できない。何が裏があるかもしれん」  お前がよく知っているだろ、と視線で訴える。真上からぎらぎらと照りつける太陽が頭皮を焼いて、こめかみを汗が流れていった。  かつてダイハンはツチ族の罠に陥れられ、ヤミールと妹のカミールは誘拐された。彼らの陣地に連れ去られ、暴行されたのだ。ブラッドが救いに行かなければ、炎に燃える天幕に押し潰されて死んでいたのだ。  ブラッドの囁きに、ヤミールは頷く。交渉がこれほどに容易に進むと、かえって不信感が募る。 「疑っているな」 「当然です。使者を殺しておいて、詫びひとつ、やはり受け入れるというのは、信じられない」 「ひとつ抜けていた。訂正がある。何も、俺たちも無条件でダイハンの交渉に応じる訳じゃない」  ヤミールはなだらかな眉を寄せる。カーンは言葉を続ける。 「ツチ族はダイハン族と和解する。俺の説得に、父も応じてくれた。お前たちとの友好の証に、俺の妹の夫となる者をダイハンの戦士から選びたいと父は言う」  ブラッドは静かにヤミールと目を合わせた。人質、のようなものだ。 「お前たちが俺たちを信用しないように、俺たちも完全にお前たちを信用した訳じゃない。和解を提案しておいて、ダイハンの方が俺たちを裏切る可能性もある」 「それはありえない、族長の子・カーン。私たちダイハンは、誓いを破らない」 「それを証明するものが欲しい。だから、妹の花婿としてひとり、戦士を貰う」  カーンの話す内容は理解できた。例えばダイハンがツチ族の立場でも、相手を疑い、保証を求めるだろう。ブラッドだってアトレイアの王子だった頃、ダイハンとの和平の証に弟のシュオンを引き渡そうとした。  人質がいれば、ダイハンはツチ族に対して下手な手出しができない。反対に、ツチ族は人質を殺せば、ダイハンからの報復がある。 「……わかった」  苦渋の選択。普段見ない険しい表情を作ったヤミールが頷く。 「こちらで話し合い、あなたの妹の夫となる戦士を決める。一月後までには、あなたたちの拠点を教えてもらえれば送り届ける」 「それでは遅い。父はそれほど待てないし、俺たちの居所も容易には教えられない。三日後だ。俺たちは付近に滞在し、三日後に花婿を連れていく」 「たった三日で決めろというのか」 「違う。もう決まっている」  カーンの琥珀色の瞳が、さ迷う。ヤミールを見て、隣のブラッドへ視線を移す。ゆっくりと移ろい、後ろの戦士たちを見渡す。一点で視線を留め、射抜くように見据え、口を開く。 「先の王の、クバル」  乾いた熱気がブラッドの頬を撫でていく。  

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