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代理決闘

 三日後のことだった。数名の戦士とグランを連れて遠乗りに出かけていたブラッドがヘリオススへ戻るや否や、ラウラが美しい黒髪を振り乱しながら息せき切って走り寄ってきた。  荒ぶる馬を落ち着かせながら大地に足をつけると、ラウラは開口一番に言った。 「ヘリオサが危険です」  訝しげにグランがブラッドへ視線を合わせてくる。  敵襲など受けるはずもない。ダイハン族は今や敵対していた部族たちと和解を果たした。もし暗殺者でも仕向けようものなら、その者は誓約破りとして獰猛な戦士たちに八つ裂きにされる。 「ほんの数時間あけていただけだ。何があった?」  ラウラの焦燥に感化されてか白い愛馬は鼻息荒く、今にも前足を高く上げて嘶きそうだった。馬の逞しい首を優しく撫でながら眼前の女戦士を促すと、ラウラは意識的に気を落ち着かせようと胸に手を当てた。 「ヘリオサ・ヤミールが決闘を申し込まれています」  その報告を聞いてブラッドはすぐさま馬の手綱を手近な戦士に預け、足早に歩き出した。グランとラウラが後を追ってくる。 「この間反抗していた奴か」 「名はユーホです。話はまだ終わっていないと」 「そんな。ツチ族の件は落着したのだから、決闘する必要もないはずだ」  グランが呆れたように言う。ブラッドは先日の様子を思い起こして舌を打った。 「戦いじゃなくて和解を選んだヤミールが気に入らねえって話だろう」  強さこそヘリオサの資質。否、強さだけが。慈悲や誠実さといった要素は、過酷な環境に生きるダイハン族の長には必要のないもの。そう信じて疑わない者は、ヤミールがヘリオサの座について二年の歳月が経った今でも一定数いる。   「決闘自体、有耶無耶になっていたのに、わざわざ掘り返すなんて」 「……」  ブラッドは無言で先を急いだ。認めたくないが、自身の内側が緊張に満たされていくのを感じる。窮地に立たされているヘリオサを他に誰が援護できる。  王の家である洞窟の前に人集りができていた。近づく毎に激しくなる口汚い怒声はその中心から聞こえるものだろう、ブラッドは眉を顰める。 「どいてくれ。道を開けろ」  群がるヘリオススの民を割きながら騒ぎの中心に向かった。錆色の石壁の前では、やはり先日ヤミールに決闘を要求した男、ユーホとその賛同者が、ヤミールと腹心の戦士たちと対峙している。双方ともファルカタは腰の鞘に収まってはいるが、野太い声を荒げ、十分に威嚇し合っていた。  ブラッドがグランやラウラを連れて前へ出ると、気づいたヤミールの顔の強張りが一瞬だが解けて見えた。 「ブラッドフォード」 「ヤミール、無事か」  浅く頷くヤミールの隣に立つと、目の前に対峙している戦士は鼻梁に皺を寄せて牙を剥いた。決闘の要求を撤回してくれそうにないことは、彼の血走った目を見れば明らかだ。ブラッドが駆けつけたのは、すでに十分な議論と説得がなされた後だった。 「無理矢理黙らせる必要がありそうか」 「お前のような腑抜けに、俺を黙らせることができるとでも」  輪の外にまで届くように大音声を張りながら、ユーホは両腕を広げてみせたが、わかりやすい挑発に乗って激情するような愚かさをブラッドは持ち合わせていない。 「腑抜けで結構だ。ヤミールの代わりに俺が相手をしてやる。そう宣言したからな」  言葉を返しながら自身の左手を握り締め開くと、かすかに内側の筋が張り詰める感覚がある。ここ三日「新しいファルカタが完成するまでは」と、グランに鍛練を制限されてから一度も剣を握っていなかった。それに、今佩いている剣は、完治していない左手に持つには重かった。  隣に佇むヤミールから向けられる視線に制止の意を感じ取ってはいたが、生憎こればかりは遠慮できない。ヘリオサの命を脅かす者を野放しにするなど、たとえヘリオサの命令であっても従えなかった。  あるいは今ここにクバルがいたならば、状況は違うだろうか。ブラッドにも、決闘を要求するユーホにも、幸か不幸か、行動を制御するものは今はない。  男は鼻白んだように笑い、太い指を掲げた。指した先はブラッドの隣に立つ若い王だ。 「ヤミール、もはやお前の名の前に王の称号はいらない。お前はいつも守られてばかりの無力で無様な男だ。だからクバルもツチ族に奪われた」  男は周囲の戦士たちに知らしめるように片腕を広げる。少数の賛同者たちは同意の声を上げ、「臆病者」と青年を詰った。ヤミールを守るように聳える腹心たちの殺気が燃え上がっていくのを肌で感じる。 「奪われただけじゃねえ、取り返そうともしない! 連中の言いなりになって、もし罠だったらどうするつもりだ。この間の使者のように、クバルが首だけになって帰ってくるかもしれんぞ」 「奪われたんじゃない。ダイハンを守るために出て行ったんだ」  渦巻く罵声を掻き消すように声を張り上げたブラッドに男は反応し、今度はブラッドを罵倒し始める。 「お前も最低な男だ、ブラッドフォード。自ら進んでクバルを売った。結局、お前はクバルでなくてもいい。棒があれば誰でもいいということか」 「貴様……!」  侮辱を重ねる男に憤怒を向けたのは、輪の内側で事を見守っていたグランだった。ブラッドに寄り添い、誰よりもブラッドを理解する者。今にも剣を抜いて男へ飛びかかりそうな剣幕の彼女を、ブラッドは片手で制した。 「お前の言う通り、クバルにツチ族と行くよう説得したのは俺だ。そのおかげでダイハンが平穏を得ることができたのは事実だ。ダイハンはもう外敵に煩わされることはない。敵は消えた。だがお前が戦士や民たちの心を乱し、俺たちの王を害そうとするなら、敵と見なす」 「俺たち、だと? アトレイアの王子が立派にダイハンの民を代弁するようになったもんだ」  対峙し睨み合っていると、周囲を取り囲む戦士たちが戦いを察知し輪を広げるように後ずさる。ただひとり、ブラッドの隣に佇むヘリオサは、滑らかな頬を硬く強張らせている。 「代理決闘を許すと言ってくれ」 「腕が本調子でないでしょう」 「問題ない。十分休ませた」 「ブラッドフォード!」  黒い人垣の輪の外から声が届いた。戦士たちの間を縫って、大きな二重が特徴の青年が輪の内側に飛び出してくる。 「ガト」 「間に合った。これ使って」  反射的に身を引きそうになったが、躊躇なく駆け寄ったガトがブラッドの手を強引に取って長物を持たせた。胸の内を騒がせる暇もなく、触れた指先は一瞬で離れていく。  新しいファルカタだ。持った印象は軽い。鞘はなかった。せめてと礼を口にする前に、青年は輪に戻ってしまった。 「ちょうどいい。試しに俺を斬ってみろ!」  ヘリオサをヘリオサと呼ばず義理を欠いた男に、王の許可など必要のないものだろう。正面から踊りかかってくる男を視界に捉え、ブラッドは瞬時に傍にいたヤミールの身体を押しやった。グランに目配せをすると、動揺しながらも彼女は頷き、華奢な青年の肩を支えて周縁へと紛れる。  力強く踏み込んだ男は湾曲した刃をブラッドの身体の中心へ向かって振り下ろした。左手に持つファルカタで受ける一撃は、普段の訓練で受けるラウラの攻撃よりも重く、ブラッドは奥歯を食い絞めた。鈍い音が散り、周囲の熱気を蠕動させた。   「最初の餌食になりたいらしいな」  力を込めると左手首に生じるわずかな違和感に目を瞑り、ブラッドは男の剣を押し返した。すぐさま一合、二合、打ちつける。  軽く、振りやすい。その分、相手へ与える衝撃は減少するが、自身の隙は最小限に抑えられる。以前のファルカタなら、振る際に生じるわずかな隙を縫って斬り捨てられているかもしれない。 「それだけか。まるで女みたいな剣だな」  打ち合う合間に嘲弄する男は、自らの膂力を誇示するようにブラッドの剣を跳ね返す。  利き手であった右で剣を扱うのと左で扱うのとでは、勝手が大きく異なる。その差をなくそうと連日グランとラウラとともに鍛練を重ね、今や左が利き腕でないかと錯覚しそうに思うこともある。だがそれも訓練の中での話だ。自分を殺そうとする相手との実戦ではない。  正直なところ、膂力と剣捌きだけではユーホの過激な殺意を打ち負かすことはできない。ブラッドは悟ってしまった。そして、相手も勘づいている。 「ッ!」 「鍛練の成果とはそんなものか」  下腕に走った鋭い痛みに息を詰める。後退し距離を取ると、足元に血液が滴った。幸いにも傷は浅い。  当然、休息の時間など与えてはくれない。衝撃は間髪なく訪れた。左で受け止め、衝撃を流し、再び受け止め、押し返す。しばらく防戦一方の応酬が続いた。  いつしか輪の近くまで後退し、次に受けた攻撃でブラッドは体勢を崩し人垣に倒れた。待たずに振り下ろされるファルカタを、右に転がって避ける。 「ブラッドフォード!」  ヤミールの上擦った声が聞こえる。どの方向から聞こえたのか。確認する余裕もない。甲高い鋼の音。ユーホへ降りかかる罵声。殺せ、やっちまえ、どちらへ叫んでいるのかわからない、野太い歓声。  立ち上がる暇もなく襲いくる剣を受けながら、ブラッドは思考の冷静な部分で考える。  もしここで敗北――殺されたら、ヤミールはどうなる。良くても追放、最悪の場合は斬首だ。ユーホがヘリオサとなったら、きっとツチ族を襲撃するだろう。誓約を反古にしたダイハンを、ツチ族は許さない。花婿、もとい人質であるクバルの身は一体どうなる。 「お前を殺し、ヤミールを殺し、俺が王になる! 俺がツチ族を殺す!」  押し潰す岩のように重い一撃を、左手で押し返すことはできなかった。触れた鋼同士がぎりぎりと耳障りな音を立てているのが、どこか遠くから聞こえる。赤い大地の上に仰向けになったまま、上から押しつけられて自身の震えるファルカタの刃が眼前に迫っているのを、他人事のように眺めている。  黙らせると豪語したくせに、なんて無様だ。これでは、すべてが台無しだ。  上からの重力に抗い震える自身の刃の縁に、ブラッドは指のない右手を添えた。そして、自分を奮い立たせるべく雄叫びを上げた。  灼熱で焼かれたように右の掌が酷く熱く、顔面に赤い液体がボタボタと滴ってくる。また右腕が短くなっても構わない。そう思いながらブラッドはユーホのファルカタを押し返し弾いた。  両腕から一気に力が抜けて全身に汗が吹き出す。得物を取り落としそうになったが、痺れる左手で柄を握り直し、一瞬体勢を崩したユーホの腹を斬った。  感触は浅かった。到底、致命傷にはならない。男が次の一手を講じる前に、ブラッドは食い縛りながら足を払った。横に転倒したユーホの利き手を蹴りつけ、得物を遠くへ飛ばす。  男の裸の上肢に乗り上げ、ブラッドはファルカタを逆手に持って振り上げた。  殺せ、殺せ、と叫ぶ外野が騒々しい。萎びた舌を下顎から引き剥がし、「黙れ」と痰の絡んだ声を下腹から押し出した。 「貴様は王にならん、王は、ヤミールだ」  血で深紅に染まった視界の中で、ユーホが憎しみに吠えている。ブラッドは肩で息をしながら、躊躇わず、眼下目掛けて左腕を振り下ろした。

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