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第32話 幸運という名の犬⑥
カップを下げて、厨房に向かうとΩだろう羊族の者達が働いていた。
「湯は沸いているだろうか。陛下が紅茶を淹れて欲しいと」
僕を見て一瞬萎縮したようだったが、話し掛けると近くにいた若い女性が、「ティーセットと茶葉はこちらです」と食器棚を示して、ケトルを手渡してくれた。
「ありがとう」
「……王妃様が貴方のお話をよくしてくださっていました。もし会ったらとても良い方だから、仲良くして欲しいと」
「ロ……王妃が」
つい癖で名前で呼びそうになった。しかし、ロポが僕の話をしてくれていたのは、αである僕が働きやすいように彼が気を遣ってくれた……とは思わないが、ロポが分け隔てなく城の者たちに接する性格で、自然と僕のことを口にしてくれていたからこそ、今の彼女の親切がある。それはロポに感謝しなければならないだろう。
紅茶を淹れて、陛下の書斎にお持ちすると、中から楽しげな声がしてドアを開けた。
「失礼致し──」
「スウード! 部屋から出て来れたんだ!」
とロポが走り寄ってきて、あわやティーセットを載せたトレイをひっくり返すところだった。
「良い匂い! あとで俺にも淹れて!」
「ああ、分かった」
陛下に紅茶を出した後、ロポが話がしたいと言うので仕事をしている陛下に遠慮しながら話した。
城での生活がほとんどで、食べ物の何が美味しかったとか使用人の誰々がどうしたとかいう話だった。
「あっ、そうだ! 泳いでスウードに会いに行った日にアルに子作りしようってちゃんと言ったよ! そしたらそれから子作りしてくれるようになって、昨日もした!」
ちょうど紅茶を口に含んでいた陛下が、噴き出し、書類に紅茶が飛び散る。
「だ、大丈夫ですか!」
慌てて持っていたナプキンで口元と、書類を拭った。しかし、こんなに動揺する陛下を見るのは初めてだ。
「ロポ、そういう話は夫婦や恋人との間でするものなんだ……! 他人に聞かせるものじゃない!」
「そっかあ、ごめんアル。スウードが相談に乗ってくれたからつい言っちゃった」
顔を熱くしている僕を陛下が何かお思いの様子で見上げる。このままでは助言をしたことがバレてしまう。
「……何の話だ?」
「そ、そろそろロポの分の紅茶を淹れてきます!」
半分逃げるように書斎を後にした。あれ以上あの場に居たら追及は免れなかっただろう。
しかし、二人の側にまた居られるのだと実感が湧いてくると、僕が居ていい場所がここに在るのだと喜びを感じる。
僕を側に置いてくれる二人ために、少しでも役に立てるように、一層励みたいと思った。
城で働き始めて数日ほど経った頃。僕は塀の中に入れたら行きたいと思っていた場所に向かった。
それは、僕が生まれた場所──娼館がある花街だ。αである以上、本来近付くことは避けたい場所だが、抑制効果のある実の摂取で可能になった。
今もその建物があるかは分からないが、自分がどんな場所で生まれたのかを見てみたかった。もし当時のことを知っている者が居たら、母のことを聞いてみたい。そして──何処の誰かも分からない、父についても。
仕事を終えた後、夜間に一人城を後にして娼館が立ち並ぶ地域に足を踏み入れた。
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