34 / 60

第34話 幸運という名の犬⑧

 青年の呼び掛けに、近くの娼館から上背はそれほどではないが、服の上からでも身体を鍛えているのがわかる屈強な犬族の男が出てくる。頬に鉤爪のようなもので引っ掻かれたような傷跡がある。用心棒だろうか。 「あんたの名前だけでも教えてくれ! 頼む!」 「……スウード、だ」  聞こえたかどうかは分からない。結局用心棒らしき男に引き摺られて、娼館の中に放り込まれてしまったから。 「運命って……?」 「すいません、あいつの常套句なんで気にしないでください! あいつ発情期(ヒート)の時にしかまともに客つかないから必死なだけなんでっ! そのっ、違法な勧誘してませんから、うちの店!」  このローブのせいで、すっかり査察か何かと勘違いされている。ただ通り掛かっただけなのだが…… 「つーことで、さっきのは見逃してください! プライベートでご利用の際にはサービス致しますんで! じゃ!」  と、ウィンクをしてさっきの黒髪の青年が放り込まれた娼館に追い掛けるように入っていった。  まるで嵐のように騒がしく、一瞬で去って行った彼等に呆気に取られる。と、視線の端で光るものが目に入り、視線を落とすと、足元に腕輪が落ちていることに気付いた。金の鎖に小さな赤い石がひとつついている質素なものだ。  腕輪を手に取り、微かに残る匂いから、あの黒髪の青年の物だと分かる。「届けなければ」と娼館に歩みを進めたところで、先程表通りに居た女性達がこちらに歩いてくるのが見えた。  またここに留まっていたら何か騒ぎになるかもしれない。腕輪を持ったまま逃げるように花街を脱出し、城への道を急いだ。  城内の使用人に充てがわれた自室に入り、ようやく落ち着いた……はずなのに、何故だか胸がざわざわと騒がしい。  持ち去ってしまった、手の中にある腕輪の赤い石を見詰めて、ルシュディーと名乗った青年のことを思い出す。  ──あんた、おれの運命だろ!  赤銅色の瞳が、僕を捉えて離さない。何故、と自らに問う度に、解っているはずだ、と心の声がする。  ──運命。  そんな奇跡が、僕にも起こり得るのだろうか。この広い世界で、ただひとりのひとに逢うなんてことが……  もう一度会ったら、その時に──真実を知ることになるだろう。  腕輪をベッドサイドの棚の上に置いて、深呼吸する。ふと窓の外を見上げると、星が瞬く夜空に、半分欠けた月が昇っていた。

ともだちにシェアしよう!