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第2話

 体温計を手に柴田に近づくと、彼はあからさまに視線を外す。脇に挟ませ、腕の上から軽く押してやると、小麦色の肌がほんのりと赤く染まる。  わざとらしく耳元に息を吹きこんでやると、思春期真っ盛りのガキのようにビクリと肩を揺らした。 「そのまま動くなよ」 「……先生、エロい」 「は?」 「先生、声エロいっス」 「生まれつきエロいんだよ、俺は……っと、ほら、見ろ」  三十六度ジャスト。  デジタル表示を見せつけると、柴田はガクリと肩を落とした。 「くっそーッ」 「ほら、さっさと帰れ帰れ」 「……ねえ先生、休みの日何してんの?」 「休んでんだよ」 「違うって。ほら、趣味とかさあ、どっか遊びに行くとかねえの?」 「お前らほど暇じゃねえんだよ」 「ふーん」  ふーんじゃねえ。早く出ていけ。  体温計を片付けながら柴田に背を向けるが、まったく帰る気配を見せない。 「帰れって言ってんだろ、クソガキ」 「ガキじゃねえ」 「俺から見たらケツの青いガキなんだよ」 「先生、オレ先生のこと好きです」 「知ってる」 「そうそう知って……えっ」 「知ってるぞ、柴田。お前がこの俺目当てでサボってることは目に見えている」 「ええっ、そんな、オレ……オレ……オレの態度ってそんなにわかりやすかったっスか?」 「無自覚だったのかよ」 「自覚してるよ! オレ、篠川先生のこと好きだ!」 「……だから?」 「だから?」 「柴田。お前が俺を好きなのは知ってる。大人をなめんなよ。だから訊いたんだ。お前が俺に告って、それからどうしたいんだ?」 「……な、何も考えてなかった」 「あっそ」  ただのガキだ。自分の気持ちを伝えるだけ伝えて、その後の結果までは想定していない。  さて、どうやって断ってやろうか。  柴田は男子校にありがちの幻想をこの俺に抱いているだけだ。  全寮制だから女と出会う機会が圧倒的に少ない。  だから同じ学内で欲求を満たそうとする。  こいつの場合は相手が年上の養護教諭なのが悪かった。  生徒同士なら何も問題はなかったのに。 「柴田、お前のためにきっぱり言ってやる。お前の想いは受け入れられない。以上」 「以上って……オレ達、付き合えないんですか?」 「付き合えない」 「チューできないの?」 「チューできない」 「じゃあセックスは?」 「一番ダメだろ」 「そんなあ!」 「逆に俺が断っているのに色々できると思っているお前の思考回路が気になるわ」 「男同士だからっスか? オレのダチのダチでも付き合ってるやつらいますよ。なんでオレはダメなんですか」 「それくらい自分で考えろ。まあ答えが出たとしても無理なもんは無理だがな」 「先生、オレのこと嫌い?」 「俺は全生徒に対して対等に接しているからな。お前だけを特別扱いできないんだよ」 「じゃあさ、先生。学校の外だったらどうなの?」 「外でもダメ」 「……オレ、まったく望みないんですね」 「ない」  ここまで言えば伝わるだろうか。  柴田の様子をうかがうと、絵に描いたように頭を抱えていた。 「どうした?」 「頭パンクしそうっス……」 「考えすぎてか?」 「俺は、俺はどうしたらいいんですか」 「どうもこうも断られたらそこで終わりだろ」 「先生はフラれたことないからわかんないんスよ」 「……そうだな、フラれたことはない」 「自分から告白したことは?」 「それもない」 「てか先生、そもそも今付き合っている人いるんスか?」 「なんでお前にそんなことまで教えなきゃならないんだ」 「誰とも付き合っていないなら俺だって!」 「そういう問題じゃないってさっきも言ったろ」 「てか先生男もイケるんですか?」 「ああ?」 「いや先生、女より超綺麗だし、オレ簡単に抜ける……」 「おいおいおいおいそれ以上言ったら生活指導にチクるぞ」 「すんません」 「反省してんのか?」 「反省してます」 「何を反省してる?」 「えっと……デリカシー? のない発言しっちゃってすみませんでした」 「それだけか?」 「あと抜いたこと?」 「抜いたのかよ、この俺で。よく抜けるな」 「ほんとすみません」  柴田はガバりと床に手をつき、額がこすれるくらいに土下座をした。  今時、土下座かよ。  ここは俺が折れるしかないのか?  まったく、面倒なクソガキに好かれたものだ。 「柴田ぁ……」 「はいっ」 「頭上げろ」 「上げません」 「いや上げろや」 「上げませんっ!」 「……このクソガキが」  柴田の頭へ手を置き、わしゃわしゃとなでてやる。柴田の髪は見た目に反して存外柔らかかった。例えるならば柴犬だろうか。安直だが。堅そうな毛足のわりに触れてみるとふわふわとしている。いや、ふわふわではないな。 「先生?」 「犬みたいだな、お前」 「……犬でもいいっス」 「お前は人間だろ」 「そうっスね……」  チャイムが鳴る。柴田と押し問答をしている間にひと授業終わったようだ。  午前の授業がすべて終わり、俺としても昼休憩に入りたいのだが、傷心モードの生徒を放っておくのは養護教諭としての矜持に反する。 「午後までには教室戻れよ。置くのベッド空いてるから」 「いいんスか?」 「俺の気が変わらないうちに寝とけ」 「……ありがとうございます」  なんだ。普通に礼言えるじゃないか。  クソガキからガキに昇格してやろう。  換気のために開けていた窓から夏の気配を帯びた風が流れこみ、俺の髪をさらった。

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