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Ⅳ
その日の夜、ホテルに戻った俺達の元に紙袋がひとつ、届けられた、
「何?」
と尋ねる俺に、ミハイルが一言、
「開けてみろ」
と言った。袋の中には、幾つかの手紙の束とノートが一冊。それと.....古びたカメラと身分証らしきものが入っていた。
「これは.....」
俺はノートをパラパラと捲った。端正な文字が並ぶそれは、5歳で父親と離れた俺には難しい単語が並んでいた。そのページの間から数枚の写真がハラリと落ちた。黄ばんで色褪せたその写真の一枚には、若い男女と赤ん坊が映っていた。背の高い穏やかそうな三十代くらいの男と小柄な若い女性...写真の男の顔には見覚えがあった。
「父さん.....」
「そうだ。真ん中の赤ん坊はお前だ」
俺はミハイルの顔を見上げ、そして食い入るように写真を見た。他にも赤ん坊がお座りして笑っている写真や、母親に抱かれている写真、それに、あの夢で見た縁台に若い頃のオヤジと父さんとの間に座って笑っている俺......それと、もっと若い父さんが軍服を着て胸を張っている姿や。若い父さんが母親らしき人の肩を抱いて笑っている写真もあった。
俺は眼をいっぱいに見開いて写真を見つめていた。視界が涙でぼやけ、はっきりとは見えなかったが、ノートには間違いなくーリヒャルト-ヘイゼルシュタインーの名前が記されていた。俺は言葉に詰まりながら、呟いた。
「これは....父さんの.....何故?」
ミハイルは、静かに言った。
「趙が...、ベルリン銀行の貸金庫に預けておいたものだ。趙の手紙がある」
手渡された一枚の走り書きのようなメモには、見慣れたオヤジの文字があった。
ー私の可愛い倅へー
とその手紙は始まっていた。
オヤジが俺を連れて逃げたあの夜、崔に父さんを殺されたあの夜、タイの国軍が崔のアジトを襲撃した。父さんの危機には間に合わなかったが、崔はそのままあの村を捨てて逃亡した。父さんとあの女性の遺体は、そのまま数日の間放置され、一週間くらい後、オヤジの仲間...KGBの誰かが、俺の家に行き、父さんの亡骸を近くの夏椿の木の下に埋め、彼女の亡骸は身内に還された。
数年後、安全を確かめたオヤジは俺を連れてタイへ行き、その場所から父さんの遺骨を掘り出し、遺品とともにベルリンの父さんの母親の元に届けた....と書かれていた。
ーお前がいつかリヒャルトのことを、実の父親のことを思い出す、思い出せる日が来たなら、ベルリンに行きなさい。お前の父親が育った街にお前の父親の思い出を置いておく。だが、忘れないでくれ、お前は私の大事な倅。私も父親としてお前を愛していた。本当はリヒャルトを思い出さないまま、この手紙がお前の目に触れることなく済んで欲しいと思っている、我が儘な私を許して欲しい。どうかいつまでも健やかに.....愛しい我が倅よー
「忘れるわけなんか、ないじゃないか.....」
俺は溢れる涙でグショグショになった顔を手で拭って、ミハイルの顔を見上げた。ヤツはとても優しい眼差しで、少しだけ済まなそうな顔をして俺を見た。
「何故、これを.....」
と訊くと、少しだけ言いづらそうに言葉を洩らした。
「お前が以前に立ち寄った喫茶店の前の店主が預かっていた。......諜報局の連中が探りを入れる前に、一度、彼に、柳井融に店に行かせた。モカブレンドのコーヒーと、センチメンタル-ジャーニーは、趙の合図だった。同じようにさせて、『父から預かっていたものはないか?』と訊くように言った。....そしたら、カウンターの奥から、封筒に入ったこの手紙と貸金庫の鍵を渡された.....のだそうだ」
「俺に黙って......」
俺は上目遣いでちょっとミハイルを睨んだ。ヤツは眼をしばたたきながら、宥めるように言った。
「お前のことが全て知りたかった。あの時、日本に行った時、お前が迷いなくあの喫茶店に向かったことで、あそこが趙が連絡員と会っていた場所なのがわかった。.....だから、趙が何か残していないか探らせたんだ。.....お前の実の父親の遺品に関わる物とは思わなかったが......」
俺はミハイルの傍に席を移し、ブルーグレーの瞳を見つめて、そっと手を重ねた。
「ありがとう......ミーシャ」
「明日は、ベルリンの壁のあったところに行こう...お前の父親の遺言だ」
ミハイルは、俺の頬にキスして言った。
「ミーシャ、ノートを読んだのか?」
尋ねる俺にミハイルは、肩をすくめて言った。
「検閲させてもらった」
憎らしい言いっぷりだが、多分、俺が満足に読めないことを知っていた。だから、敢えて憎まれるのを承知で父さんの言葉を伝えてくれようとした.....。
「ミーシャは、優しいな......」
ヤツは眉をしかめ、だが照れ隠しのその仕草に俺は微笑み、口付けした。
「教えてくれ....父さんの言葉を」
ヤツの大きな手が俺の頭を撫でた。遥か昔、父さんが、オヤジがしてくれたように.....。
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