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V.S 32
「彼シャツとはどういうことだ」
あの男がキレていた。
「服が焼けてしまったんだから仕方ないだろ」
少年が怒鳴り返す。
二人は団地の屋上で喧嘩を始めていた。
男がキレている理由は、少年が私のシャツを羽織っていることだ。
焼けてしまったため、私が少年にシャツを貸した。
かなり大きく、ワンピースみたいになっている。
それが気に入らないと怒り始めたのだ。
「彼シャツ」だそうだ。
私はもう知らない。
こんな会話に関わるものか。
「丸裸でいろってのか」
「他の男のシャツ着られてるよりはそっちのがマシだ」
「丸裸なんか嫌だぞ俺は!」
二人は怒鳴りあっている。
実に馬鹿らしい。
「じゃあ、僕のを着ろ」
「それを脱いだらあんたの身体が他のヤツに見られるだろ、それが嫌だから僕があんたに着せたんだろうが」
二人とも焼かれたり、散々貫かれたりしたせいで、服はボロボロなのだ。
あまりに二人がやかましいので、とうとう私は口を出してしまった。
「ここは彼らが住んでたんだろう、下の部屋を探せば何か服があるんじゃないか」
私の言葉に少年は頷いた。
「なんか探してくる」
少年は階段を駆け下りていった。
階下を探してみるつもりだろう。
屋上から下を見張る。
さて、相手がどうするのかは全く読めない。
私は少年にワイシャツを貸したので、Tシャツにスーツという格好だ。
現場はひさしぶりだ。
ネクタイをしないのは何年ぶりか。
男が私の隣に立った。
悪寒がするのは、隠そうともしない殺意のせいた。
「アレは僕のだ。・・・忘れるな」
男は言った。
警告だ。
何度も繰り返される警告だ。
少年はこの男のモノだ。
そんなことは知っている。
「・・・おまえのためなら、ガソリンまかれて火を点られることも厭わないヤツに手を出すと思うか」
あの子はそこまでするのだ。
男のために。
「あの子はお前のためなら、空さえ跳ぶ」
屋上の老人へと走る少年を追った。
速かった。
そして少年は、建物のベランダからベランダへと瞬く間に駆け上がっていった。
羽根のある生き物のようだった。
屋上でジャンプし、老人を捕まえた時も、老人と落ちて来た少年を見た時も、空を飛ぶ生き物なのかと思った。
美しいと思ったことは、秘密だ。
「・・・手など出す余地などどこにもないだろう。それだけ愛されていて何が心配なんだ」
私は心の底から言った。
返事はなかった。
不思議に思って顔を上げた。
男は真っ赤になっていた。
照れている。
この男が?
真っ赤になる男と言う珍しいものを私は目を丸くしてみていた。
照れるって。
人前で平然とセックスが出来る男が。
いつも思うのだが、この男の感覚は我々とは全く違う。
倫理観や感情がないわけではないらしい。
だからと言ってコイツがゲスなことには変わりないが。
男がごまかすように咳払いをして言った。
「・・・言わなかったんだな、僕がお前の部下を殺すように言ったこと。何故だ?」
あの男が呟くように言った。
「・・・言ったところであの子はお前から離れられない。苦しめるだけだ」
私は答えた。
あの子はどれほど苦しむだろう。
あの子は死んだ部下達にも懐いていたからだ。
でも、この男からは離れられない。
「・・・お前に貸しが出来たな。正直、助かった。ガキに泣かれるのは・・・嫌なんだ」
男は言った。
ならばそんな真似はしなければいいものを。
この男は何を考えているのだろう。
何かしらこの男なりの思惑があるのだろうが、全くわからなかった。
「さあ、仕切り直しだ。やつらを殺そう・・・正義のために」
男は言った。
この男の言う正義とは何なのだろう。
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