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「それとも足りなかった?」 渉太がそんな葛藤をしていたなど知らずに、律仁さんは軽く微笑んでくるどころかいつもの調子で煽ってきた。 「足りなくないです、充分ですっ。こんなっ」 足りないどころか、少しの余裕がない。 こんな誰かとここまで近づいて、見つめ合って……なんて人生でしたことがないのだから……。 「俺は足りなかった。渉太にもっとキスしたいし、触れたい」 気分が落ちたりドキドキしたりと忙しなくさせている渉太が狼狽えていると律仁さんは、真剣な眼差しで此方に視線を向けてきて、自然とその瞳に惹き込まれそうになり、気づいたら口を塞いでいた手が解けていた。 腰に手を回され、再び律仁さんとのキスの予感を感じた時、すぐ隣の車道で車が横切った音が耳に入ってきては我に返る。 今こんな所で流れに任されている場合じゃない……。渉太は右手で律仁さんの胸元を押すと近づいてくるのを阻止をした。 「ちょっ……り、り、律仁さん。流石にここは誰かに見られたら……」 「車以外通らないし、暗いから誰かなんて分からないと思うけど?」 「そういう問題じゃないです……やっとほとぼりが冷めてきたのに……やっぱり活動の妨げになるようなことはしたくないです」 律仁さんは首元を搔くと深く息をついた。 その溜息がやっぱり素直に受け入れた方が良かったのだろうかと渉太を後悔させる。 「あんまこういうの演技してるみたいで、ベタなことしたくないんだけどさ」 そんな折り、律仁さんが徐に帽子を取っては車道側の顔の真横に持ってくると、おいでと言わんばかりに空いた手で手招きしてきた。 「渉太がこれでも嫌だって言うなら無理強いはしないけど?もっと堂々としてもいいんじゃない?俺の恋人になるんだから?」 渉太の後悔なんて無駄だったかのように律仁さんの開き直った顔。 足りないなんて煽っておきながら、敢えて判断を委ねてくる律仁さんが自分を意地らしく見てくるのが恥ずかしかった。

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