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だけど、あの自分に向けられた藤咲の瞳と同じ筈なのに何処か苦しそうにさえ見えて目が離せない。 「尚弥、よしなさい。もう9年も前のことよ?あの人も若気の至りだったって反省してたわ。それに……古林さんも褒めるくらいの腕だって言ってたし、尚弥別のところに調律してもらうと嫌がるじゃない?」 「だから、僕にさえバレなければいいと思っていたの?アンタにとってあの出来事はアイツが反省して許させる程度だったの?」 「私たちのことは後で話しましょう。貴方が今やらなきゃいけないのは律さんのコンサートよ。大人しく今は会場に戻りなさい」 「もう、いい。僕は絶対出ないから」 愛想を尽かしたかのように、会場とは逆方向へと歩いて行ってしまう藤咲の横を「尚弥、尚弥お願い戻って」と何度も呼んでついてくる母親。 「ついてくんなっ」 いつまでも縋りついてくる母親に痺れを切らしたのか、藤咲は周りが振り返る程の怒鳴り声をあげると怯んだ母親を気に止めることもせずに行ってしまった。 藤咲の声に怯んだ彼女は顔を両手で覆い泣き崩れる。とてもじゃないけど、マネージャーとして藤咲を説得できる状況じゃなかった。 大樹先輩も俯いては、ただ立ち尽くしているだけ。 このままではいけない……。 さっきの藤咲を見て自分も足が竦む。藤咲が怖いけど沢山のファン、少なからず藤咲のファンもいるはずのコンサートを不完全なものにさせるわけにいかない……。 なにより皆が律に失望させるようなことさせたくなかった。あんなに雑誌撮影までして取り上げられていた藤咲とのコラボ。 何万人もの人の期待を律が裏切ることになってしまう。恋人として、ファンとして律仁さんにそんな思いをさせたくなかった。 「あの……俺が尚弥くんと話してきます。先輩、必ず出演時間に間に合わせるって律仁さんに言っておいてくれますか。あと藤咲くんのマネージャーさんをお願いします」 今の藤咲をどうにかできるのは自分しかいないような気がした。 これは律仁さんの為でもあるけど自分が藤咲と向き合う為でもある。 渉太は拳を強く握り締めると、大樹先輩の反応も聞かずに一目散に藤咲が向かった方向に走り出した。

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