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ゆっくりと藤咲に近づいて見るが、気配を感じていないのか微動だにしない。
渉太は意を決して藤咲に声をかけようと名前を呼ぼうとした所で急に藤咲が笑い出した。
「ウケるだろ?僕のこと、ざまあだと思ったでしょ?」
楽しいから笑っているんじゃない。
悲しみを笑って誤魔化しているようにさえ見えて、渉太の胸を酷く痛ませた。
「いや……」
断片的だったが、藤咲と母親との会話を聞いてとても平穏な関係ないではなかったんだと汲み取れた。だからって『ざまあみろ』だとか藤咲を愚弄しようだなんて思わない。
「ざまあだって言えよ。僕は君に酷いことをしたんだから」
思った返事を寄越さない渉太に腹が立ったのか、藤咲は自分のすぐ目の前に立つと片手で両頬を掴んできた。
俺を恨んでるのか、心底嫌いなのだろうか。
渉太は藤咲の手首を掴んで、頬から引き剥がすと逃げないようにがっちりと掴む。
今にも震えてきっと藤咲に強く振り落とされたら離れてしまいそうだけど、ありったけの力を振り絞る。
自分は藤咲を探すためにここに来たのだからここで手放す訳にはいかなかった。
「言わないよ。あの時は俺も悪かったし……尚弥にも事情があったんだと思うから……」
決して逸らさずに藤咲だけを見据える。
そうしていると藤咲の表情が虚勢を張っていた猫のように次第に弱々しく萎んでいくのが判った。
「君のそういう所、腹立つ。恨んでるくせに」
「恨んでないよ」
「手震えてるけど?」
大丈夫だと言い聞かせても身体は正直なのか、藤咲に対する戦慄きは隠せなかった。
「恨むとかじゃなくて……しょ、正直こうやって尚弥の面と向き合うのが怖い……でも、このままにする訳にはいけないから」
「それは律のため?」
渉太は「律仁さんは俺にとって大切な人だから」と小さく頷くと、藤咲は大きなため息を漏らした。ここに来てこの言葉は地雷だと分かっていても、嘘じゃないから。
「だ、だけど、今は尚弥と話がしたいんだ。あの時表面上の君しか知らなかったし、知ろうとしなかった自分に後悔してるから……尚弥のことをちゃんと知りたい」
君があの時何を想って俺を突き放したのか、
あの二人でいた時間を藤咲は本当に嫌々過ごしていたのか聞きたい。
例え、自分が思った以上に藤咲が自分のことを嫌っていたとしてもそれをちゃんと受け止めたい。
藤咲は渉太の手を振り落とすと、背を向けてどこかへ行ってしまおうとしていた。
渉太は慌て呼び止めると暫くして藤咲は足を止めた。
「ついてくれば?」
藤咲は振り向いてきてはその一言だけ発すると先に行ってしまう。怒っているか、うんざりしているのか分からない。相変わらず俺に対して言葉数が少なくて、感情が読み取りにくい。
だけど、今まで拒まれていたのに話すことを許されたみたいで、渉太の期待は大きかった。
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