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慌ただしい御正月④

渉太は咄嗟に律仁さんの肩を押して離れると、少しだけ彼と距離をとった。抱き合っている所なんて見られてしまったら、彼との関係に説明がつかなくなる。  恋人と言って紹介するには、まだ心の準備ができていない段階で、いくら本人が一緒とは言え、易々と口に出来る事柄ではなかった。  近づいてくる足音を耳にしながら、彼のことをどう説明しようかと考える。  玄関へと顔を出した母親は、律仁さんのことを見止めるなり、怪訝そうな表情を浮かべていた。 「あら、どちら様?」 「初めまして。麻倉律仁と言います。急に押しかけてしまって申し訳ありません。渉太くんとは、東京で大変お世話になっている仲だったもので……。近くに来たついでに挨拶に来たんです。良かったら、ご家族でどうぞ……」  問うてくる母親に、律仁さんは素早く帽子を取ると胸元に当て、紳士的に深いお辞儀をする。挨拶した後に、先ほどから気になっていた紙袋を差し出していた。  向こうで有名な和菓子店の紙袋、近くに来たついでなんて言葉の綾ではあると思うが、こんな時でも心遣いを忘れない彼に唖然とする。 律仁さんの礼儀のある所作と手土産を受け取ったことによって先程まで険しい表情をしていた母親の顔が和らぐと、何かピンときたのか口元を抑えて「まあ‼」と驚く。 もしかして彼が芸能人であることがバレししまったのかと、冷や汗をかいたが、母親が驚いていたのはそこではなかった。 「もしかして、カニを送ってくださった方?渉太のお友達だったのね」 「と、友達というか……」 「渉太君の大学の先輩です。まぁ、簡単に言えばお友達みたいなものですけど」  言葉を詰まらせる渉太に変わって、律仁さんが淡々と話し始める。きっと、律仁さんは俺がまだ恋人と紹介できる勇気が持てていないことを察しているのであろう。彼に嘘を吐かせるのは申し訳ない気持ちでいたが、少しだけ安堵した。 「あら、そうなの?こんな手土産まで下さって、ごめんなさいね。渉太、向こうで迷惑かけてないかしら?良かったら家に上がって行ってくださいな」   母親は心なしか上機嫌で三和土横のスリッパラックから客用スリッパを律仁さんの足元に置くと、居間の方へと入っていった。 その理由がなんとなくわかるだけに、律仁さんの関係に嘘をつく後ろめたさはあったが、違う形とはいえ紹介できて良かったのかもと思い始める。 高校生の時はもちろん、大学に通い始めてからも塞ぎ込みがちだった渉太は、両親には交友関係のことは一切話していなかった。  両親は不登校の原因が対人関係だと知っているからこそ、心配している様子は実家に帰省するたびに感じてはいたが、安心させられるような生活を送っているわけではなかった渉太は適当に濁していた。  最近では単純に律仁さんのことを切り出す勇気がないのと、二十歳を超えて交友関係を両親に赤裸々に話す恥ずかしさも相まって黙っていたのだが……。  母の喜ぶ顔を見ての安堵と嘘の罪悪感で心の居所が分からなくなる。そんな気持ちを抱えて漠然としていると、頭を二回ほど優しく叩かれた。 「渉太、大丈夫だよ。ただ今日は渉太の家族に会いたいなって思って俺が押しかけただけだから、渉太が俺に申し訳ないって思う必要もないし、責任感じることないからね?俺たちのことは、すぐじゃ無くても渉太のタイミングでいいから。今日は先輩兼友達ってことでよろしくね」  急に蟹を送ってきたかと思えば、実家まで押しかけて、突拍子もないことをしてくる律仁さんだけど、ちゃんと俺の気持ちを汲んでくれている。  律仁さんの言葉に安心させられながらも、自分も家族と怖がらずに向き合えたらと思う。  律仁さんには数えきれないくらい沢山励ましてもらっているんだから恩返しをしたい……。

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