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慌ただしい御正月⑩
律仁さんは、何かを思い立ったのか「ちょっと待っててください……」と自分の足元に置いていた、小ぶりの革製の平たい鞄の中からⅭⅮを取り出すと、二人の目の前に机上の上をスライドさせるように差し出す。
見覚えのあるジャケット写真のⅭⅮを目にして、真っ先に律の十周年の節目に発売したアルバムであることに気がつく。
「本名は麻倉律仁なんですけど……僕、普段は浅倉律という名前で芸能活動してて……。主にⅭⅮを出したりとかアイドル活動が中心なんですけど、最近は俳優活動もしてます」
両親の様子を伺うように私情について話す律仁さんの傍らで、母は話を聞きながらジャケットを手に取ると本人とジャケット写真とを交互に眺めていた。
「あら、この方って|梨渉《りほ》と渉太が好きな方じゃない?ほら、渉太の部屋にこの方の団扇、飾ってあったじゃない?」
しばらく律の写真を眺めて気づいたのは母親の方だった。
娘息子の好きなものの全てを把握していなくても、実家に住んでいた頃は部屋の掃除で母親が自室に入ってくることがあった。
渉太自身、コンサートに行くことはなかったとはいえ、推し活に活発的な姉に頼んでグッズを買って来てもらうことがあり、部屋に飾っていた。
今は飾るものは全て自宅のベッド下に眠らせているので、実家の自室は勉強机とベッドだけの殺風景な部屋になっているが……。
なぜか一枚だけ壁にポスターが飾られたままなのでどちらにせよ、絶対に律仁さんを自室にはあげられない。
今だって律仁さんが家に来る度、雑誌の表紙は背表紙に直したり、飾る系のものは棚の奥へ隠していたりする。
今更だとはいえ、本人を前にしての恥ずかしさには抗えない。
渉太は唐突の母親の問いに、ドキッとしていると、律仁さんに小声で「そうなの?」と問われて、左右に顔を振ったが、「後で渉太の部屋見てみたいな―」と心なしか含み笑いをして耳打ちをされたことから、完全にこれは後の揶揄コースだと察した。
そんな二人を余所に、母親は口元を抑えて、驚いた表情をみせながら、更に大きな声を上げる。
「あら、まあ‼どうしましょっ、こんな大したおもてなしできなくて……渉太がまさか芸能人のお友達を連れてくるなんて思わないじゃない?梨渉も二階にいるのよ。呼んでくるわね。こうしちゃいられないわっ。今日はお寿司とならきゃ……‼梨渉に行かせるわっ」
渉太と姉の梨渉がファンであったことで、律仁さんを芸能人だと認識した母親は、慌てた様に椅子から立ち上がった。
そんな慌ただしい母親を落ち着かせようと「ちょっと、母さん……落ち着いて‼」と呼び止める渉太の声など一切耳に入っていないのか、リビングから出ると二階の階段を駆けあがっていく足音がした。
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