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第2話

 一週間の引き継ぎの後、この日からリチャードは新部署へ異動となった。本来であれば左遷も同然だったが、正直彼はあの上司の下ではもう働けない、と警察の職を辞する覚悟すらしていたので、気楽なものだった。  見慣れた風景が目の前を流れていく。  気付けば間もなく自分が降りるバス停だった。降車を知らせるボタンを押し、階段を降りる。バスは青信号を通り過ぎ、所定のバス停で静かに停車した。  リチャードはバスを下車すると、スコットランドヤードと書かれた、回転する銀色の看板が前に立っているビルの中に入る。ここが勤務先であるロンドン警視庁だった。  エントランスホールを抜け、IDカードをかざしてゲートを通過し、ドアが閉まりかけたリフトに乗り込む。すでに数人のスタッフが乗っていたが、満員という訳ではない。彼は五階のボタンを押しそうになって、慌てて三階のボタンを押しなおす。押す直前に今日から彼は三階のフロアにある部署勤務だったのを思い出したのだ。  リフトが三階に到着し、扉が開く。ここで降りたのはリチャード一人だけだった。  がらん、とした廊下に違和感を感じる。  以前自分が配属されていた特別犯罪捜査部は、常に多忙で活気に溢れていた。それに比べると同じロンドン警視庁内の筈なのに、この静けさは一体何なのだろう? 誰もいないのだろうか? と不安になる。  リチャードは、廊下の端にある入り口から光りが漏れているのを見つけ、そこへ向かった。壁のサインボードにはAACU(Antiques and Arts Crime Unit/アンティーク&美術犯罪捜査部)と書かれている。間違いない、今日からリチャードが配属されたのはここである。リチャードは入り口をノックしたが誰も出ないので、勝手に入った。そもそも彼は今日からここの人間なのだから、ノックする必要もなかったのだが。  広めのフロアに規則正しく十席ほどのデスクが並べられている。全てのデスクの上にコンピューターが置かれていた。だがそのコンピューターは電源が全て落とされていて、誰も使っている様子がない。驚いたことに、このフロアには誰もスタッフがいなかった。  部屋に入って左側に個室がある。窓はブラインドが下がっているが、隙間から光が漏れてた。どうやら誰か中にいるらしい。  リチャードは部屋の前まで歩いて行くと、ドアをノックする。 「入れ」  中から声がしたのでドアを開けてリチャードは中に入った。  個室の中には大型のデスクが一台置かれ、コンピューターの向こう側に五十代とおぼしき男性が座っていた。白いものが目立つようになった黒髪を丁寧に撫で付け、痩せた顔に鋭い目付きがどこか鷲を思わせる。背はそれほど高くはないが、痩身で濃紺のスーツを上品に着こなしていた。何となく自分と同じような雰囲気を感じて、リチャードの緊張感が緩んだ。 「本日より配属になりました、リチャード・ジョーンズ警部補です」 「きみがリチャードか。きみの元上司、クロスビー警部からは色々聞いているよ。まあ気楽によろしく頼む」 「は、はい」  いきなり気楽に、と言われリチャードは驚いた。だがそう言われても仕方がないような部署であることも確かだ。  元の配属先だった特別犯罪捜査部がロンドン警視庁内での花形だとすれば、新たな配属先であるAACUは壁の花、とでも言うべき部署であった。  そもそもAACUは五年ほど前、現在のロンドン警視庁の警視総監が新しく就任した際に彼の肝入りで作られた部署であった。  英国、特にロンドンは美術品、アンティークの宝庫であり、世界的にも有名な美術館、ギャラリー、オークションハウスが集まっている。そのためそれらに関した犯罪も年間数多く起きており、これまではロンドン警視庁内の様々な部署がその時々に担当していたが、横の連携が上手くいかないことや、専門知識の欠如のために、捜査の効率化が求められていた。そこで新警視総監が、全てのアート関連の事件を集中して扱う部署を新たに設けたのである。  だがそこに一つ問題があった。  アンティークやアートというものは、犯罪とは通常無縁のものである。犯罪捜査のプロとして鍛えられてきた警察官とアートはかけ離れすぎていて、誰もこの部署に行きたがらなかったのだ。なんとか数人を、半ばボランティアのような形でかき集めてきて発足した新部署であったが、ロンドン警視庁内ではすでにお荷物扱い、または左遷部署のように言われていた。  そんなところへリチャードは配属されたのだ。 「私はきみの新しい上司になるアンディ・スペンサー警部だ。お手柔らかに頼むよ」  スペンサーは立ち上がると右手を差し出した。リチャードは慌ててその手を握り返し「よろしくお願いします」と言う。 「ところで……フロアに誰もいなかったのですが」  リチャードは疑問を口にした。いくら左遷部署扱いであっても、スタッフがいない訳がない。 「ああ、実は今朝事件が起ってね、三人いるスタッフは全員そちらの現場に向かった。とにかくここはいつも人手が足りなくてね。……誰も来たがらないから」  そう言うとスペンサーは、口元に諦めの笑みらしきものを浮かべる。 「きみには期待しているよ、リチャード」 「あ、はい」 「さっそくきみの初仕事だが、実は特別犯罪捜査部と合同捜査になったんだ」 「え?」

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