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第8話
「少し待ってくれる? 店番頼まないといけないから」
そう言ってレイは席を外す。デスクの向こう側にドアがあった。どうやら奥がバックオフィスになっているようだ。ドアを開け部屋へ入って行くと、誰かと話す声が聞こえてきた。ものの数分でレイが出てくると、後ろから若い男性が一緒に出てくる。年の頃は二十代後半くらいだろうか、背が高く、少し長めのブルネットの髪と、黒縁の眼鏡の奥の青い瞳が知的に見えた。ツイードのジャケットの下は白いTシャツ、ボトムスはブルージーンズと、いかにもアート関係の仕事をしているといった雰囲気を漂わせている。
「アシスタントディレクターを勤めています、ローリー・メイヤーです」
彼はスマートな身のこなしで、リチャードに手を差し出す。
「リチャード・ジョーンズ警部補です」とリチャードも自己紹介して手を握り返した。
「レイは普段、絶対に警察関係の人間に僕を会わせたりしないんですよ」
ローリーはそう言って笑った。ふんわりとした、見る相手の気持ちを和らげるような優しい笑顔だった。
「あなた、あんまり警察官ぽくないですね」
リチャードを見てローリーは言った。
「そうですか?」
「なるほど、だからなのかな?」
そう言ってローリーは振り返ってレイを見る。
「いつもの警察官よりは、ちょっとましなぐらいだよ」
レイは不機嫌な表情でそう言う。
「え? それはどういう意味……」
「リチャードさん、あまりレイの言葉を本気で受け取らないでください」
「でも……」
「彼なりの褒め言葉ですから」
「余計なこと言わないでよ」
レイがきつい調子で窘めると、ローリーは「本当のことだろう?」と慣れた調子で言い返す。
「だから僕が警察関係の方に会うのは、これが初めてなんですよ。こんなに珍しいことってないな。あなたレイに気に入られてますよ、良かったですね」
「あ、はい……」
リチャードはなんと答えたら良いのか分からず、間の抜けた返答をした。ローリーはレイの冷たい視線を物ともせずに話を続ける。
「レイはこんな感じですけど、とってもいい子ですから大切に扱って下さい。今までの警察の方はあまりにもぞんざい過ぎて、繊細な彼を傷つけることしかしませんでした。彼の美術やアンティークに関する知識は、本当に素晴らしいんですよ。絶対にあなた方のお役に立つ筈です。ただし、あなた方の気持ちの持ちようでプラスにもなれば、逆にマイナスにもなります。だから僕はあなたに期待してるんですよ。レイはあなたの中に他の人にはないものを見つけたようだ」
「ローリーおしゃべりし過ぎ」
「レイ、いいじゃないか。警察の人と話せるなんて、こんな機会はもうないかもしれないんだよ?」
「もう二度とないよ」
レイは腕組みをしてローリーを睨み付ける。
「きみは相変わらず僕に冷たいね。いつもこんなにきみのことを想ってるのに」
「そういう勘違いを生むような発言止めて。そこで固まってる人いるから」
ローリーがレイの言葉を聞いて、初めて気付いたようにリチャードを見る。リチャードはどうしていいのか分からない、といった曖昧な表情で呆然と立ちすくんでいた。
「あ、あの……」
「リチャードさん、気にしないで下さい。いつものことですから」
はは、とローリーは笑った。リチャードはどう返答していいのか分からず、ローリーの顔を見ながら無理矢理愛想笑いでごまかす。
「ねえ、行くなら早く行かないといけないんじゃないの?」
「そうですね。すみません、では現場まで同行お願いします」
リチャードはレイに言われて、一瞬で警察官の顔に戻る。すっかり彼らのペースに乗せられて忘れていたが、殺人事件の捜査中なのだ。あまり余計なことに時間を費やしている訳にはいかなかった。レイを連れて出来るだけ早く、現場であるハインズフィールドへ向かわなければならない。
「それじゃ、ローリー留守番よろしく」
「ごゆっくり」
ひらひらと手を振るローリーを見てレイは「遊びに行くんじゃないっての」と捨て台詞を残すと、椅子の後ろに掛けられていたモスグリーンのジャケットを掴んで、リチャードの後ろに続いて表に出た。
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