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第9話
リチャードはギャラリーを出てきたレイの方を向いて尋ねる。
「あの、良かったんですか?」
「は? 何が?」
「いや、別にいいんですけど」
「ああ、ローリーのこと気にしてるの? 平気、平気。あの人いつもあんな感じだから。心配しなくても留守番ちゃんと出来るよ」
リチャードは助手席のドアをレイのために開け、自分も運転手席へ乗り込んだ。
「ローリーさんとは、どういうご関係なんですか?」
リチャードはたまらずに尋ねてしまう。別に詮索するつもりはなかったが、どうにも聞かずにはいられないような状況だった。
「何それ? 警察官として聞いてるの? それとも個人的な興味?」
案の定、面白くなさそうな顔でレイが答える。リチャードは失敗したか、と内心舌打ちする。どう考えてもレイは自分のことを、あれこれ探られるのが好きなタイプではない。これでヘソでも曲げられて「やっぱり行かない」と言われたら困る。そうなる前に、とリチャードはエンジンをかけ、後方を確認すると急いで車を出した。
「いえ、いいんです。答えたくなければ。……単に私の個人的な興味ですから」
「ふうん、ローリーに興味あるんだ」
「え? いえ、あの、別にそういうことでは……」
一瞬運転から気が逸れ、リチャードの手元がおろそかになる。車が左右に揺れ、反対車線に車がはみ出す。レイは驚いて口元を抑え、小さく叫び声を上げた。幸い対向車が来ておらず、慌てて車を元の車線に戻すと、リチャードはホッとした。警察官が警視総監の甥を同乗させて事故っていたら洒落にならない。
「ちょ、ちょっとちゃんと運転してよね!」
レイの責めるような声に「……すみません」とリチャードは謝る。
「ローリーと僕はただの雇用関係しかないよ。僕が雇い主で彼は雇われアシスタントディレクター」
「そう……ですか」
「それにしては親密すぎる? 僕と彼がそういう関係だと思った訳? もしそうなら、警視総監の甥のくせにふしだらだと思った?」
矢継ぎ早にレイは言った。その声は今まで以上にいらついているように聞こえた。
「いえ、違います、そういうことでは……」
「じゃあどういうこと?」
「……笑わないで下さいよ? お二人を見ていたら面白いな、って思ったんですよ」
リチャードは素直に自分が感じたままの感想を述べた。事実彼らのペースに乗せられっぱなしだったリチャードは、今までに会ったことがないタイプの人種に驚いていたが、同時に面白味も感じていた。
「はあ?」
レイは思い切り間の抜けた返答をして、運転に集中するリチャードの横顔を見つめる。まさかそんな答えが返ってくるとは思っていなかったのだ。リチャードはレイが自分を見ているのに気付いていたが、先ほどのような失態をおかす訳にはいかない。きまりの悪い顔をして、正面を向いたまま言葉を続けた。
「今まで私の周りには、いなかったタイプなんですよ。アートの世界では珍しくないんですか? あなた方みたいな人たちって」
「……そんな風に言われたの初めて。僕にしてみたらリチャードの方が、よっぽど面白いと思うんだけど」
「どうしてですか? 私なんて真面目一辺倒で、面白味なんてどこにもないと思いますけど」
「そう? じゃあ、きっとこれから面白くなるよ」
「そうですか?」
「だって僕の相手しなくちゃいけないんだからね。面白くならなかったら、僕が叔父さんに密告するし」
「え? それは勘弁してくださいよ」
「ほらね、面白くなってきたでしょ?」
ふふ、と意地の悪い笑みをレイは浮かべて言った。リチャードは厄介なことになりそうだな、と思った。
「リチャードってさ、本当はすごく優秀な警察官なんだよね?」
「どうしてそう思うんですか?」
「だって、挨拶した時に警部補って言ったでしょ? まだ若そうなのに警部補なんて、大した出世頭じゃない。リチャード何歳なの?」
「二十八歳です」
「ふうん、僕と四歳しか違わないんだ。……やっぱりそうだよ、二十八歳で警部補まで昇進したなんて優秀な証だよ。なるほどね、叔父さんがどうしてリチャードを僕のところに寄越したのか分かった」
「違いますよ。買い被らないで下さい。私は前部署で失態をやらかしたので、左遷されたんです」
「失態? どんな?」
「上司と喧嘩したんですよ」
リチャードは思い出して苦い気持ちになる。多分、あのことがなければ今頃はチームの一員として、事件現場で現場検証に立ち会い忙しく働いている頃だろう。
決して自分の決断を後悔するつもりはなかったが、それでもやはり心のどこかに寂しさが残る。
「上司と喧嘩したくらいで左遷されるの?」
「されたんですよ。実際」
「本当にそうかな」
「どういう意味ですか?」
「僕のところに送られるために左遷されたのかもよ?」
「それは……いえ、私には意味が分かりません」
「まあ別にいいんじゃないの。深く考える必要はないよ。リチャードは事件が解決すれば、それでいいんでしょ?」
リチャードは正面を向いたままだったが、何となくレイが意地悪そうな笑みを浮かべて自分を見ているのが想像できた。
――レイのところへ送られるために自分が部署異動された? どういうことだ?
リチャードにはレイが言ったことの意味が、まったく分からなかった。
「リチャード、くだらないこと考えてる暇あったら、事件のこと考えた方がいいよ」
まるで心の中を見透かされたような気がして、リチャードはどきり、とする。
「僕がわざわざ呼ばれたのは、絵を確認して欲しいからだけじゃないんでしょ? 他にまだ何か言うべきことがあるんじゃないの?」
「ええ。遺体が発見された現場には、一面に薔薇が撒き散らしてあったそうです。つまり『薔薇の宴』を再現してあったんです」
「ああ……そうだったんだ」
レイは考え込むように黙り込んだ。リチャードは彼の思考を邪魔しないように、黙ったまま運転に集中した。
ハインズフィールドへは、テムズ川を南へ渡ってA道路と呼ばれる幹線道路をひたすら真っ直ぐ行くだけだ。
リチャードにとってみれば、迷路のようなロンドン市内を運転するよりもずっと簡単な道行きの筈だったが、同乗者のことを考えると気楽な訳にもいかなかった。
テムズ川を越え、しばらく行くとロンドン市内を抜ける。密集した建物ばかりだった周囲の風景が突然緑色に変わった。街路樹が増え、建物もフラットと呼ばれる集合住宅から、セミデタッチドハウスと呼ばれる二軒の家が一棟になっている英国独特の家屋や、デタッチドハウスという一軒家が道沿いに増えてくる。家の周囲は緑で覆われ、家の前庭は綺麗に手入れされて、これからの季節は色とりどりの花々が咲くのであろう。
この辺りは中流以上の収入がある人々が好んで住む地域である。
間もなく目的地のハインズフィールドだった。
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