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第11話

 リチャードがAACUへの異動を頑なに拒むことがなかったのは、セーラがいたからだった。彼女と仕事が出来るのなら、それもいいだろう、と思ったのだ。リチャードはヘンドン時代の希望を胸に過ごしていた日々を思い出して、甘酸っぱい気持ちにすらなっていた。 「そうか……なかなか同じ署内で働いてても、部署が違うと勤務体系が違うし会いにくいよな」 「まあ、後でゆっくりキャッチアップするさ。ところで事件の方はどうなってるんだ?」 「今のところ、まだあまり詳しいことは分かっていないんだ。大まかな概略はスペンサー警部から聞いているんだろう?」 「ああ。でも本当に大まかな部分だけだから、現場を見ながら一度説明を受けたいんだけど」 「もちろんだよ。ところでAACUのお仲間に挨拶はしておかなくていいのか?」  ハワードはそう言うと、部屋の奥に向かって顎をしゃくった。 「そうだな、先に挨拶を済ませておくか」  リチャードは、部屋の奥にあるソファに座って、ローテーブルの上の書類を見ながら打ち合わせをしている男性二人組に近づいた。 「今日から配属になりましたリチャード・ジョーンズ警部補です。よろしく」  二人組は話を途中で止めると、顔を上げてリチャードを見た。一人は50代前半くらいの神経質そうな顔をした男性で、茶色の短い髪の毛に銀縁の眼鏡をかけ、警察官と言うよりも大学教授と言った方がいいような風貌だ。そしてもう一人は20代前半のまだ若々しい男性で、赤毛とそばかすが目立つどこか少年然としたところがある警察官だった。  赤毛の警察官はリチャードの挨拶を聞くと、ソファからすぐに立ち上がり「パトリック・ブラウンです。よろしくお願いします」とこちらが驚くような大きな声で挨拶した。 「私はクライブ・ジョンソン巡査です。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」  銀縁眼鏡の警察官も遅れて立ち上がると、リチャードに挨拶をした。 「ホプキンス巡査部長は署に戻ったと聞きましたが」 「はい、被害者の妻と息子を伴って、事情聴取のために一度戻りました。我々は現場検証の立ち会いが終わりましたので、これから署へ戻ろうと思っていたところです。スペンサー警部から、ジョーンズ警部補がコンサルタントとこちらに来ると連絡がありましたので、到着されるまで待機していました」  クライブ・ジョンソン巡査が二人を代表して、リチャードの問いに答える。 「そうでしたか、それはお待たせしてすみませんでした。事件現場での説明はフォークナー巡査部長にお願いできますので、お二人は署に戻ってもらって構いません」 「了解しました。それでは」  そう言うと、ローテーブルの上に広げていた書類を手早くまとめ、クライブはパトリックを従えて部屋を出て行った。 「なんだ、愛想のない部下だなあ」  気付くとハワードがリチャードの後ろに立っていた。 「愛想のあるなしより、俺は仕事の出来不出来を気にするよ」 「それを言っちゃお終いでしょ」 「そうだよ。あの年でいまだに平の巡査なんだから、推して計るべし、なんじゃないの?」  レイがいつの間にか二人の横に立っており、不機嫌そうな表情でそう言った。 「おたくのコンサルタント、随分きついこと言うね」  ハワードがこっそりとリチャードの耳元で言う。 「聞こえてます」  レイがハワードを睨み付けながら言う。ハワードは顔を引きつらせて「すいません」と謝った。 「あの、レイ何かあったんですか?」  リチャードがレイの様子を気にして尋ねた。その問いに、レイはふて腐れたような顔で答える。 「あの人、リチャードの前の連絡係だったんだ」 「え?」 「クライブ・ジョンソン巡査はリチャードが配属されるまで、ずっとAACUの連絡係として僕のギャラリーに来てたんだ」 「ああ……」  リチャードは、レイがギャラリーで話していたことを思い出した。  レイは警察官から命令口調で指図されるのを嫌がっていた。そしてそういう態度を取る人間がいるのだ、と言っていたではないか。それが彼、ジョンソン巡査だったのだ。 「僕がこの部屋にいるの見て知ってたくせに、挨拶すらしないで出てっただろ? そういう人なんだよ」  リチャードは何も言えなかった。  確かに警察官の中には、民間人をあからさまに見下すような態度の人間も少なくない。ジョンソン巡査もきっとそんな一人なのだろう。 「こんな可愛い子ちゃんに挨拶もせずに帰るなんて、リチャードの部下は見る目がないよなあ。え? そうじゃないか?」 「可愛い子ちゃん、って呼ぶの止めて下さい。僕の名前はレイモンドです」 「ごめん、ごめん。つい可愛い子を見るとそう言いたくなっちゃうんだよ」  ハワードの言葉に、レイは思い切り不満そうな顔を向けた。 「リチャードはいいなあ、こんな可愛い子と一緒に仕事出来るんだから。俺なんてむさ苦しいおっさんとしか普段仕事してないんだぜ。今回の事件担当出来て良かったよ。俺ラッキーだよな」  レイがそばで顰め面をしていたが、お構いなしにハワードは続ける。リチャードはレイの反応が気になって、内心穏やかではなかった。レイが腹を立てて、ギャラリーに戻る、と言い出すのではないかと恐れていたのだ。だがここまで来たからには仕方がない、と半分諦めの気持ちがあるのか、レイはそっぽを向いたまま腕を組んで黙っていた。 「ハワード、無駄話をしていないで、そろそろ現場での説明をお願いしたいんだが」  リチャードがそう言うと、仕事モードにスイッチが入ったようで、ハワードがジーンズのバックポケットからメモを取り出す。

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