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第19話
支払いまで終えてテーブルに戻ると、リチャードはレイの前に水のボトルとグラスを置いた。そして自分用に注文したライム&ソーダを一口呷ると「疲れましたか?」と尋ねた。
「別に……それより、リチャードは現場を見てどう思った?」
「そうですね、まだはっきりと断言は出来ませんが『薔薇の宴』を再現しようとしたのではないか、という疑いは持てますね。それが誰の手によるものかは分かりませんが」
「それは僕も同感。本人がやったのか、加害者がしたのかは分からないけど」
「本人がやりたくてやったことなら分かりますが、加害者がしたとして、あの場面を再現するのに一体どんな意味があったのでしょう?」
「自分の存在をあの家の誰かにアピールするため、とか」
「だとすれば、いずれの使用人も分かっていなかったようですから、妻か息子へのメッセージだった可能性はありますね」
「もしくは使用人のうちの誰かは分かっていても黙ってる、か。気付いても僕たちには打ち明けていない可能性だってあるよ」
「確かに最初から正直に警察に話をしない人も多いですから」
「他にも可能性は幾らだって考えつくよ。例えば……」
「何らかの隠蔽工作、ですか?」
「さすがリチャード、話が早いね」
「あの薔薇で何かを隠した、ということですね。であれば、あの薔薇の花を取り去った後の床に、何か犯人を指し示すものが落ちている、と言うことでしょうか」
「ねえ、リチャード何かつけてる?」
そう言って、突然レイはリチャードの胸元辺りに顔を近づける。リチャードは思わず身を引いた。
「何で逃げるの?」
「いえ、その……突然だったもので。つけてるって、香水の事ですか?」
「うん」
「いえ、私は特に香水はつけていませんが、アフターシェイブローションの匂いでしょうか?」
そう言ってリチャードは口元に手を遣る。レイはそんなリチャードの口元を嗅ごうと、顔を近づけた。レイの伏せられた目元がリチャードの視界いっぱいに入り込んでくる。
――なんて長い睫……
男のリチャードでも思わずどきり、とするような色気がある。フィリップ・アンダーソンがレイを抱きたがった気持ちが分からなくもないかも、と一瞬彼は思った。
「うん、そうだね。リチャードの香りはこれだね」
「レイは香水をつけているんですか?」
「パーティに行く時なんかにお洒落でつけることはあるけど、普段はしないかな。今気付いたんだけど、あの部屋匂いが違ったんだ」
「匂い、ですか? 現場の?」
「あの部屋の匂いは明らかに温室のそれとは違ってた。ハワードにあの現場の床をもう一度鑑識にチェックさせるように言ってくれる?」
「床をチェックですか?」
「そう。リチャードは気付かなかったの?」
「そう言われてみれば、温室に行った時に何かが違う、と私も思ったんですけど……」
「現場の匂いは確かに薔薇の香りではあったけれど、もっと科学的な香りが混じっていたんだ。多分床をチェックしたら香水の類いが検出されると思う。それを調べて欲しい」
「香水……分かりました。丁度後発の鑑識チームが到着した頃だと思うので、ハワードに連絡しておきます」
そう言ってリチャードは携帯を手に立ち上がり、パブの外に出た。他人に聞かれたくない会話である。特に殺人事件の捜査の話を、パブの中にいる人間に聞かれるのはまずい。リチャードは外に出ると周囲に人がいないのを確認して登録ボタンを押し、ハワードを呼び出す。
「ハイ、リチャード。どうした?」
ワンコールですぐにハワードが電話に出る。もしかすると、たった今まで誰かと通話していたのかもしれない。
「鑑識チームに現場の床をもう一度チェックして貰いたい。多分香水の類いが床に撒かれている筈だから、種類を特定して欲しいんだ」
「香水?」
「ああ。あの現場の匂いは薔薇の花だけの香りじゃなかったんだ」
「ふうん、リチャードそれに気付いた訳?」
電話の向こうのハワードの声のトーンが少し変わる。
「いや、レイが気付いた」
「なるほどね…オーケー、分かった。さっき後発のチームが到着したところだから、早速調べて貰うよ」
「サンキュ、助かるよ」
「結果が分かったら連絡する」
そう言うと電話は切れた。そろそろ頼んでいた食事が出されているかもしれない。リチャードは急いで席へ戻る。
彼が思った通り、テーブルの上にはすでに食事が運ばれてきていた。レイの目の前にも食事は置かれていたのに、彼は手をつけることなく携帯をチェックしている。
「先に食べていてくれて良かったんですよ?」
「ううん、今来たところだから」
リチャードが席に座るのを見て、レイは携帯をテーブルの上に伏せて置いた。
「ハワードに調べるように頼みました。どこの香水なのか、銘柄まで分かるのには少し時間がかかると思いますが」
「ふふ、さすがリチャードだね。言わなくてもちゃんと分かってる」
レイはみなまで言わずとも、リチャードがきちんと指示を出した事に対して、満足気な表情を浮かべた。
「もしも香水が撒かれていたとして、それが今回の事件とどう繋がるのでしょう?」
「わかんない。でも何らかの手がかりにはなるんじゃない?」
レイはそう言って、ぱくぱくと美味しそうにスカンピを口に運んで食べる。リチャードは、自分の目の前に置かれたステーキにナイフを入れる。
「昼間から随分食べるんだね」
「すみません、お腹すいちゃって……」
リチャードが頼んだのは、ステーキ&チップスと呼ばれる英国では定番のメニューだった。その名の通り、牛肉のステーキにチップス、油で揚げてあるスライスされたじゃが芋が添えてあるものだ。
「ううん、別にいいんじゃない。僕がっつり食べる人って好きだよ」
「?」
リチャードは一瞬戸惑ってレイの顔を見たが、レイは何も気にした様子はなく、食事を続けていた。
――俺、彼にからかわれてる?
リチャードは目の前のレイを見つめる。相変わらず天使のような顔をしている彼を見ながら、リチャードは密かに、小悪魔め、と思った。
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