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第25話
「リチャード、ドロシーさんに前妻について尋ねてきたわ」
セーラはレイの声に気付かなかったようで、話を続けた。
「前妻の名前はロザリンド・アンダーソン。フィリップが地方の大学を卒業して、この家に戻ってきた翌年に結婚。その2年後に病気で亡くなっているわ。彼女は普段家族からはローズと呼ばれていたんですって」
――また薔薇、なのか。
リチャードはローレンスが聞いた、フィリップの『偶然というのは恐ろしい』という言葉を思い出していた。
「ローズが病気で亡くなった当時は、まだフィリップの両親は生きていて、落胆する彼を支えていたそうよ。一時は家に引きこもって一歩も外に出なかった時期もあったみたい。それだけ彼は妻を深く愛していたようね。とても美しい人だったそうよ。写真が残っていないか尋ねたのだけれど、多分彼の部屋か図書室にはあるんじゃないか、って。リチャード、欲しい?」
「いや、今のところは特に必要はないんじゃないかな」
「僕、その写真見たいな。手に入れて貰える?」
レイはセーラにそう言った。突然話しかけられてセーラは驚いた顔をしたが「分かりました。後でフランクさんに頼んでおくわ」と答え、話を続ける。
「ローズは近隣の裕福な家の娘だったようね。彼女の両親が次々に亡くなって、独りぼっちになったところを、気の毒に思ったフィリップの両親が嫁に迎えようと決めたみたい。フィリップは最初から賛成だったんですって。彼は彼女と同じ小学校で、元々お互い顔見知りだったそうよ」
「幼い頃のスイートハートだったという訳か」
「でも彼女が亡くなったのは、もう40年以上前のことよ。今回の事件には何も関係はないんじゃないかしら」
「関係あるかないかは、この先捜査を進めていけば分かるさ」
「それから、フィリップの美術品の収集癖はローズが亡くなって、しばらくしてから始まったそうよ。元々はローズの父親が美術品の収集をしていて、結婚を期に譲り受けたんですって。フィリップは当初、美術品には興味がなかったらしいんだけど、ローズが亡くなった後、立ち直るきっかけになったのが、美術品収集だったみたいね。彼にしてみれば、亡くなったローズへの追悼のために集め出したということもあったみたい」
「何かしら夢中になれるものが、彼には必要だったということか……」
「そうかもしれないわね。とりあえず、今のところ分かっているのはこんなところかしら。ところでドロシーさんがお昼にサンドイッチはどうですか? って誘ってくれたけど、どうする?」
「ああ、それはいいね。もうとっくにランチタイム過ぎてるし、お腹が空いてたまらないよ。レイはどうしますか?」
「僕も頂く」
レイは相変わらず無愛想なままそう言った。その様子を見て、セーラがリチャードの耳元で尋ねる。
「ねえ、私なんかした?」
「いや、彼はいつもあんな感じだよ」
「何二人でこそこそ話してるの、早くランチ食べに行こうよ」
レイは立ち上がるとさっさと部屋を出た。
「やっぱり私、何か気に障ることしたんじゃないかしら」
「そうかな……?」
「リチャード意外とそういうところ鈍感よね」
セーラはそう言い残すとドアを開けた。リチャードは納得いかなかったが、何も言わずに後に続いた。
キッチンに入ると、すでにレイは用意されていたサンドイッチをつまんでいた。カウンターの上には、三人分の紅茶が入ったマグと、サンドイッチが盛られた皿が置かれている。そこにドロシーの姿はなかった。
「あら、ドロシーさんいないのね」
「ごゆっくり、って言って、どこかに行っちゃったよ」
「他の仕事があって、忙しいんじゃないのか?」
「そうね」
用意されたサンドイッチは、ハムとチーズにサンドイッチピクルスと呼ばれる茶色のチャツネソースが挟まったものだった。英国ではプラウマンズランチ(農夫のランチ)と呼ばれる定番のサンドイッチの具材だ。
「そう言えば、特別犯罪捜査部のスタッフは全然屋敷に来てないな」
リチャードはマグの紅茶を一口飲むと、ふと気付いたように言う。
「彼らなら、フィリップのビジネス関係を捜査してるみたいよ。彼は投資会社の顧問を勤めていたんだけど、半年前にその会社が詐欺で訴えられてね。よくある先物取引の違法販売ってやつよ。元々その会社はフィリップの父親が作ったらしいんだけど、父親が亡くなった際にビジネスパートナーに売却して、自分は顧問に収まったらしいの。その時の株式の売却益で、一生食べていけるだけのお金は手に入れたらしいわ。つまり彼は働く必要がなくて悠々自適だったって訳。それに加えて顧問料が毎月入るから、それでかなり裕福な生活を送れていたようね。彼自身はビジネスには一切タッチしていなかったそうだけど、普通はそこまでは知らないから、恨みを持った詐欺事件の被害者が彼を襲った可能性があると特捜は考えてるみたい。確かに動機としては強いと思うわ。今頃数百人いる詐欺事件の被害者リストをスタッフ総出で洗ってるところじゃない?」
セーラは話を終えると、サンドイッチを皿から取って美味しそうに食べ始める。
その様子を見ながら、レイがリチャードに話しかけた。
「リチャード、例の香水の件はハワードから連絡あった?」
「いえ、そう言えばまだ何も。後で聞いてみます」
「香水?」
セーラが気になったようで口を挟む。
「ああ、レイがダイニングホールの殺人現場に、香水が撒かれていたんじゃないかって。それで鑑識に調査を依頼してあるんだ」
「そうだったの。レイモンドくん、鼻がいいのね」
「そうでもないですよ」
素っ気なく言って、レイはサンドイッチを食べ続ける。あくまでもレイはセーラに馴染まないつもりらしい。セーラは大して気にする様子を見せなかった。彼女にしてみれば、着任して以来一度も実際に会ったことがなかったのだ。今更突然仲良くやりましょう、と言うのも何か違う、と思っているのかもしれない。
「リチャード、この後は署に戻るの?」
「そのつもりだけど、その前にレイをギャラリーに送ってから行くよ」
「そう、分かったわ。じゃ先に戻ってるわね」
手早く食事を終えると、三人はキッチンを出る。ドロシーの姿は見えなかった。その代わり、執事のフランクが丁度ダイニングホールから出てくるところだった。
「皆さん、お帰りですか?」
「はい。今日のところはこれで。ドロシーさんのお姿が見えないようですが」
「さあ、自室にでもいるんじゃないでしょうか」
「そうですか、ランチありがとうございました、と伝えて下さい」
リチャードの言葉にフランクは頷いた。レイはすでにドアから外へ出ている。リチャードは慌てて後を追った。その後ろで、セーラはフランクと立ち話をしている。多分先ほどの話に出た前妻の写真を探し出すように、依頼しているのだろう。
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