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第28話
「それは……」
セーラの言葉で、リチャードの脳裏に最初に出会った時のレイモンドの面影が蘇る。真っ白なギャラリーの中、差し込む金色の光の中にいた天使。あの時、リチャードは彼を綺麗だ、と思った。見た瞬間に胸を突然鷲づかみにされたような、そんな気がした。
あれを一目惚れ、と言うのだろうか、とリチャードは思った。
その後、レイと行動を共にして少しずつ彼のことを知るにつれ、惹かれていったのは確かだ。だが自分では、それと恋愛の感情は別物だと思っていた。リチャードは男性に対して恋愛感情を抱いたことは、今まで一度も無い。だから、それがどういう感情なのか、自分自身でも理解することが出来なかった。
――出会ってからたったの2日間なのに?
あの日、初めてリチャードがギャラリーに足を運んだ日、レイモンドはすでにリチャードのことを5年も前から知っていたが、リチャードが彼を知ったのは、その時が初めてだったのだ。それなのに、急にどういう感情で彼を思っているのか、なんて訊かれたって答えようがないのだ。
「リチャード、突然訊かれたって答えられない、っていうのは分かるわ。でもあなただって、思い当たる節はあったんじゃないの?」
「どうして、そう思う?」
「あのね、一体私が何年リチャードと付き合いがあると思ってるの? そりゃここ数年はご無沙汰だったけど、一緒に警察学校で机並べた仲なのよ? リチャードみたいな真面目人間が、何の感情もない人間に対して、いくらひどいことされたからって、その人のことを抱こうなんて気になる訳ないじゃない」
――ああ、セーラにはお見通しだったってことか。
リチャードは自嘲した。
自分のキャリアが無駄になって、ただ自暴自棄になった訳じゃない。それなら自分の思いを遂げてから辞めてもいい。そんな気持ちが、きっとどこかにあったんだ、とセーラに言われてリチャードは気付いた。
「……でもよく分からないよ。俺、男を好きになったことなんて今までないし」
「知ってるわよ。だって代々付き合ってきた相手って、私が紹介してあげた女の子たちじゃないの」
眉目秀麗で目立つリチャードは、常に周囲の注目の的だった。そんな彼と仲が良かったセーラは度々知合いの女性から、リチャードを紹介して欲しい、と言われ続けてきた。その都度リチャードにそんな女性たちを紹介してきて、彼もその中から数人付き合ったこともあったようだが、どの女性との仲も長続きすることはなかった。
当時リチャードは仕事に就いたばかりで、とても彼女たちが望むような付き合いをすることが出来なかったのが原因だった。
ここ数年はセーラも仕事が多忙で、リチャードとゆっくり会う機会もなく、そんな女性たちの頼みを受けることもなかったので、リチャードもずっとシングルだった。だがそれを特に不都合とは思わないのも、また彼らしいことだった。
「セーラ、俺どうしたらいい?」
「情けない声出さないでよ」
セーラは頭を抱えているリチャードを見ると、大きく溜息を一つついた。
「とにかく、まずはきちんとレイモンドくんに謝罪すること。彼があなたにどういう対応をしてくるかによって、この先のことは考えた方がいいんじゃないかしら。でもリチャード、あなたの気持ちもはっきりさせておくべきよ? レイモンドくんはあなたのことが好きだ、って言ったんでしょう? だったらそれに対して、きちんと答えてあげるのが、あなたの義務なんだから」
「俺の……気持ち」
「とにかく、今晩はきっとリチャードも混乱してると思うし、ましてやレイモンドくんなんてショック受けてるでしょうから、そっとしておいてあげた方がいいと思うわ。明日、ギャラリーに行ってきちんと謝ることと、彼の気持ちにちゃんと答えを言ってあげること。それがあなたの宿題よ。分かった?」
セーラに厳しく言われ、リチャードはゆるゆると顔を上げる。
「いい年した男が泣きそうな顔しないでよ。レイモンドくんは、リチャードの何倍も辛かった筈よ?」
セーラの言葉が、リチャードの胸に突き刺さる。
あの時のレイの様子を思い出す。紙のように蒼白な顔、いつもはきらきらと輝いている榛色の瞳が、悲しい色を湛えて涙に濡れていた。細い手首には痛々しいばかりの赤い痕が残り、華奢な体は不安気に震えていた。
自分は何てことをしでかしたのだろう、と改めてリチャードは後悔の念で一杯になった。
「今日はもう帰った方がいいわ。明日はちゃんと朝、オフィスに顔を出してよ? それから、スペンサー警部に今日のことは言う必要はないから黙っておきなさい。私も何も言わないから。とにかく、レイモンドくんに会ってから先のことは考えること。分かったわね?」
セーラは立ち上がるとコートを羽織った。
「さ、リチャード行くわよ」
リチャードはセーラに促されて立ち上がる。心配性なセーラは、結局リチャードをバス停まで見送ってくれた。すっかり落ち込んだリチャードをバスに押し込むと「明日の朝はいつも通りに来るのよ」と言って姿が見えなくなるまで手を振っていた。
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