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第31話

 リチャードは了承したものの、こんなすぐにレイにまた会わなくてはならなくなると思っていなかったので、内心動揺していた。その動揺を悟られないようにスペンサーの元をあたふたと去り、地下駐車場から車を出す。ギャラリーへの道筋はすでにもう体が自然に覚えていた。何も考えずとも手足が勝手に動いているような感覚に、リチャード自身も驚く。  ギャラリー前のスペースが今日は空いていた。そこへ車を停めると、リチャードは一息ついて自分を落ち着かせる。このまますぐにギャラリーに入って、レイと顔を合わせる気にはなれなかった。 ――一体どんな顔をして彼に会えばいいって言うんだ。  リチャードは俯き、額をハンドルに載せて溜息をつく。  だがスペンサーからは、レイを同乗させてハインズフィールドへ行くように指示されている。上司の命令を無視する訳にはいかない。リチャードは迷う心を抑えて、車を降りようとした。  その瞬間、コンコン、と助手席側の窓ガラスをノックする音が聞こえる。 ――ここに駐車したらいけなかったか?  リチャードは顔を上げて、音がした方向へ顔を向ける。  そこにはいつもと同じように、白い飾り気のないシンプルなシャツに、ブラックジーンズを纏ったレイが立っていた。  柔らかそうな栗色のふわりと緩くカールした髪の毛、白い肌、榛色の瞳……思わずリチャードは、昨晩の彼の様子を思い出して落ち着かなくなる。だが今日はレイの表情は固く、リチャードに向けられる視線は冷たかった。  リチャードは身を乗り出して、助手席側のドアロックを解除する。レイは黙ってドアを開けると助手席に乗り込んできた。 「……あの、レイ」 「車出してよ。ハインズフィールド行くんでしょ?」  レイは冷たくそう言うと、手にしていた書類に目を通し始めた。  リチャードは黙って言われた通りに、車を発進させる。レイは何も言わずに、ただ黙って座っていた。  しばらく運転してテムズ川を越えようか、というところでリチャードは堪らずにレイに話しかける。これ以上の静寂は耐えられなかった。 「レイ、昨日はすみませんでした……その……」  リチャードは正面を向いたまま、レイへの謝罪の言葉を口にする。だがレイは相変わらず何も言わずに黙ったままだった。 「……俺のこと、訴えますか?」 「何のこと?」  ようやくレイが口を開く。声の調子はこれ以上ないと言うくらい冷淡だった。 「あんな……訴えられても仕方ないようなことを、あなたにしてしまいましたから」 「……訴える訳ないだろ」 「え?」 「そんなことしたら、ロバート叔父さんに迷惑が掛かるじゃないか。警視総監が身内の意見で署内の人事を決めてた、なんてバレたら周りから何言われるか。言われるぐらいで済めばいいよ? だけど総監は辞任しなきゃいけなくなるだろうな。僕がそんな真似すると思う?」  リチャードは運転しているので、レイの方を向くことが出来なかったが、彼が冷ややかな目で自分を見つめていることには気付いていた。レイにそんな目で見られることは辛かったが、自分はそうされても仕方が無いと納得もしていた。  リチャードはレイが彼を訴えるつもりがないと聞き、ホッとする反面、自分がこの仕事を続ける限り、ずっとレイの冷たい態度に耐えなければならないのだ、と気づき苦痛に感じた。 「……僕、リチャードはもっと紳士だと思ってた」  ぽつり、とレイが呟くように言う。その声のトーンは今までと違って、前日までのレイのものだった。 「……レイ、あなたは俺を買い被り過ぎです」 「リチャード……」 「俺は聖人君子でもなければ、優秀な警察官でもない。ただ真面目なだけで、融通も利かないし要領も悪い、煮ても焼いても食えない人間ですよ」  分かってるよ、それでもそんなあなたが好きなんだ、と言いかけてレイは口をつぐむ。  今は……ただ彼の側にいられればそれでいい、レイはそう思っていた。無意識のうちに手首に残った赤い痕を指でなぞる。前の晩にリチャードに握られた時についたものだ。それはレイにとって、リチャードが唯一彼に与えてくれたものだった。レイには身体的な実際の痛みよりも、リチャードを怒らせた上に拒絶された、という切ない心の痛みの方がずっと辛く感じていた。  レイはリチャードに、泣き出しそうな自分の情けない表情を見られたくなくて、窓の外へ視線を向けた。  その後車内は再び静寂に包まれ、リチャードはただ運転に集中した。

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