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第32話

 車は順調に進み、あっという間にハインズフィールドに到着する。リチャードは毎日のように通っているので、迷うことなくすんなりと屋敷の敷地内へ車を滑り込ませた。  二人は口を開くことなく、それぞれに降車すると屋敷の玄関へ向かう。リチャードが呼び鈴を押すと、中から執事のフランクが顔を出した。 「おや、今日はどんなご用で?」  毎日来るので、すっかり彼も慣れてしまったらしい。大して驚く顔もせずに二人を屋敷内に導いてくれた。 「今日は、奥様と息子さんにお伺いしたいことが、もう少しありまして……」  リチャードがそう言うと、フランクは残念そうな顔をして言う。 「奥様は、ただいまネイルサロンにローレンス様とお出かけです。あと1時間ほどで戻られるかと思いますが、どうなさいますか?」 「そうでしたか。それでは庭師のアダムさんと家政婦のドロシーさんにも少し伺いたいことがあるので、先にそちらの用事を済ませます」 「分かりました。奥様が戻られましたら声を掛けますので。あ、そうそう、もうお一方の刑事さんから頼まれていた写真を見つけましたので、お渡ししておきます」  フランクは玄関ホールに置かれた棚の上に置かれていた封筒を、リチャードに渡す。 「お手数をおかけしました。お借りします」 「いえ、また何かありましたら、遠慮なくお申し出下さい」  フランクはそう言った後、レイの方を向いて「ハーグリーブス様は、奥様からのご依頼の件でございますね」と問いかけた。 「ええ。屋敷内にある美術品で、僕が買い取れそうな物は全てお願いしたい、と言われていますので、見せて頂いて構いませんね」 「ええ、勿論でございますとも。どうぞご自由に。……では私は仕事の途中ですので失礼します。何かありましたら呼んでください」  そう言ってフランクは、図書室の方へ向かった。  レイはリチャードの顔を見ないようにしながら「……僕、屋敷内の美術品の値段鑑定しなきゃいけないから」と、俯いてそう言うと、そそくさと広間へ入って行ってしまった。  一人玄関ホールに残されたリチャードは「さて、どうするか……」と独り言を呟きながら、まずはキッチンへ向かうことにする。ドロシーに頼みたいことがあったのだ。  広間のドアの前を通りかかった際、よほどドアを開けてレイの顔を一目見ていこうか、と思ったのだが、ずっと自分を避けるようにしている彼を逆に刺激するだけだろう、と思い直し通り過ぎた。  キッチンのドアを開け、中を覗くとドロシーが野菜を切っているところだった。昼食か夕食かは分からないが、すでに下ごしらえを始めているらしい。  相変わらず疲れた表情をしている。一つにきつく束ねた黒い髪には白い物が混じり、焦げ茶色の瞳はぼんやりとどこか焦点があっておらず、目元の深い皺が年齢を感じさせた。  リチャードは壁をノックしてドロシーの気を引く。 「こんにちは、ドロシーさん」  ドロシーは慌ててナイフを置くと、振り返ってリチャードの方を向いた。そして声をかけたのがリチャードだと気付くと、人当たりの良さそうな笑顔を向けた。 「あら、この間の刑事さん」 「お忙しいところをすみません。少しお願いしたいことがあるのですが……」 「何でしょう? あ、あの、お茶を淹れましょうか?」 「いえ、今は結構です。それよりも、奥様のお部屋を見せて頂きたいのですが」 「それはちょっと……家の者以外の人間が、勝手に入るのは困るのですが」 「奥様には許可を得ていますから。ドロシーさんが一緒なら構わないと」  リチャードは口から出任せを言った。どうしても彼はアマンダ・アンダーソンがいない間に、彼女の部屋で確かめておきたいことがあったのだ。 「そうでしたか、それなら構いません。ご一緒します」  アマンダの許可を得ている、と言った途端に彼女の態度が軟化する。リチャードは彼女を促して、いつもドロシーが使っているという使用人専用の階段から二階へ上がった。二階の一番奥が主人だったフィリップの部屋、その隣がアマンダで、使用人専用の階段側に近い部屋をローレンスが使っている。その向かい側にはファミリー用の大きなバスルームがあった。だがドロシーの話によれば、各個人の部屋にシャワールームが備わっているので、普段はファミリーバスルームを使うことはないのだそうだ。 「アマンダさんは、フィリップさんとは別の寝室だったんですね」  リチャードは疑問に思う。夫婦、しかも結婚して1年程度の新婚の筈なのに、別の寝室というのは変なのではないだろうか。 「旦那様はいびきをかかれるので、それを奥様が嫌がって、ご結婚されてすぐに別室に移られたんです。それ以来ずっと別々で……」 「そういうことですか」  確かに英国ではそういう理由で、仲が良い夫婦であっても、寝室を別にするカップルが多い。アマンダとフィリップも別に仲が悪くて別室だった、ということではなさそうだ。  ドロシーはアマンダの部屋のドアを開け中に入る。  アマンダの部屋は華美な装飾、という言葉がぴったり当てはまるような、妙な少女趣味のある部屋だった。年齢不相応なピンクと白で統一されたインテリア。ベッドカバーやカーテンなどは総レースの高級素材のものだ。やたら金をかけているものの、成金趣味が抜けきれない選択だった。  それに比べると、屋敷の他の部屋のインテリアは垢抜けていた。あれは主人のフィリップの趣味だったということか、とリチャードは思った。  レイは美術品を買い叩く嫌な客、と称していたが、一応美しい物を見定める目は持っていたということなのだろう。

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