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第33話

 リチャードはジャケットのポケットから、使い捨ての青いビニール手袋を取り出すと、両手にはめる。 「ドロシーさん、アマンダさんが使っている化粧品を見せて頂きたいのですが」 「分かりました。こちらのドレッシングテーブルに置いてございます」  ドロシーは部屋の中でも、一番存在感のある大きな鏡台を手で指し示した。一目見れば、それが高級だと分かる大きな鏡が備え付けられた白い家具。その上には所狭しと、これまた高級化粧品の数々が乱雑に載せられていた。  リチャードはざっと鏡台の上に載せられた化粧品に目を通すと、両袖になっている引き出しの右側を上から順番に開けていく。  中身はどの引き出しも似たり寄ったりで、使いかけや封を開けていない化粧品がめちゃくちゃに詰め込まれていた。  リチャードは目当ての物がなかなか見つからないので、当てが外れたか、と少々落胆していた。 「あの、刑事さん……」 「何でしょう?」 「こちらの引き出し、開けられました?」  ドロシーは、リチャードが見ていたのとは反対の方、左側の鏡台の一番下の引き出しを開けた。そちらはこれから彼がチェックしようと思っていたところだった。 「ありがとうございます。拝見します」  リチャードはドロシーが開けた引き出しを見て、自分が探していた物が、そこに入っていたことに安堵した。 ――香水。  リチャードがハインズフィールドに出発する直前、ハワードから連絡があり依頼していた件が分かったことを告げられた。  レイが、死体が発見された現場に香水が撒かれていたのではないか、という疑問を呈していたのだが、やはり彼の思った通りだったのだ。  ハワードによれば、あの現場の床に敷かれていた絨毯の上とフィリップの洋服から、香水が検出された、と言うことだった。奇妙なことに、あの場に撒かれていた薔薇の花には、一切香水は付着していなかったのだそうだ。時間が足りず、香水のブランドはまだ断定出来ていないそうだが、原材料のほとんどは薔薇を精製して抽出したオイルだ、と言うことは分かった。つまり薔薇の香水だったのだ。  それを聞いた時にリチャードは、また薔薇なのか、と思った。この事件にはあまりにも薔薇が関わりすぎる。わざとらしいくらいに、目の前に薔薇が突きつけられる。一体どこまで真剣に取り合ったらいいのか、リチャードには判断がつきかね始めていた。 ――そう言えば、レイに香水の件を話しそびれてしまったな……  リチャードは車内でその話をすべきだったのに、すっかり忘れていたことを思い出した。 ――後で彼を見つけて一言伝えておかないと。  リチャードはそう思いながら、引き出しの中にごちゃごちゃと詰め込まれた香水瓶を、一つ一つ取り上げて匂いを嗅いだ。香水に関しては全くの門外漢だったが、あの時に現場で嗅いだ匂いならば記憶に残っている。あの香りと同じ香水をアマンダが持っているのではないか、リチャードはそう考えていた。  レイがアマンダに会った時、香水をつけていなかったことを不審がっていたのを思い出す。アマンダのような女性ならば、まるでマーキングするように大量の香水を普段からつけている筈、と彼は言っていた。その彼の想像通り、引き出しの中には大量の香水が入っていた。それなのに、彼女はあの時香水をつけていなかった。つまり、普段香水をつけていることを知られたくなかったからではないのか?  もしもあの殺人現場の香水がアマンダのものだったとすれば、彼女が自分に疑惑の意識を向けられないように、わざと香水をつけるのを止めた可能性は捨てきれない。  一体どれが自分の探す香水なのか? リチャードは普段嗅ぎ慣れない匂いのせいで、幾分くらくらとしながらも、一つずつ嗅いでいく。 「あの、何か特定の香水をお探しなんでしょうか?」  側で黙って見ていたドロシーが声をかけてくる。自分なんかよりも女性のドロシーの方が詳しいのではないか、リチャードはそう気付いた。 「薔薇の香りの香水を探しているんですが……」 「それでしたら、ここの中にはありませんよ」  ドロシーははっきりとそう言った。 「どうして、そんなにはっきりと分かるんですか?」 「それは……あの、旦那様が亡くなった日の朝に、丁度フランスから届いたので、よく覚えているんです」 「フランスから届いた……?」 「ええ。旦那様が奥様へのプレゼントとして、特別にご注文されたものだったんです。もうすぐご結婚1周年でしたから、その記念で。それがあの日の朝届いたんです。旦那様がダイニングホールで箱を開けられて、その場で奥様にプレゼントされました。奥様は喜ばれて、すぐにつけてらっしゃいましたよ。その香水瓶の形がとても綺麗だったものですから、私もよく覚えているんです。その形と同じ物はその引き出しの中にはありません」 「それは……確かですか?」 「ええ。とても特徴的な形をしていたんです。蓋の部分にガラスの薔薇がついていて、とても綺麗だな、と思ってよく見たので間違いありません」 「その香水瓶は、この部屋にはありませんか?」 「どこかに隠されているんでしたら分かりませんけど、この引き出しの中にもドレッシングテーブルの上にも、私の目の届く範囲にはどこにも見当たりません」  リチャードは慎重に他の引き出しの中も奥まで見たが、ドロシーが言うような形の香水瓶は見当たらなかった。  アマンダが戻ったら香水瓶の件を尋ねてみなくては、とリチャードはメモをする。 「あの……刑事さん」  部屋を出ようとするリチャードを引き止めるように、ドロシーが声を掛けてくる。 「何でしょう?」 「実は、旦那様が奥様とお部屋を別にしているのは、もう一つ理由があるんです」  ドロシーは言いにくそうに口ごもりながら言った。 「知っていることは何でもおっしゃってください。ほんの些細なことでも、事件解決に繋がる可能性がありますから」  リチャードにそう言われて、ドロシーは心を決めたように顔を上げた。 「旦那様がお部屋を別にしておられるのは、奥様の他にも寝室で過ごす人間がいたからなんです」 「それは、浮気をされていたということですか?」 「浮気……と言っていいのか……」 「どういうことでしょう? はっきり分かるように説明して頂けますか?」 「息子のローレンス様です。旦那様が奥様とご結婚を決意されたのは、ローレンス様が目的だったから、と私は聞いています」  リチャードは驚いて黙り込んでしまった。  そう言えば、ローレンスに尋問した際に彼はなんと言っていた? 確か「ジジイの相手をするくらいなら、あんたの相手をした方がいい」と、リチャードを指して言っていたではないか。あの時は何となく聞き流してしまっていたが、あれはそう言う意味だったのか、とリチャードは改めて理解した。 「アマンダさんは、それをご存知なのですか?」 「はい。ご承知の上でプロポーズをお受けになったそうです。奥様にとっては旦那様とのご結婚でお金の心配がなくなる方が、ローレンス様よりも大切なことだったようです」  リチャードはドロシーの告白にショックを受けていた。つまりアマンダは、金でローレンスをフィリップに売ったのだ。実の母親が、息子を親子ほど年の離れた男に売るなんて、とリチャードにはドロシーの話がにわかには信じ難かった。  もしもそうだとしたら、ローレンスにも強い動機がある。  つまりリチャードにジジイの相手をするくらいなら、と告白するくらい、フィリップの相手をすることに嫌気がさしていたとしたら?  そもそも自分で望んでそういう立場になった訳ではない。母親が金に目が眩んで息子を売ったのだ。ローレンスには選択する自由がなかった。だとすれば、自分が自由になるためにフィリップを殺した可能性だってある。  もう一度この点を詳しくアマンダとローレンスに話を聞かなくては、とリチャードは思っていた。

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