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第36話
リチャードが思索に耽っていると、ドアをノックする音が聞こえた。彼が振り返ると、ドアが開いて執事のフランクが顔を出す。
「刑事さん、ご同僚が同席されたいそうです」
一瞬レイのことか? とリチャードが思うと同時に、フランクの後ろからセーラが入って来た。
「リチャードお待たせ。遅くなって悪いわね」
「ああ、そっちの用件はもういいのか?」
「ええ。後はクライブとパトリックに任せてきたわ」
クライブとパトリックはAACUのスタッフだ。こちらと同時に起きた違う事件にかかりきりらしい。普段は暇なことが多いくせに、こういう時ばかりは本当に人手不足で天手古舞いだった。
「アマンダさん、ローレンスさん、今のところはここまでで結構です。ありがとうございました。ただし、家からはしばらく出ないで下さい。どうしても外出しなければならない事情があるようでしたら、必ず私かホプキンス巡査部長に声を掛けてからにして下さい」
リチャードがそう言うのを、二人は神妙な顔をして聞いていた。そんな表情をしているが、本当はどこまで真剣に聞いているのかは分からないな、とリチャードは正直思っていたが。
「セーラ、アダムさんに裏付けの証言を取りに行く」
リチャードはセーラにそう言うと、広間の隣のダイニングホールのフレンチウィンドウから庭へ出た。
まずは温室を覗いてみよう、リチャードはそう思っていた。温室へ行くまでの間、簡単にアマンダとローレンスの供述をセーラに話して聞かせる。彼女は思った通り聞いて驚いていた。
「腐った家族関係ね……まさか義理の父親と息子が出来てて、その妻と庭師が不倫関係だなんて、テレビドラマの話かと思っちゃったわよ」
空は薄曇りだったが、このところかなり春めいた気温になりつつあった。英国人が待ち望む季節はもうそこまで来ているのだな、とリチャードは思う。そうなればこの庭も美しい花が咲き誇るのであろう。
アダムが温室にいてくれるといいのだが、とリチャードは思った。もしいなかったら広い庭中を探さなければならない。彼はあまり無駄な時間を使いたくなかった。
温室のドアを開けて中に入ると、むっとした空気が体を包む。同時に甘い薔薇の香りが鼻腔をくすぐった。
「アダムさん、いらっしゃいますか?」
リチャードが声をかけると、奥から庭師がひょっこりと顔を出した。
「どなたかと思ったら、先日の刑事さんでしたか。何かまたご用ですか?」
彼はそう言いながら、二人の方へ近づいてくる。
「お忙しいところすみません。お伺いしたいことが出来まして」
「何でしょうか?」
アダムは人当たりの良さそうな笑顔で答える。焦げ茶色の瞳がじっとこちらを見つめて、一体何の用件なのかと見極めようとしているようだった。リチャードはその顔を見て、突然既視感に襲われた。
――どこかで以前に会った?
つい最近、どこかで同じような気持ちになったことがあった、とリチャードは思う。一体どこだった? 数日前、最初に彼に会った時にはそんなことを全く感じなかったのに、突然どうしてそう思う? だが、どうしてなのかが分からない。無理に思い出そうとするのを諦め、リチャードは質問しようと思っていたことを尋ねる。
「あなたと奥様のアマンダさんが恋仲であると聞いたのですが、本当でしょうか?」
精悍な顔の庭師は、一瞬戸惑った表情を浮かべたが、覚悟を決めたようにリチャードとセーラの方を向いて口を開いた。
「もうご存知なんですよね? だったら隠しても仕方がないでしょうから、はっきり言いますけど、奥様と私は別に恋仲って訳ではありません。私は奥様のただの浮気相手の一人に過ぎないんです。他にもお付き合いしている男性は大勢いらっしゃるんじゃないですか? 私はただ奥様に求められれば、お相手をしているだけですから」
「そうですか……あの晩、フィリップさんが亡くなった晩ですが、あなたとアマンダさんはお会いになりませんでしたか?」
リチャードの言葉にアダムの表情が固くなる。リチャードは何かあるな、と警察官特有の勘で分かった。
「いえ……あの晩は奥様には会っていません」
今までとは違い、随分歯切れの悪い口調だった。
「何か、隠し事をされていますね? 正直に仰った方がいいですよ。下手に隠すと罪に問われる可能性もあります」
アマンダと同じく、リチャードが罪に問われる可能性がある、と言った途端にアダムは慌てて口を開いた。
「あ、あの……実は、あの晩旦那様に会ったんです」
「いつですか?」
「真夜中でした。12時を少し過ぎたぐらいでしたでしょうか。私はとっくに休んでいたのですが、旦那様から電話があって起こされたんです。ダイニングホールへ今すぐ来るように、と」
リチャードとセーラは緊迫した表情で、お互い顔を見合わせる。
「それから、どうしたんですか?」
「そんな時間に呼び出されるなんて、もしかしたら奥様と私の浮気の件で何か旦那様がお怒りなのかもしれない、と思いました。そんなことが原因で庭師の仕事を解雇されたら大変だと思い、私は慌ててダイニングホールへ行ったんです。もしも旦那様がお怒りなら、謝って許して貰おうと思っていました。真っ暗な部屋の中に私が入ると、旦那様がお一人でいらっしゃいました。そしてにこやかな笑みを浮かべて、私の方へよろよろと歩いてこられたんです。だいぶお酒を召し上がって酔っていた様子で……」
「それから?」
「……旦那様は私に抱きついてこられました」
「酔って倒れた、と言うことですか?」
「いえ、違います。抱きついてきた後、私に抱いて欲しい、と言われたんです」
セーラは訳が分からない、と言う表情でリチャードを見る。だが今はアダムに続きを話させた方がいい。邪魔をしないように二人共黙っていた。
「私が、何を言ってるんですか? と旦那様に尋ねると、自分を抱いてくれ、と懇願されたんです。私は驚きました。旦那様がローレンス様を恋人になさっているのは知っていましたが、まさか私に抱いて欲しい、と仰られるとは思ってもみませんでしたから」
アダムは口にするのも恥ずかしい、と言いたげな表情で俯きながら話を続ける。
「そんなことは私には決して出来ませんから、旦那様には丁寧にお断りしました」
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